金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

過熱する米国の自動車安売り合戦

2009年01月07日 | 社会・経済

米国で自動車の安売り合戦が過熱している。米国で車の値引きが進んでも、一日本のユーザーである私に直接の影響はないが「車屋さんは将来もっと値引きしそうだから、今車の買い替えを考えることは止めよう」という気持ちを起こさせるから面白いものだ。大袈裟にいうと情報のグローバル化の弊害(自動車メーカーにとって)と言えるかもしれない。

ファイナンシャル・タイムズによると、米国でヒュンダイ自動車が「オートローンで車を購入して、1年以内に失業するか個人破産を申請した場合、自動車を返却していただければ、ローンの残債は免除します。個人信用履歴も傷付けません」という販売促進策を始めた。言わば自動車の条件付ノンリコース・ローンだ。

FTによるとヒュンダイは、アラバマ州でソナタ、サンタフェを月間17,000台生産しているが、先月売れたのは生産台数の76%に相当する12,900台だ。これ自体は中々立派な数字に見えるが、ヒュンダイは減産を行っているからだ。前年比では売上は48%減っている。

調査会社によると、先月の全米平均の自動車1台当りの販売促進費(ディーラーは値引きの財源に使える)は、史上最高の2,902ドルになっている。従来販売促進費を抑えていたトヨタですら、昨年は販売促進費を倍の1,995ドルに引き上げている。

12月に売上が前年比53%減少したクライスラーは、2008年モデルを6千ドル、2009年モデルを3千ドル値引きして販売している。

しかしディーラーが値引きしても、現在の環境化では販売促進効果は限られていると業界アナリストは見ている。あるアナリストによると根本的な問題は現在消費者がこれ以上借金することを望んでいないことによる。

さて日本では今後ディーラーはどのような販売策を打ち出してくるだろうか?

これは私の全くの個人的な見解で責任は持てないが、もし今どうしても車を買う必要があるのならば「ディーラーが数年後の残価を保証するリースが安全ではないか?」と感じている。というのはこれだけ販売不振が続き、値引きが激しくなると将来自動車の中古価値が値下がりする可能性が極めて高いからだ(米国ではSUVの価格が暴落して、自動車リースがストップとなった)。

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「融資枠の設定」に多少の感慨

2009年01月07日 | 金融

今日(1月7日)の日経新聞朝刊に「企業が有事に備えて設定した『融資枠』の利用(借入)が急増し、08年11月末の利用額は5.7兆円に達した」と報じている。融資枠の総額は25.7兆円と報じられているので、利用率は22.2%とかなり高い。資本市場が円滑に機能している時期は優良企業は通常CP、社債などコストの安い調達方法を利用するので、「融資枠」の利用はほとんどない。「融資枠」がこれ程使われているということは、資本市場がかなり麻痺している証拠だろう。

ところで「融資枠」がこれ程利用されることについて多少の感慨がある。というのは10年程前米国から帰国した私は、米国では一般的だった「融資枠」という仕組みを日本でも普及させたいと考えていたことがあった。「融資枠」というのは、将来お金を借りることに備えて企業が銀行に枠に対して一定の手数料(新聞には0.1-0.2%程度と書いてあった)を支払っておくという仕組みだ。ところが当時の議論は「お金を借りていないのに、利息(正確にはコミットメント・フィー)を払うと金利が無限大になる(あるいは小額の利用でもコミットメント・フィーを利回り換算すると非常に高い金利になる)ので、上限金利に抵触する」というものだった。(その後99年に特定融資枠契約に関する法律が制定されこの問題は解決した)

それから約10年たって日本でも「融資枠契約」が有事に利用されることで、今後拡大することになれば、健全な金融取引の発展につながると私は考えている。何故健全な金融取引の発展につながるか?というと「融資枠契約」が銀行と企業の口約束ではなく、企業がコミットメント・フィーを支払う代わりに契約期間内であれば財務制限条項等に抵触していない限り、自由に利用できるからである。

このコミットメントCommitmentという概念が大切だ。コミットメントは単なる約束という意味よりも強い意味を持つ。つまり絶対守らなければならない約束というニュアンスだ。契約の双方が対価を払う替わりに対等な立場に立つということが大切なことだ。

日本では企業と銀行の関係がどうもアンバランスなような気がしている。金融緩和時期には銀行が腰を低くして企業にお金を借りて下さいとお願いする。一方金融の逼迫期には銀行が床柱を背に座っているという感じ。つまり中々「対等な立ち位置」でビジネスを行うという状況が少ないのではないか・・・・と私は感じている。「融資枠」取引というのは企業・銀行の双方が対等の立ち位置でビジネスを行う良い取引方法だと私は考えている。

余談になるが取引相手に対する態度という点で日本ではイビツな人が多い。自分が売り手の時はペコペコする替わりに、自分が客になったとたん居丈高になる人の何と多いことか!コンビニの窓口で売り子さんが何か言っても、返事をするのも不愉快とアゴで答えている人を見かけると、その人の人間性が貧相に見えてくる。そういう人達は「お客様は神様だから、何でもいうことを聞け」とでも思っているのだろうか?

(もし「お客様は神様です」という言葉を英語でCustomers are god(s).と直訳したら、この言葉の不遜さが分かるというものだが。)

本来モノを売り買いしたり、銀行からお金を借りるというのは代金を払う・利子を払うという双務契約であり、買い手が偉い訳でもなければ銀行が偉い訳でもないし、借入人が偉い訳でもない。お互いがビジネスパートナーなのであり、お互いが適度のマナーで接する・・・・というのが、成熟した契約社会というものだろう。

もし金融危機が「融資枠」という媒介を通じて、成熟した契約社会を日本にもたらすなら一時的な危機も悪いことばかりではない・・・・そこまで言うと言い過ぎだろうが。

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