今日(4月14日)の読売新聞一面に山崎正和氏が「教育改革への注文・・・高学歴・低学力の風潮正せ」という一文を寄せていた。
山崎氏は教育問題の基部に戦後の風潮が生んだ病弊があると言い、その風潮とは「高学歴の追求」と「つめこみ教育への反対」「創造的教育への無邪気な憧れ」だという。
創造的教育は日本の戦前教育への反発、輸入されたアメリカ流教育の表面的な模倣の結果であるのは、いうまでもなかろうと山崎氏は指摘する。
創造性の重視はまねることの軽視を生んだと私は思う。「学ぶことはまねることである」という言葉がある。学ぶとまねるは語源が同じだという人がいる。
では創造性を重視するアメリカでは「まねる」ことを重視しないのだろうか?私は違うと思う。ジェームス・W・アレンの「アイディアのつくり方」という本に「アイディアとは既存の要素の新しい組み合わせ以外のなにものでもない」ということが書いてあるそうだ。
知的生産活動における要素とは広い知識と情報である。広い知識にもとづいて有効な情報を選択し、その組み合わせで新しいアイディアを生み出すのである。
孔子は「知識を習得しても習得した知識をベースにものを考えないと知的生産活動を行なっているとは言えない。一方基礎知識の習得なしに、ものを考えても非常に危うい」と喝破している。
実は創造的教育とつめこみ教育は相反するものではなく、ある程度のつめこみ教育なくして創造的活動は行えないという基本的な学習構造の理解を欠いたところに日本の教育問題は陥っていたのである。