昨夜は三軒茶屋の昭和女子大人見記念講堂へ出かけて 「遊声」第18回演奏会。4つの大学の合唱団の歌声を楽しみました。
35、6年前は同じ世田谷区の隣町・駒沢に住んでいたので、あのあたりには懐かしさを感じます。国道246は、当時、バイクで走り馴れた道。
ただ、三軒茶屋の街はずいぶん変わっています。何度か通った肉のハナマサ奥の映画館ももうないらしい。
ゆっくり歩く間もなく、世田谷線の駅近くにあるベトナム屋台でフォーを食べて帰宅しました。美味しかった。
今日の演芸タイムは柳家金語楼「問わず語り」。1972年5月、NHKテレビ「園芸独演会」での自伝風漫談。最後に宮田輝アナウンサーによるインタビューが入っています。
師匠は同年10月に胃癌で亡くなっていますから、その半年ぐらい前の口演。とてもお元気な話しっぷりです。
金語楼さんは6歳で高座に上がり、兵役中に病気になって薬のため頭髪を失ったり、いくつもの発明品を世に送り出したりとか、色々とめまぐるしい人生を送っていますが、ここでの話は寄席での芸にまつわるもの。
高座に穴があくのに困った寄席の人が、そこにいた幼い金語楼さん(父親は2代目三遊亭金馬)を急遽デビューさせたというのですが、その時は、小さい子がただ「おい八つぁん」というだけで客席が沸いて話が続けられなかったこととか、最後にカッポレを踊った時、着物を尻っぱしょりしたら、当時は下着をつけていなかったので下半身丸見え。「可愛いのが出たよ」と大ウケで、おひねりや剥き出しの硬貨がたくさん飛んできたとか。10分ほどの高座で工員さんの賃金の8~9か月分ぐらいになったそうです。
13歳の時の日記には、玄人女性の名前がたくさん書かれているという告白も。すでに男と女の付き合いをしていたのでしょう。昔の芸人さんは破天荒ですなぁ。
「兵隊落語」は当初、ウケなかったが、ある時、次の演者が来ないので時間つなぎに上官との対話を延々とやった。本当に困った感情が入ってたせいか大いに笑ってもらい、「これで出来た!」と思ったが、次に同じようにやってもダメだった。「これならウケるぞ」という気持ちが演じる側にあったからだという。
子どもの時から芸を積み重ねてきた人ならではの芸談にはとても興味深いものがありました。