もちろん市民プールへ行きました。
で、戻ってからの夕飯はカレーライス。ドリンクはビール――といきたいところですが、経済性を考慮して発泡酒。劣らず美味しいと思います。ほとんどビールそのもの。
プールにビール(発泡酒)にカレー!
文句なしの夏の3点セットですね。幸せ。
で、戻ってからの夕飯はカレーライス。ドリンクはビール――といきたいところですが、経済性を考慮して発泡酒。劣らず美味しいと思います。ほとんどビールそのもの。
プールにビール(発泡酒)にカレー!
文句なしの夏の3点セットですね。幸せ。
最高気温 34.0℃(隣町アメダス)。午後3時頃、にわか雨があって一時的に少しは気温が下がりましたが、湿気のひどさは増すばかり。プールで体を冷やしながら運動する時間がなかったら、すっかりへばったままでいたはず。
今日の演芸タイムは3代目古今亭志ん朝「明烏」。
1981年の音源ですから、志ん朝師匠は43歳。明朗で、くっきりとした高座で、可能なら仕草や表情も見たかった。
堅物の若旦那の造形が肝要なところでしょうね。行儀が良くって、用心深くって、心配性。吉原の夜の世界に引きずり込まれることを心底嫌がっていて、しまいには「助けて~!」と叫ぶ。
一夜明けて、花魁に布団の中で体を脚で挟まれ、「苦しくって」と弱々しくも、嬉しそうに漏らすところが絶妙。この人の将来が危ぶまれます(笑)。
私にとって、志ん朝さんといえば、子供の頃に観たNHKドラマ「若い季節」。品が良い、都会人の若者という印象が刷り込まれました。
ある時からテレビ出演を断り、高座に専念したそうですが、若い時のイメージは薄れないんですね。怖いもんです。
2001年に亡くなった時は63歳。今の私よりも若かったとは。もったいない。
神代植物公園園長さんのツイートに気づいたのは昨日のこと。どなたかがリツイートしてくれてたんですね。
それによると、ショクダイオオコンニャクの花が昨夜11時に全開したとのこと。
7年に1度、1~2日しか開花しない花だというので、今朝、さっそく出かけました。さいわい自転車で10分足らずの距離です。
9時半過ぎに着くと、いつもより30分早く開園していたとのことで、この花を目当てにした人たちがたくさん来ていました。バラ園テラスに置かれた大きな鉢まで、列に並んで待つこと30分。
高さ1.9メートル、花の直径1メートルという巨大な花と対面しました。ニョキッと突き出たのは「付属体」と呼ばれる器官。この付け根に花序があり、雌花と雄花が密集しているそうです。ぐるりと取り巻いているのが仏炎苞。少し閉じ始めているのかな。
花は匂いで甲虫を呼び集めるそうです。近くで嗅ぎましたが、完全に腐った肉の匂い。薄れていたから、さほど閉口しませんでしたが、午前8時ぐらいには耐えられない強烈さだったと、説明係の人が言っていました。
匂いで呼び寄せられた甲虫は仏炎苞の中に落ち、花序の下半分にある雌花に触れて、他の花からつけてきた花粉をまぶします。その後、雄花が開花して仏炎苞がしおれ、今度はこの花の花粉をつけて甲虫たちが飛び立ってゆくそうです。
いやあ、凄かった。夏休みが始まったばかりの子供たちにも良いプレゼントだったと思います。
最高気温 34.9℃(隣町アメダス)。梅雨明けから暑い日がつづきます。
今日で3日連続市民プール通い。少しずつ常連さんとも顔を合わせるようになりました。
シマミミズを飼っているミミズ御殿は、私の仕事部屋の隅においてあります。室外だと夏冬の寒暖の差の影響をうけやすいので、できるだけ安定した環境で、と考えてのこと。
しかし、このところの高温はミミズたちにも過酷そのもの。仕事部屋でも34度ぐらいになりますからねえ。
シマミミズの活動に最適な温度は15度~20度。生存可能域は、4度から30度の間だといいます。
ミミズのベッドは湿っていて、気化熱のため室温までは上がっていないはず。しかし、いかにも苦しそうで、蓋を開けてみると、空気の動きがある蓋周辺にたくさん固まっていたりします。
このままでは良くないと思い、今日は蓋の上に凍らせた保冷剤をたくさん置いてみました。プラスチックの蓋越しに、冷気が下にゆくはず。
効果はてきめんで、蓋周辺に固まっていたミミズの姿は消え、ベッドの中に潜り込んだようです。
気温が30度を超える日は、こうやって冷やしてやろうと思います。
最高気温 34.1℃(隣町アメダス)。
今日も市民プールへ。大先輩男性スイマーがいらしてたので、互いの健康を祝す挨拶を交わしました。
1年近く泳がないでいると、大まかな泳ぎ方は覚えているものの、細かい体の使い方がわからなくなっていたりします。
それでも泳いでいると戻ってくるもので、今日はクロールの手の掻きのプッシュを思い出しました。これを意識するとしないとで、50メートルのタイムが5秒違いました。昨日は1分ちょうどぐらいだったのが、今日は55秒。平泳ぎやバックの勘がむずかしい。
夕食後の演芸タイムは先代金馬師匠の「孝行糖」。
親孝行をお奉行に褒められた与太郎が、ご褒美のおカネを元に飴家を始めた。その名も「孝行糖」。調子にのって売り歩くうちに小石川の水戸屋敷の門の前で大声を張り上げたものだから、門番にこっぴどく殴られてしまう。「どこを叩かれた?」と知り合いに聞かれ、「こーこーと、こーこーと……」。
他愛ない噺で、本編はすぐに終わってしまいます。金馬師匠はマクラでもの売りの声をたくさん紹介して、江戸情緒たっぷりの心地良い世界を展開します。その中に、大正天皇は納豆売りの声色が得意だった、などというのがあったりして、ちょっとびっくり。小さい頃、高輪のお屋敷にいる頃、よく聞いておられたとか。
昔のもの売りは風情がありましたね。肉声で、調子をとりながら、歩いてまわる。
今は竿竹売りや廃品回収のトラックが拡声器でがなり立ててゆきます。迷惑でしかない。もうちょっと工夫のしようがあるんじゃないでしょうかねえ。