先週末岡山で2つの城を見学した。岡山城と備中松山城である。
旅の行程は備中松山城から伯耆大山に行き、その後蒜山高原から蒜山に登り、岡山に戻るというものだったが、私一人一日前に岡山に行き、岡山城を見学した。
最近は100名城ブームで今回一緒に行った仲間の一人も100名城スタンプ帳を持参していた。
スタンプ帳によると岡山には100名城に選ばれたお城が4つある。津山城・備中松山城・鬼ノ城・岡山城である。単純計算すると1都道府県当たり2名城となるので、4つ百名城があるのは多い方だ。岡山県を上回る数の名城を持っているのは長野県と兵庫県で各々5つの百名城がある。
さて最初に行った岡山城。黒漆塗りの下見板が特徴的で烏城(うじょう)とも呼ばれている。
天守4重6階の堂々としたものだ。岡山駅から路面電車に乗って(あるいはバスで)簡単に行くことができる。典型的な平山城である。
次に行った備中松山城は典型的な山城だ。現存天守閣を持つ山城としては一番高いところにあるそうだ。
天守は三階建てに見えるが実は2階建て。岡山城の天守に較べると実に小ぶりである。高松城に行くには駐車場からシャトルバスに乗り換え、シャトルバス終点から20分ほど歩かねばならない。
小ぶりだが石垣が重層的に連なり、簡単には攻め寄せられない感じがするが実際には天正3年(1575年)に毛利軍に攻められ、落城したという。
ところで百名城が多い都道府県と少ない都道府県の特徴を考えてみた。
多いところは既に述べたとおり、長野県(5つ)・兵庫県(5つ)・岡山県(4つ)・愛知県(4つ)・愛媛県(4つ)である。
少ないところは京都府(二条城1つ)、神奈川県(小田原城1つ)、山形県(山形城1つ)、岩手県(盛岡城1つ)などだ。
なぜ百名城の数に違いがあるのか?
戦国末期まで日本には数千という城が存在したが、江戸時代初期の一国一城令で城の数は170ほどに絞り込まれた。
百名城が多くある都道府県は小さな藩で構成され、少ない当道府県は大きな藩で構成されていたという仮説はなりたつだろうか?
お城に対する郷土の人の思い入れの違いがお城の保存状態の良し悪しを決め、百名城の数に差が出ているという仮説も考えられそうだ。
私には百名城スタンプ集めの趣味はないが、百名城の都道府県別分布の偏りについてはもう少し理由を考えてみたいと思い始めている。