金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

高年齢者再雇用安定法を前にして

2006年03月08日 | 社会・経済

今年(平成18年)4月から改正高年齢者雇用安定法が施行される。→ご関心のある方は厚生労働省のHP http://www.mhlw.go.jp/general/seido/anteikyoku/kourei2/
私の会社でも「継続雇用制度を導入」することにして最近勤務員向け説明会を行なった。説明会では余り質問はなかった様だが、高齢者雇用の問題は一勤労者として又会社の人事面の責任者としてかなり関心の高い問題である。この機会に海外の状況など含めて少し勉強してみることにした。それにしても60歳位で高齢者と呼ぶにはいささか抵抗を感じる。高齢者という言葉自体がある種の弱者のイメージを伴う気がするがこれも私自身が年を取ったせいだろうか?

いきなり余談になるが先月苗場にスキーに行った時、リフト券を買う時55歳以上はシニア割引が使えるということが分かって嬉しいやら寂しいやら複雑な気持ちになった。(ただしこの日は割引適用のない半日券を買ったので生まれて初めてのシニア割引は使わなかったが) その翌日は武尊へ行き、スキー場のリフト終点からシールを着けて前武尊に登り、新雪の中に飛び込んでみた。寒風に舞う雪煙の中、太股を没する新雪を滑り降る自分を見てシニアなどと呼ばれるのは少し早いのではないか・・・などと思ったりした。

さて最近エコノミスト誌は高齢者雇用の問題をTurning boomers into boomerangsという記事で論じているが、高齢者雇用にかかわる問題の本質が浮かび上がる良い記事だと思う。ポイントを紹介してみたい。それにしてもベビーブーマーのブーマーとブーメランを掛け言葉にした小じゃれた表題をつけたものだ。

