金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

昭和記念公園の紅葉・黄葉は見頃!

2018年11月23日 | まち歩き

今日は午前中にワイフと昭和記念公園に紅葉狩りに出かけた。

三連休の初日快晴とあって人出は多い。

砂川口にマイカーを停めてレンタサイクルで立川口へ。秋の昭和記念公園を代表する景色は立川口の銀杏並木だ。

これはまさに黄葉だ。

紅葉とは関係ないがオトメツバキが美しかったので写真におさめた。

日本庭園ではオオモミジの赤がきれいだ。外連の技だがアートフィルターを使って赤を更に強調した。

なお紅葉は逆光が美しい。

中には黄色いカエデもあった。

日本庭園では赤とんぼが水面に卵を産み付けていた。拡大したいのだが標準ズームではこのあたりが限度だ。

昼ごはんは武蔵村山イオンモールでお寿司でも、と考えていたがこちらは行列ができていて断念。

3連休だが近場でのんびり過ごそうというご家族が多いのだろうか・・・

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認知低下高齢者の金融資産搾取の9割は家族・介護者・弁護士などによるもの~米国の話だが~

2018年11月22日 | ライフプランニングファイル

高齢化が進む米国でも、高齢者の認知機能障害により金を騙し取られることが増えている。

WSJにBanks monitor older customers for cognitive decline~銀行は高齢者の認知低下をモニターする~という記事がでていた。

概要は後程紹介するが、この記事で私が一番ショックを受けたのは、非営利団体・全国成人保護協会が「高齢者から金を騙し取っている犯人の9割は家族・介護者・牧師、医師、弁護士などの職業的受託者」と推定していることだった。

今年6月に証券取引員会が発表したところでは、過去1年間で米国の高齢者の6.6%が金を騙し取られている。二つのデータを掛け合わせると米国の高齢者100人の内6人は彼等を保護すべき立場にある人により、お金を騙し取られていることになる。

記事の本文に話を戻すと、幾つかの銀行では、人工知能を使って顧客の奇妙な動き~たとえば深夜にATMからお金を引き出す~を分析し、高齢者顧客の認知能力の低下を検知している。

また最近では、認知能力が低下した顧客に関する情報を金融機関同士で共有することで顧客の金融資産の保護を図るような動きも出てきた。これはマネーロンダリング防止に関する情報共有と同じ考え方によるものだ。

幾つかの金融機関の中には高齢者の顧客に「もしお望みならご家族にあなたの銀行勘定を閲覧する権限~ただし引き出し等の資金移動権限はない~を保護レイヤーとしてあたえましょうか?」という提案を行っているところもある。

これは良いアディアに見えるが、実は金融資産の搾取の9割は、認知障害により異常な財産費消を監視するべき家族や職業的受託者により引き起こされていると記事は続けている。

もしこれが事実であれば、高齢者顧客の認知能力が低下しているということを家族などに伝えることは、狼に獲物のあり場所を教えることになる場合もありうるという訳だ。

日本にこれに類する統計があるかどうかは知らないが、状況はある程度似通っていると考えておいた方が良いかもしれない・・・

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ゴーンと一緒に逮捕されたケリーという男~WSJの記事から

2018年11月22日 | ニュース

カルロス・ゴーンと一緒に逮捕された代表取締役のグレッグ・ケリーという人物を私は全く知らなかった。

日産内部以外では有名な人ではないそうだから、今回の事件まで知らなかった人が圧倒的に多いだろう。

WSJにケリーについての記事が出ていた。

ケリーは1981年に法学部を卒業して数年間弁護士として働いた後、1988年に米国日産に入社し、その後30年間働き続けた。

ケリーは欧州や日本の経営陣が率いる会社でトップ層まで上り詰めた稀な米国市民である。

ケリーはかって全日産の人事部門のトップでありまたコミュニケーション部門や法務部門のトップでもあった。

ケリーはゴーン会長に極めて忠実であり、彼の盾となりゲートキーパーの役割を果たしてきた。

ここまでは「事実」。

私が興味深く思ったのはケリーを知る人物が彼のことを悪く言っていないことだった。

「ケリーは私が過去に会った中で、最も有能で倫理的な役員だった」日産とルノーの提携をアドバイスした自動車業界の重鎮ジム・プレス氏。

「ケリーは極めてプロフェッショナルで、実直なstand-up な男だった」かっての同僚。

これはWSJが彼のことを良く言う声を拾ったからかも知れないが・・・

62歳のケリーは、フロリダの自宅で魚釣りにもっぱら多くの時間を費やしているという。

内部管理について有能で倫理観もあったと思われる人物がなぜ調べられれば容易にわかりそうな悪事に手を染めたのか?

