金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
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6歳から英語の勉強~ただし中国の話だが

2006年04月19日 | 国際・政治

日本では今「小学校から英語を教えるべきだ」とか「いや、教えるべきでない」といった議論が盛んである。私のこの問題に対する意見は「条件付で賛成」であるが、それは後述するとして、まず中国で英語熱が高まっているというエコノミスト誌の記事を紹介したい。我々は日本人単独で経済活動や政治活動をしている訳ではない。いやおうなく隣国の影響を受けるのである。中国に英語を話す人間が何億人も出現するとすれば、それは日本人にとって吉なのか凶なのか? などと考えながら英語教育問題を考えるのも悪くはないだろう。以下はEnglish begining to be spoken hereのポイントを意訳したもである。

  • 学生時代に文化大革命の影響を受けた古い世代の人々は殆ど英語を話すことができない。より若い世代も厄介な言葉と文法の暗記に固執する古ぼけた学校システムを通り抜けるのに苦労し、自由に英語を操れない。
  • 今中国は英語に夢中になっている。昨年中国を旅行した英国のブラウン蔵相は向う20年の内に英語を話す中国人の数が英語を母国語とする人の数を上回ると観測した。このため英語教育にかかわる市場に火がついている。「中国の英語教育市場は年間600億ドルで世界最大の市場である。」とTOEFL(有名な英語のテスト)を開発した米国のETSグループは推測する。
  • 英語教育にかかわる市場の大きな部分は辞書、教科書、授業の補助教材等の教育ツールにかかわるものである。最近政府が英語教育開始年齢を12歳から9歳に引き下げたため、教科書に対する需要は急拡大している。英語教育の開始年齢については多くの東部の都市では、6歳から英語教育を開始し始めている。ある推定では、中国の出版物の5分の1が英語だという。私的な英語学校は元々大人を対象にしたものだったが、現在では子供の生徒の方が多くなっている。また幼稚園では4歳児から英語を教えるところもある。
  • 成人と大学生はイリノイ大学、メリーランド大学、ノッティンガム大学といった外国大学(中国にある)のビジネス英語クラスを選択することができる。
  • ハイテクを利用した英語教育も盛んになっているし、英語検定も急速に成長している。これは海外留学を目指す学生が増えていることと、中国企業が英語力の証明を求めているからだ。
  • 以上のようなことから英語ビジネスにおいて外国勢は有利な位置にいるが、これらの事業が総て既に利益に結びついている訳ではない。教育は高度に規制されている。外国人は中国で出版を行なうことはできない。著作権を中国人出版社に渡し、ロイヤリティを受取ることができるだけである。
  • また中国政府は日本政府と違って、英語のネイティブ・スピーカーを歓迎しない。日本では19年の歴史を持つJETプログラムがあり、数千人の外国人教師が公立学校で教鞭を取っているが、中国では数年前まで、私立の語学学校で外国人教師を採用しても、罰金の対象になり得た。
  • 中国の英語に対する熱意は明らかであるが、中国共産党が許す場合に限りそれは利益のあるオープンな市場になるだろう。しかし共産党はそうすることに気が進まないのである。何故なら英語の教科書と先生とともに西欧風の学習とものの考え方が広がり、それが共産党の権威をいつか脅かすかもしれないからである。

さて日本でも早い時期から英語を学ぶべきかどうかということについて私の意見を言えば次のとおりである。

  • 早い時期から英語教育をするべきである。しかし英文学教育をする必要はない。日本では中学や高校で英米の著名な文学者の作品を読み、その解釈を勉強したりするがこれは全く意味がないことである。英語教育は必要だが、英文学教育は中学・高校レベルでは全く不要である。また必要以上に難しい単語や表現を勉強する必要も全くない。具体的にいえばアメリカの大衆紙US Todayが読める程度の英語力を普及させることが必要である。
  • ついでに言えば日本の国語教育も全く間違っている。(少なくとも私が授業を受けた頃は)そこには文学教育はあるが、実用文章教育がない。実用的な文章とは、誰が読んでも同じ内容が正確に伝わる文章のことであり、文学作品の様に読み手により異なる解釈が起こるのでは困るのだ。
  • 以上まとめていうと、国語を実学的にすることで時間を捻出して、その分を実用的な英語教育に当てればよいというのが私の結論である。私は中学や高校で難しい日本語・英語の勉強をするのは、上級学校の難しい入学試験に対応するためではないかと思っている。しかし実社会で必要なことは、著名な文学作品の解釈より達意のビジネス文書を書くことである。それが英語であれ、日本語であれ。

何十年か経って、英語の達者な中国人が日本を含むアジアの市場を席巻し、日本人が肩身の狭い思いをしている様は見たくないと思う次第である。

コメント
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