  • 富裕国の労働力が老齢化している。EUでは50歳から64歳の労働者が今後20年間の間に25%増加するが20歳から29歳の労働力は20%減少する。日本は高齢層の割合が世界一高く65歳以上の人口が既に2割を超えている。
  • 大部分の社会は大体65歳位で退職する様に設計されているので、企業にとって知的資源の管理という問題が大きくなってきている。IBMの人事部の調査は昨年次の様に結論付けている。「ベビーブーマー世代が退職する時、多くの会社は長期勤続者の経験の価値が去り、不十分な才能が穴埋めのために残されていることに気付くだろうがそれは遅すぎる」 また専門性の欠如に直面する企業もある。例えば航空宇宙産業、国防産業では幾つかの企業で5年以内に退職適格年齢に到達する従業員が4割も存在する。
  • 詳細に見れば幾つかの企業が高齢者に適した職場環境作りを始めているが全体としては例外的である。たとえば米国イリノイ州の産業機械メーカー・ディア社は4万6千人の従業員の内約35%が50歳以上で、70歳代の従業員も相当数働いている。同社の人事部によれば「会社として高齢者を優遇するポリシーはないが、永年勤続を希望する従業員を採用することを試みている。そしてそれを可能にするツールがフレキシブルな勤務形態と在宅勤務等である。また同社は人間工学に多くの時間を割き、仕事の疲労感を削減することで高齢者に働き易くしている」ということだ。退職者のネットワーク構築に力を入れている企業もある。IBMは特別なプロジェクトのために退職者を再雇用するためこのネットワークを使っている。
  • これらは例外的であり昨年のデロイト社の調査によれば世界的な企業1,400社の内4分の3が3年から5年の間に労働力の不足を予測しているにもかかわらず、高齢者をもって穴埋めを考えている企業はほとんどない。
  • その理由の一部は、発展途上国から安い労働力が大量に供給されていることにある。実際大量の仕事が中国やインドにアウトソースされている。また幾つかの国、たとえばオーストラリアでは熟練労働者を受け入れるため、移民政策を緩和している。また他の国では機械と自動化投資を行い、労働力への需要の高まりを避けようとしている。
  • 一方高齢労働者は老後資金の不安から長く働こうとするという調査がある。ハリス・ウオール・ストリート・ジャーナルの調査によれば54歳以上の米国人の39%は十分な老後資金が得られるかどうか疑問を持っている。IBM、GM等の企業が退職給付の削減を発表しているからだ。米国は差別禁止の観点から強制的な退職年齢がないので、ウオートン・ビジネス・スクールのカペリ教授は2000年に153百万人だった勤労者は2010年には159百万人に増加すると予測している。
  • もっともこの様な事態が起きれば、克服しなければならない多くの問題がある。多くの欧州諸国で最大の問題の一つは給与である。大手人材斡旋会社アデコによれば、フランスとドイツでは50~60歳の層が25~30歳の層より6,7割高い給与を得ている。しかし英国では二つの層にそれほど差はない。これは英国の方がドイツより高齢者の雇用が多い一つの理由である。
  • 欧州大陸と日本の企業は英米の競争相手より年功序列制度から年齢を切り離すことが難しいことに気付いてきている。米国の例だが、スーパーマーケット最大手ウオールマートでは新卒の社員が母親の年齢の女性労働者を監督している。もし高齢労働者が職場に留まろうと思えば、逆転した組織のヒエラルヒーを受け入れる必要がある。
  • 政府は老齢者雇用の問題について大きな役割を担っている。スイスは受給者が国民年金額を最大年額5千フラン(3,825ドル)増加させるため、強制的退職年齢を最大5年間勤務できる法律を制定している。このことでスイスでは55~64歳の人の6割が働き、イタリアやベルギーでは同年齢層の3割しか働いていないことが説明できる。一方で幾つかの国で税制が老齢勤労者にマイナスに作用している。例えば米国では退職者が月に40時間以上再雇用されたり働いたりした場合しばしば年金の支給が停止される。マツダの様な日本企業は退職者を1年契約で再雇用している。
  • 老齢労働者を助ける目的の法律が逆作用する可能性がある。米国労働法の中の年齢による差別禁止条項は、総ての従業員が医療保険等の面~米国の医療保険は任意部分が大きい~で等しい利益を享受することを求めるので、企業側は老齢者の再雇用を消極的にさせる。(老齢者の医療保険は高いので)
  • たとえ法律が変わっても、老齢労働者は職場の敵対的な態度を克服しなければならない。多くの人々は老齢者はモチベーションが低く、より多くの病欠を取り、コストがかかると想像する。しかし実際には幾つかの研究が40歳以上の方が病欠が少なく、モチベーションも生産性も高いということを示している。
  • 経営者にとって出来ることは勤務をもっとフレキシブルにすることである。これは女性労働者や若年労働者が求めていると言うものと調和する。フレキシビリティは総ての世代に訴求力がある。
  • 多くの企業が「労働資源を多様化」を深めている。これは部分的には一部の国で法律の要請があることによるが、又企業がプラスになると信じているからでもある。多様化ということは主に女性と民族的少数者を意味するが、その様な仕組みは老齢勤労者の助けにもなる。たとえば母親の職場復帰を促進する様なフレキシブルな勤務スケジュールは老齢勤労者の在職を促進する。
  • しかし長期的には企業は真剣に従業員と彼等の退職プランについて話をする必要がある。多くの企業は労働者の人口構成がどの様に変わっていくかという特徴を捕らえていなく、何時どれだけの退職者がでるかほとんど分かっていない。デロイト会計事務所の人事部長によれば多くの企業は上級職にいる勤務員に「より少ない仕事とより少ない報酬」について話をすることに当惑している。また米国では雇用主側は往々にして退職プランについて話をすると年齢による差別条項に抵触して訴訟されることを恐れている。
  • これは残念なことである。メリル・リンチは昨年レポートの中で「ベビー・ブーマーは基本的には退職を再発明する」と述べている。そのレポートは「勤務」と「レジャー」のサイクル(つまり時々働き、時々遊ぶというスタイル)は65歳を越えるだろうと言う。
  • 追加的に金を稼ぐことに多くの焦点があたっているが、より多くの人は「精神的な刺激と挑戦」のために働くだろうと言う。米国ビジネスマン協会の評議会は「退職後の仕事はかって矛盾話法と考えられていたが今やそれは現実である」と評決した。

