角田光代さんのエッセーを読むことが多い。
そもそも私は小説よりエッセーを読む方が多い。理由はエッセーは電車の中などのすきま時間を使って読むことができるからだ。
角田さんのエッセーは日常の出来事や彼女の経験を出発点として話が展開していくので、うんうんと読み進むことができるので気持ちが良い。
最近「世界中で迷子になって」(小学館文庫)の中の「好奇心と経済」というエッセーを読んだ。
話はホームベーカリーを使い始めた角田さんが、ふと経済に思いを馳せ、経済が潤滑に回るシステムというのは好奇心が起点になって、欲しいものを買うようになり、買ったものからまた世界が広がっていくのだろうと考察する。
そして「不景気というものがあんまり長引くと、それは私たちから好奇心をじわじわ奪っていくのではなかろうか」と述べる。
また角田さんは「好奇心が発端で物欲が開花し、その物欲のままに何かを購入する、ということだけが、善きことだとは私は決して思っていない。そうではなくて、それがお金で買えるものであろうとなかろうと、今までは存在しなかった扉を持つことは私たちには重要であるなと思うのだ。」と結論付ける。
現在の日本経済は統計的には好況期である。だが必ずしも消費活動は活発にはならず、おかげで物価上昇率もアメリカなどに較べると極めて低い。
角田仮説が正しいとすれば、日本人全体の好奇心のレベルが低下しているから消費活動もあまり活発にはならない(あくまでも平均の話である。旅行等にお金を投じている人も多い)と考察することができる。
仮に日本人の好奇心のレベルが低下しているとすればその原因は何だろうか?
私は二つの仮説を考えてみた。一つは高齢化が進んでいることである。よかれあしかれ個人差はあるにしろ、歳とともに人の好奇心のレベルは低下する。
もう一つの原因はスマートフォンやPCによるバーチャルな世界が拡大したことだ。バーチャルに色々なことを経験できるから、新しい世界に実体験を求めることが減っている。
バーチャルな体験を踏み台にして、未知のリアルな世界に飛び出すという選択肢もあるのだが、どうもこれは少数派のようだ。
わくわくするようなリアルな世界やチャレンジングな体験を提供するような企画を増やすこと~大人もシニア層も参加できるような~が経済を潤滑に回す方法なのだろう。
角田さんの仮説を敷衍すると私の考えはこのようになった。