6月21日に法制審議会から相続法の改正に関する中間試案が発表されている。
私の所属する一般社団法人 日本相続学会でもパブリックコメントを提出するべく、ワーキングを開始している。専門的な話は法律の専門家にお任せするとして、ここでは「素人の直観」「常識的判断」をベースに私見を述べてみたい。
まず比較的分りやすい「自筆証書遺言の方式緩和」と「自筆証書遺言の保管制度の創設」についてである。
「自筆証書遺言の方式緩和」とは、「遺贈等の対象となる財産の特定に関する事項」については自書でなくてもよいとするということである。
平たく言うと「不動産や預貯金の表示等の財産目録はワープロ・パソコン等で作成してもよい」と改正する提案である。
民法968条は「自筆証書は遺言者が全文を自筆し、押印しなければならない」と規定しているから、この条文を変更することになる。
ところで直観と常識的判断に従えばこの明治時代に制定された条文を墨守しているような国は世界中で他にあるのだろうか?という疑問がわいてくる。
つまり遺言書の作成が一般的な欧米において遺言書(あるいは実質的に遺言書と同じ意味を持つ米国のLiving Trustなど)はほとんどパソコン作成のはずである。Living Trustなどについても「ひな形」が流布していて、必要事項を記入すれば誰でも簡単に作成することができるというのが、世界の常識である。
それなのになぜ日本は改正後でも「本文(だれにどの財産を遺贈するなど)」は自筆でないといけないのか?という点にまず私は疑問を覚える。専門家の意見は「重要な部分をパソコン作成にすると簡単に偽造される」リスクがあるからだと説明しているようだが、欧米ではそのようなリスクはないのだろうか?
法改正の発想が昔のやり方が正しく、少しずつ変えるのが妥当だなどというみみっちいところにあるから、このような中途半端な改正案がでるだと私は感じている。「自筆証書」という名前に拘るから自筆でないといけないと思うのは余りにアナログだ。遺言書はすべてパソコンで作成して(自筆でも構わないがこれからの世の中パソコン作成を主流に考えるべきだろう)自署すれば良いと私は考えている。
次に自筆証書遺言の保管制度について考えてみる。
これは「自筆証書遺言を作成した者が一定の公的機関に遺言書の原本を委ねることができる制度」を創設するというもので、公的機関として法務局、公証人役場、市区町村などが想定されている。
この制度は「遺言者の死亡後相続人等が遺言書の保管の有無を確認できるる」ので一見有効な制度に見えるが私は次の点で問題があると考えている。
第一に現在作成されている遺言書の多くは公正証書遺言で自筆証書遺言・秘密証書遺言の数は少ない。その理由は自筆証書遺言は「相続人に発見されない」「検認手続きが必要である」という問題に加え、形式的不備から無効となることが多いからである。
形式的不備とは「作成日の不備」「財産をあげるという文言が明記されず、一任するなどと幾つかの解釈が成り立つ言葉で記載されている」などということだ。
この問題は自筆証書遺言の公的保管を行っても解決されない。法的に有効な遺言書を増やすことで相続手続の円滑化を図るのであれば、以下のようなことが検討されるべきだと私は考えている。
第1にできるだけ公正証書遺言を増やすようなインセンティブを設けるべきだ。
次に自筆証書遺言の形式的不備をできるだけ避けるような努力である。一番簡単な方法は「遺言書の重要な部分をひな形化する」ことだろうと私は思う。
そこで自筆証書遺言のパソコン作成に話は戻るのだが、穴埋め方式に相続させたい相続人や財産を遺贈したい第三者の名前、相続・遺贈したい財産(包括か特定か)などを書くことで、比較的単純なケースの遺言書は作成することができると思う。
もっとも遺言の内容は「負担付遺贈」だとか「受遺者が遺贈を放棄した場合を想定した補充遺言」などになるとかなり複雑でひな形化は難しいだろう。そのような場合は専門家の知恵を借りずに自筆証書遺言で完全に自分の意思を伝えることは難しいかもしれない。
よって私は保管制度を作る(当然コストがかかる話だが誰がそのコストを負担するのか?という議論は出ていないようだ)よりも、現在の枠組みと自筆証書遺言のパソコン化(テンプレート化)で対応するべきなのではないか?と考えているのである。