私がこの記事を読んでまず思い出したのは中国は三国時代の魏の曹操の息子曹植(そうち)が詠んだ七歩詩である。すなわち・・・・

豆を煮るに豆がらを燃やせば

豆は釜中にありて泣く

本これ同根に生ぜしに

相煮ることなんぞ太(はなはだ)急なる

これは曹操の死後、亡き曹操の寵愛を受けていた曹植を憎んだ長兄の曹否が「七歩歩む内に詩を作れ」と命じた時、曹植が作ったもの。つまり豆と豆がらの様な兄弟なのにどうしてあなたは辛く当たるのですか?という主旨である。

余談が長くなったが、恐らく日本の会社の然るべき立場にいた人は長かった不況期の間に一度や二度は肩たたき的なことをした経験があると思う。私もまたその例外ではなく多少この手の経験があるがその時もこの詩を思い出していた。

今度又ある程度選択的な再雇用制度を設けると又「再雇用する」人と「しない人」が出るのか?などと複雑な思いがよぎる。又会社側にいる私だって所詮豆がら、そう遠からず豆として煮られる立場になる・・・という少し悲しい気持ちもよぎる。

エコノミスト誌が述べる様に「退職後も給与はさて置き働きたい時に働く」というようなフレキシブルな制度が日本でも作ることが出来るだろうか?これは業種にもよるだろう。長い経験が重要な製造業では経験豊富な熟練者の技が要求される余地が多いと思うが、金融業に関しては私は余り楽観的ではない。しかし金融業に長年従事したものが「客観的判断力」とか「洞察力」あるいは「事実に即した記述能力」等を涵養しているとするならば、他の分野でも若い人のメンター(Mentor 助言者)として使える余地はあるのかもしれないとは思う。もっとも少し前から金融機関でも財産コンサルタント的な仕事にはOBを活用している。主に老齢層の資産運用相談などを行なっている様だ。これも豆と豆がらの関係に似ているが、これは豆がらも生かす方法である。いずれにせよこれからは高齢者同士でサービスを提供できるものはサービスを提供し、金を払えるものは金を払ってサービスを受けるといった社会が出現してくるかもしれない。

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奥日光でクロカン

2006年03月05日 | スポーツ

先週週末日光は光徳の日光アストリアホテルhttp://www.tobu.co.jp/kogyo/nikko/に泊まり周辺の散策と生まれて初めてのクロスカントリースキーを楽しんだ。

土曜日の午前11時半頃ホテル到着。昼食後湯ノ湖の林道から刈込湖方面を目指して出発。この日はスノーシューでの雪道散歩とする。ホテルの車で国道120号の閉鎖地点まで送って貰い、午後1時前ここからスノーシューを着けて雪で覆われ、車通行禁止の国道120号を歩行開始。しばらく行くと前白根山がくっきり見える。ここで写真を1枚。

Okusirane2

写真を撮った後、国道が大きく左に曲がるところから刈込湖に向かう道を辿る。夏道は1,667mピークの左裾をトラバースしているが、雪が堅くてトラバース不可能。先行者のトレースを追って北西方向に浅い沢を下る。ここは中々の堅雪でスノーシューの爪では降りがやや厳しく横向きの階段歩行で何とかこなす。しばらく歩き蓼ノ湖(うみ)に到着。湖の一部は水面がのぞいているが真ん中はしっかり氷結している様なのでここを渡る。しばらく樹林帯の中を刈込湖へ向かう峠を目指して歩くが、意外に時間がかかりそうなので午後2時過ぎに引き返しを決定。

