今週の歴史ヒストリア「千姫」を観た後の雑感の続き。
それは豊臣秀頼という人間について。ヒストリアでは秀頼の祟り(あるは恨み)で、千姫と本多忠刻の長男が3歳で夭折し、夫忠刻も数年後に亡くなったと千姫は受け止めたと述べる。恨み・祟りはどちらかというと武家のものではなく貴族的なものではないか?と私は考えている。もっとも武家の中にも祈祷の類を重視した武田信玄など中世的な武士から、神仏をほとんど信じなかった信長のような近代的な武士までかなり幅は広い。
信長は本能寺で明智光秀に襲われた時、明智の襲撃と聞いて「是非に及ばず」と言い残して槍を取って奮戦し、最後は炎の中で自害したと言われている。だれが見てきたようなことを伝えたのかは知らないが、信長であればさもありなんという感じだ。そこには恨みつらみなし、死ねばおしまいというアッケラカンとした死生観が見える。
秀頼の母淀君は信長の妹お市の方の長女だから、信長は秀頼の大叔父で二人は共通する遺伝子を持っているはずだ。だが徳川方に自ら一戦交えることもなく自害し、恨みを妻に残したとすれば、それは稀代の英雄信長の最後とは余りに違いすぎる。
むしろある種の女々しさは父秀吉、しかも晩年の秀吉譲りなのだろうか。秀頼の行く末を頼まれ、お言葉守りますといった家康だが、15年後にその言葉を破られた。約束を反故にした家康も家康だが、権謀術数の世界を生き、信長の遺児達を死に追いやった秀吉が自分の遺言が守られると考えたとすれば大甘だし、女々しすぎる。
ところで秀頼は秀吉の実子なりや?というのは昔から囁かれている歴史の謎だ。ヒストリアはこの話には触れていないが、秀頼は身長190cmを超える偉丈夫だったとは述べていた。秀吉の身長は150cm台で小男ではないにしろ、戦国時代の標準程度。この点からも秀吉は本当に実父なのか?という疑問は残る。もっとも淀君の父方浅井の家系は長身だったというから、母方の血を引いたという説明があるが・・・・
ここは通説通り秀吉の実子で話を進めると、母方の祖父は浅井長政、大叔父は信長、妻の祖父は家康というのが秀頼で、まさに戦国時代の曠古の英雄の血がクロスオーバーしている。
だが秀頼はついに一度も戦陣に立ち、大坂方を鼓舞することなく大坂城と運命を共にした。どうして戦陣に立たなかったのか?ということについて、作家の中村彰彦氏は、肉体的鍛錬を欠いていた秀頼は体重が重過ぎて、乗せる馬がなかった、という説を唱えていた。その説が真実かどうかは知らないが、騎乗の訓練ができていないと陣頭に立てないことは確かだろう。氏より育ち、武士は幼少の頃より、心身を鍛えねば英雄の血を引くとて三軍を叱咤することはできないのである。
老化現象が進んだ秀吉が秀頼を溺愛し、果ては仮想敵国の主となりうる家康の手を取り、涙ながらに秀頼の行く末を頼んだ時、武家の精神は既に失われていたというべきなのだろう。
話は脇道にそれるが、秀頼のことを考えている時、ふと金正恩のことに思いが飛んだ。秀吉が残した莫大な金銀で資金は潤沢だった大坂方と貧しい北朝鮮を同列に並べるのもどうかと思うが、指導者が良い意味での武家の精神、つまりリアリズムと厳しい自己鍛錬を失う時、国の命運は尽きる、という共通項を持つことになりそうだと私は思っている。