倫理とゴーンへの忠誠を秤にかけると忠誠が重たかったのか?

あるいは内部告発に基づく検挙に何か欠缺があるのか?

その辺りはわからない。釣り好きに悪人はいないという言葉があったような気がするが、これとて例外のない規則はないから当然釣り好きの中にも多少は悪人もいるだろうし・・・

 

 

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ゴーン逮捕に関する幾つかの素朴な疑問

2018年11月21日 | ニュース

今週月曜日は比較的早く帰宅し、午後6時のNHKを観ていると、日産のカルロス・ゴーン逮捕のニュースが流れた。第一報では金融証券取引法違反の容疑ということだったと思うが、次第に5年間の報酬を実際の受取額より約50億円少なく報告していたということが明らかになってきた。

日産社内の内部告発だな、とピンときたがやがて司法取引があったことが報道された。また会社のお金の不正流用嫌疑も報道され始めた。

本件について新聞記事を流し読みした程度なので詳しい事情や背景はわからないが、ごく素朴な疑問をいくつか持った。

第一に毎年10億円以上報酬を受け取っている(いや容疑が事実であれば20億円受け取っている)男が逮捕をされるリスクを冒して不正行為に手を染める必要があったのか?という点。

少し前にブログで「掴み切れば捨てることができる」可能性があるが、この法則はゴーンには当てはまらなかったようだ。彼には望蜀の法則(人足ることなきを苦しむ。隴を平らげてまた蜀を望む)が当てはまったようだ。

次に脱税違反が嫌疑に入っていない点。

三番目に巨額の報酬計上漏れ(ストックオプションの一種のようだ)や会社資金の不正流用を日産の内部監査室や会計法人あるいは監査役が気が付かなかったか?という点だ。

監査法人や監査役の中には青くなって疎明材料を探しいている人がいるかもわからない。

最後の疑問は「検察はゴーンから自白を引き出せるか?」という点だ。

ゴーンがどこに拘置されているかは知らないがWSJは「検察は拘置場所を明らかにしていないが、複数の弁護士によると彼は畳と布団のある小部屋に拘置され、規則正しい3度の食事と十分な睡眠が与えれらるだろう」と述べている。

被疑者は弁護士と接見することは認められているが、尋問に弁護士が同席することは日本の法律では認められていない。

これは被疑者の尋問に弁護士の同席を認める米国などと違う点だ。2,3日の尋問の後、検察は裁判所に最長10日間の拘置(さらに10日延長されることが多いようだ)を請求し、認められることが多い。

脱税違反が嫌疑の中に入っていないのは、検察が再逮捕を視野にいれているからだろうか?

弁護士協会によると9割の被疑者は犯行を認めるというが、はたしてゴーンの場合はどうだろうか?

金融証券取引法の罰則は最長10年の懲役だ。今回の嫌疑は会社の業績を良く見せようとする決算操作より悪質性が高いと言われているから有罪となった場合、実刑判決になるかもしれない。

海千山千のゴーンがどのような対応を見せるのか野次馬的興味はある。

 

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掴み切るから離すことができる

2018年11月18日 | ライフプランニングファイル

昨日相続学会の研究大会・パネルディスカッションで恵林寺のご住職・古川周賢老師から聞いた言葉「掴み切るから離すことができる」。

字句は不正確かもしれないが趣旨はあっているだろう。

釈迦が開いた本来の仏教では「苦しみの原因は執着にある」(集諦)のだから「執着を断ちなさい」(滅諦)と教える。

日本仏教の中では最も本来の仏教に近い禅宗も執着を断て、と教えるはずだから古川老師の言葉は仏教の教えに一見反するかのようにも見える。

だがもう少し深く考えてみよう。

実は本来の仏教も禅宗も出家者(富も地位も捨てた人)への教えである。別の言い方をすれば、本当にこの世の苦しみから脱却したいのであれば出家しなさいという教えである。

だが皆が出家してしまうと世の中は回らない。現実に我々は富や地位を求めながら生きている。富や地位への執着は社会を発展させる原動力なのだ。

少し話を広げて「生き切るから満足して死ぬことができる」という命題に置き換えて考えてみよう。

恐らくやるべきことをやったという人はこの世に執着が薄くなりそれほど死を恐れないと考えることができる(それでも生に執着する人もいるだろうが)。

つまり生を捨てる(死ぬ)には一度生を掴み切ることが必要なのである。生を掴み切るプロセスとは執着するプロセスである。

執着するものは、事業であったり、趣味であったり人さまざまである。だが極められるところまで極めることが大切なのだ。

極め切って満足するから離すことができるのである。

古川老師の言葉を私なりに解釈するとこのようになるが、正しいかどうかはもちろん分からない。

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