次の写真は蓼ノ湖(うみ)を渡って戻るところ。小さな湖だがそれなりに雰囲気はあった。

Tadenoumi

さて午後3時前には湯元に戻りここから路線バスでアストリアホテルのある光徳に戻る。光徳を経由する路線バスの本数は少ないので要チェックだ。因みに午後3時15分に湯元を出るバスが光徳を経由する最終バスである。

ホテルに戻って硫黄の臭いの強い温泉風呂で一服。男体山が見える露天風呂が素晴らしい。夕食前のひと時、カメラを持ってホテルの回りを散策し夕焼けの男体山を撮る。

Nantaizanboshoku

ホテルから少し離れると樹林の合間から男体山を見ることができる。落日の少し前の山には華やいだ寂しさがある。私はこのアンビバレントな景色にひたりひと時を過ごすことが好きだ。

Nantaizanboshoku3

翌日曜日も昨日に引き続き晴。今日は生まれて初めてのクロスカントリースキーをすることにする。朝食後ホテルでクロカンスキーを借りる。スキーを履くのは割と簡単で、(専用)靴のつま先の底にある小さな金属のバーをスキー側の金具につなぐべくつま先を締め具に押し付けることでスキーが履くことができる。日頃山スキーで歩くスキーには十分慣れている積もりなのだが、クロカンスキーの板は山スキーより幅が細く、また板にエッジがないので最初は少し戸惑った。

午前8時50分戦場ヶ原に向けてホテルを出発。光徳から戦場ヶ原には光徳沼から逆川の左岸を辿るが写真の様にクロカンやスノーシューのトレースはしっかりついている。

Koutoku1

ホテルから30分弱で国道に到着、スキーを脱いで国道を渡り戦場ヶ原に入る。植生保護のため遊歩道以外の歩行・走行は禁止なので遊歩道に沿い泉門(いずみやど)池を目標にして疎林の中から葦の原っぱに向かう。

写真は戦場ヶ原から男体山を見たところだ。

Sennjyounantai

良く晴れて風のない日である。後でホテルの人に聞いたところ今年の奥日光は雪が少なく、現在の状況は例年の4月の様子だということ。泉門池の少し手前から引き返すがアストリアホテルからここ往復で約2時間である。我々5人のパーティの内3人がスノーシューで私を含む2人がクロカンスキーを使った。クロカンスキーで一生懸命走るとスノーシューより相当早くなるかもしれない。ただしクロカンは腕もよく使うので結構な運動である。

クロカンスキー・・・何事によらず初体験というのは気持ちの高揚を覚えて楽しい。クロカンスキーはスキー経験があれば簡単にできるのではあるが、エッジがないだけにアルペンスキーの技術(たとえばボーゲン)でスキーを制御するのは大変だった。一方スキーの裏がうろこ状になっているので少々の上り坂はそのままスイスイ登ることができる。まあ中々便利な遊び道具である。とは言うもののクロカンスキーは幅が狭くてバランスを崩し易く何でもない場所で2,3度ひっくり返ってしまった。このところ日光には新雪が降っていないということで雪道はカンカンに凍っていて転ぶとすこぶる痛い。しかしまあこの程度は新しい遊びへのトークン(token=通行料)と思い、快晴の雪原をカシャカシャとクロカンスキーで飛ばしていくとツグミが梢を渡っていくのに出会ったりする。雪と遊ぶひと時は本当に楽しかった。また機会がクロカンで乾いた冬の高原を歩いてみたいものである。

