金融そして時々山

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「天台の国宝」を観る(1)

2006年04月07日 | アート・文化

ワイフと東京国立博物館に「最澄と天台の国宝」展を観に行った。

Tendai1

平日の午後半日会社を休んで観に行ったのだが、結構混んでいる。開催期間が1ヶ月強の特別展だけに週末や休日は相当混みそうだ。特に入り口付近が混んでいる。入り口に近いところに国宝級の古文書がありそれを真剣に読む人がいて混んでいるのだ。古文書の中には「国宝」の語源になった最澄の「一隅を照らすすなわち国宝なり」という言葉を含む天台法華宗年分縁起など貴重そうなものが多い。もっとも私は古文書などほとんど読む力がないのでさっさと進みたい方である。

展示場も中程まで進むと少し空いてくる。入り口付近で一つ一つの古文書に執心している人々を見ると「世の中にはかくも教養の高い人が多いのか?」と少し自信をなくしていたが、大概の人はしばらくすると古文書に飽いてくる様なのでほっとする。

しばらくしてワイフが疑問を投げかけてきた。「比叡山って織田信長の焼き討ちにあったのにどうしてこれだけ仏像や宝物が残っているの?」「うーん、比叡山といっても広いから焼けない伽藍もあったのじゃないか」「そう?木が多いから直ぐ燃え移っちゃうのじゃないの?」「分かった。調べてみよう」ということで少し織田信長の比叡山焼き討ちの実態を調べてみることにした。

とは言ってもこれだけのテーマになるとインターネットをちょっとサーフィンして答を見つけるという訳にもいかない。ネットの中には「織田軍の武将の中に比叡山に同情するもの~例えば佐久間信盛など~が、焼き討ち前に情報を伝えたので、比叡山側が一部なりとも仏像・宝物を持ち出すことができたのではないか」という推論が出ているが信憑性の程は不明である。

歴史には往々にして前の時代の実験者・為政者を悪く言う傾向がある。とは言え織田信長の比叡山焼き討ちについては信頼性の高い「信長公記」に記述があるのでまず間違いのない話なのだが、その焼き討ちの範囲や同情者による密かな救済の有無等については意外に面白い研究テーマかもしれないと思った。時間がかかっても挑戦してみたいものだ。

そんなことで「最澄と天台の国宝展」の印象については別途記事にする。

コメント
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