小林照幸『野の鳥は野に 評伝・中西悟堂』(新潮選書)を読みました。
描かれている中西悟堂さんは奇人にして偉人。文明と自然についての言葉は、今こそ思い出されるべきだと思いました。
個人的に驚いたのは、少年期の悟堂(その頃は本名の「富嗣(とみつぐ)」ですが)氏が、東京府北多摩郡神代村の祇園寺に住んでいたということ。養父がそこの住職だったという。
祇園寺は我が家から歩いて5分ほどのところにあります。深大寺の末社として由緒あるお寺ですが、すごく地味。こんなところに中西悟堂少年がいたのか……と、ちょっと興奮しました。
悟堂少年は祇園寺から歩いて深大寺に通い、そこで修行して得度したそうです(得度して「悟堂」と名乗った)。
祇園寺から深大寺まで歩くと10分くらいでしょうか。ルートは、谷をたどるもの、尾根を登るものなど色々と考えられますが、果たして若き中西悟堂はどんなふうな道を歩いたのか。
たぶん、ひとつの道と決めずに、その日の気分でコースを選んだのではないでしょうか。私なら、そうする。カニのいる沢を通ったり、見晴らしの良いハケ上を長く歩いたり。その頃はもちろん中央高速なんかなくて、武蔵野の雑木林が繁っていたはず。小鳥もずいぶん多かったでしょうね。
中西悟堂の著作を本格的に読んでみたくなりました。