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アラバウアー、是非認定して欲しいですね

2006年03月03日 | スポーツ

トリノオリンピックで荒川さんが金メダルを取った時、にわかフィギュアスケートファンになった僕は荒川さんの得意技「イナバウアー」についてブログを書いた。といってもその時イナバウアーInabowerの語源が分からずブログの主旨は「イナバウアーの語源分かりませんか?」というものだった。その時点ではイナバウアーに関するインターネット記事は殆どなかったのだが、最近では語源まで説明した記事も出てきた。そこでイナバウアーはドイツのフィギュア選手の名前だということが分かった。

以下はヤフーサイトからポイントを抜書きしたものである。

  • 1957年の米国コロラドでの世界選手権で西ドイツ(当時)のイナ・バウアー選手がこの技を披露。同選手は現在デュッセルドルフ近郊でジュニアの競技会「イナ・バウアー杯」を開催している。
  • 元祖イアバウアーは足を前後にずらして足先を180度に開き横に移動する足技。荒川さんのイナバウアーは背中を反らせて見た目も美しいし、エッジを深く倒しているので難易度が高い。まさにアラカワ・スペシャルである。
  • フィギュアスケートには100近く技があるが、人名を冠したものは僅かに5つである。一番新しいのはスイスのデニス・ビールマン選手が成功させた両手で足を頭上に持ち上げる技でビールマン・スピンと言われる。
  • 今ブログで「アラバウアー」「アラカワバウアー」などの新語作りがブームになっているらしい。ただし新しい技が認められるには国際スケート連盟の技術委員会の承認が必要であるとのこと。

  アラバウアー、良いですねぇ。是非国際スケート連盟に提案してください。日本を元気にする良い話題です。

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ヘッジファンド最近(06年3月)の状況

2006年03月03日 | 金融

私のブログの中でヘッジファンドに関する記事には検索サイトからのアクセスがそこそこある。以前はヘッジファンドについて機関投資家に説明する立場にあったので調べたことを一部ブログに載せていたからだ。最近はヘッジファンドとの仕事上のつながりは極めて少なくなったが、ヘッジファンドに対する個人的な関心は続いている。

その理由は二つある。一つはヘッジファンドというものが色々な意味で金融取引の矛盾する側面を抱えており知的好奇心を煽ることで、もう一つは投資信託の形を通じてヘッジファンドの投資戦術を個人でも利用できる余地が拡大してきたことである。

ヘッジファンドに関しては欧米の経済紙(誌)の記事が多いのでまずエコノミスト誌の最近の記事のポイントを紹介しながら業界の最近の動きを見てみよう。エコノミスト誌は最近二つの記事を出している。一つは「ヘッジファンドというラベルはますます曖昧になっている」The label "hedge fund"is getting fuzzier by the dayというものでもう一つは「機関投資家の参入で鋭い武器とすばらしいリターンが失われつつある」As institutional investors move in, hedge funds are loosing some of their rough edges - and their spectaclar returnsというものだ。二つ合わせてポイントを紹介しておこう。

  • 多くの専門家が論じるところだが、ヘッジファンドを資産クラスと考える誤りがあるが、ヘッジファンドとは資産クラスというよりは投資戦略なのである。これについては事実、私が日本の年金基金向けの仕事をしていた時、機関投資家サイドのみならず販売業者や受託者サイドにも資産クラスとする考えが強かった様だ。
  • ヘッジファンドのリターンは低下している。クレディ・スイス/トレモント・ヘッジファンド指数は2005年に7.61%上昇しただけだった。ロンドンのあるビジネススクールの調査によれば、ヘッジファンドの5分の1以下しか投資家にS&P500等の指数以上のリターンを提供することができなかった。(もっとも今年1月に入ってヘッジファンド指数は3.23%上昇している。これは2000年8月以来の好成績)
  • トレモント指数の首脳によれば「今日ヘッジファンドに流入している資金の5-6割は機関投資家のものである」。この傾向は日本が一番強く、次に欧州大陸である。米国では遺産財団等の投資が多く機関投資家はより試し的な投資を行なっている。ロンドンに多くのヘッジファンドが拠点を置くにも係らず、英国の機関投資家はヘッジファンドの透明性の欠如からシニカルな見方をし一番投資が少ない。
  • 10年から15年前では投資家はヘッジファンドに対して年30-50%のリターンを求めていたが現在では年金基金は8-10%のリターンで手を打っている。ただし年金基金はより低いボラティリティを要求している。
  • 年金基金はアルファ(市場を上回る運用成果)を求めているが、これに懐疑的な投資家はこう言う。「我々は我々が運ではなく正しい戦略により市場リターンを上回る超過収益をあげることができるヘッジファンドマネージャーを識別できるスキルを持っているかどうかについて極めて神経質になっている」
  • 世界的な資産運用会社BGIの幹部は「マーケット・エクスポージャーは安く、アルファは高い」と言う。別の言葉で言えばヘッジファンドマネージャーは市場リターンを上回るために大きい報酬を求めているということだ。
  • ヘッジファンドの資産規模が大きくなるに連れて、ヘッジファンドマネージャーは慎重になる。彼らは「失敗を避けること」を目標にする様になる。というのはヘッジファンドの運用報酬は1,2%の固定報酬と一定の目標利回りを越えた時に受取る成功報酬で構成されるが、資産規模が大きくなると固定報酬だけで飯が食える様になる。するとそのファンドマネージャーは「高いリターンを目指す積極的な運用を行なって失敗し解任されること」を恐れそこそこの運用を目指す訳である。これを「資産維持モード」Asset retention modeと業界通は呼ぶ。
  • この困難さに対処するため英国の大手ヘッジファンド運用会社マン・グループは2つのタイプのヘッジファンドを提供している。一つは「透明性が高いがリターンが低い」タイプでもう一つは「透明性は低いがより高いリターンを提供する可能性が高い」タイプである。例えばマン・グループの中のAHLファンドは自動化された「ブラック・ボックス」トレーディングを通じて世界の100以上の先物市場に投資する。そのリターンは2005年に14.3%で設立以来では18.1%だった。

これに加えて最近話題になっていることは米国の投資信託業界で、ヘッジファンドの運用手法~空売やデリバティブ等の利用~を取り入れるべく、株主(受益者)に運用制限緩和を求める動きが出ているということである。

ヘッジファンド的運用を行なっている投資信託は日本にもある。例えばスパークス・アセットマネジメントは何本かの日本株ロング・ショート(日本株の買いと売り両建を行なう投資戦略)投信を立ち上げている。その中の「ロング・ショート・ストラテジー」という2002年3月設定のファンドの運用成績を見てみよう。当該ファンドの設定以来の運用成績は50.8%で、同時期のTOPIX58.2%より若干劣る。また過去3年間についてみれば同ファンドのパフォーマンスは64.47%でTOPIXの103.25%を大きく下回る。なおこのデータはスパークスがインターネット上で公表している簡単なデータを引用したもので、運用のばらつき度合いについて計数的な報告はないが、グラフを見る限りではスパークスのファンドの方が市場=TOPIXよりボラティリティがかなり低いということは付け加えておこう。

私はスパークスのロング・ショート運用力は中々のものと思うが、運用成果だけを見れば相場が強い時はヘッジファンドがインデックスに勝つことは難しいと改めて思う。むしろヘッジファンド的運用のポイントは、ボラティリティが低い絶対的利回り追求型の運用を行なうことにあるのだろう。

今しばらくの間、日本株は高いパフォーマンスを上げる可能性が高いがいずれ停滞する時期がくる。そうすれば優良銘柄を保有するのみならず下落すると見込む株を積極的に空売りする手法が日本でもより一般化することになるだろう。一般個人の投資家にとっては選択の幅は広がるが、運用者を選別するのが益々難しくなりそうだ。

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孫子の兵法から見た民主党5つの誤り

2006年03月01日 | 政治

今(3月1日)現在民主党の永田議員発言問題はまだ決着しいていない。それどころかこのまま行くと民主党の弱さが益々露呈してしまう状況だ。これについては日本の新聞には爆弾男が自爆したなどという言い方が出ているが、英語ではBackfireと言う表現が洒落ている。Backfireつまり逆噴射、裏目に出るということだ。さてこの問題を戦術論的観点から孫子の兵法の俎板に乗せて何が問題なのか考えてみようというのが今日の試みだ。

まず情報分析能力不足

孫子は「ただ名君賢将の能(よ)く上智を以って間となすものにして必ず大功をなす」「微妙にあらざれば間の実を得ることあたわず」と言う。間とは間者のことである。つまり極めて優れた人間がちょっとした兆候から真実を嗅ぎ分ける能力を発揮して、初めて間=間者・スパイを使うことができるということだ。

私は永田議員が積極的に間者を使って武部情報を探ったと言っている訳ではない。しかしどこから情報を入手した訳だから消極的にせよ、間者を使ったと同じ効果を狙った訳だ。ただそこから先がいけなかった。永田議員は微妙な兆候から真実を嗅ぎ分ける能力がないためガセネタを掴まされ墓穴を掘ってしまったのである。情報分析能力のないものが諜報活動まがいのことをするとこの様に惨めな末路を辿るという一例だ。孫子は「爵禄百金を愛(おし)みて敵の情を知らざるものは・・・人の将にあらざるなり」という言葉で諜報活動の重要性を説くのである。

次が統制不足

孫子は地形編の中で「将弱くして厳ならず、教道明らかならず、吏卒常なく、兵を陳して縦横なるを乱という」と述べる。つまりリーダーが弱くて厳しさを欠き指導方針も不明確で部下が動揺し戦闘配置が乱れている状態を乱というのだが、まさに今の前原代表の状況を表している。

次に統一理念の欠如

教道明らかならずに関連していえば、そもそも民主党には孫子の言う「道」というものが欠けているのかもしれない。孫子はまず最初に戦争をするには5つの要素を見極める必要があると言う。5つの要素とは道・天・地・将・法であり、その筆頭の道とは集団に統一性をもたらす基本理念である。孫子が道を最初に置いた意味は大きい。私は民主党に欠けているのはこの集団に統一性をもたらす道=基本理念ではないかと考えている。これに対する小泉自民党は改革という明確な道を掲げ、党内の反対分子を切り捨てることで集団の統一性を高めたのである。

次が不利な時の対処に誤りがある

孫子は地形編の中で六つの地形に大別してそこでの戦い方を示す。地形を広く解釈すれば状況ということだ。将=リーダーとはこの地形=状況を判断して戦うか退くかを決めなければならないのである。今の民主党の状況は孫子が言う「険形」に相当する。険形とはなにか?険形とは険しい地形であり、孫子は「敵まず之(険形)に居らば引きて之を去り従うことなかれ」と言う。もし敵が高台を占めているような場合はこれを避け、相手にしてはいけないということだ。民主党は自分で墓穴を掘ってしまった結果、今自民党が高台にいる訳だが、こういう場合はさっさと引き下がるのが戦略であろう。謝るべきは謝り出直すということでなくてはいけない。これを間違えてウダウダ言っていると損害が拡大するばかりである。

最後が厳正な処罰の欠如である

孫子が厳正について述べている文章は幾つかある。まず始計編で「将は智・信・仁・勇・厳」という。つまり厳正さはリーダーの重要な要件の一つというのだ。また行軍編で「卒すでに親附してしかも罰おこなわざれば、すなわち用うべからざるなり」と言う。部下がなじんでいて過失があってものこれを罰しないのでは狎れてしまって使えなくなるということだ。

以上が現在孫子に照し合せて民主党が犯している戦術上の誤りである。一党を御せない指導者達に国民は国の命運を託す気持ちにはならないと思うのだ如何なものだろうか?

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