オバマが大統領に選ばれる過程や就任式を見ているとアメリカという国は古代ローマの政治制度を一番受け継いだ国ではないか?という気がしてくる。帝政以前の古代ローマは民主主義国家であったが、軍事的な危機などに際しては期限限定で、デクタトール=独裁官を選んで、内政・外交・軍事の大権を委ねる。古代ローマ人は民主主義は平時には機能しても、国家の危機に際しては機能しないことを知っていたのだ。また権力の座に一人の人が長く座り続けると弊害が出ることを知っていて独裁官の任期を短くしたのである。
アメリカの政治制度を作った人達もこのことを良く知っていて、大統領に大きな権限を与えるとともにその任期を最長8年に限ったのである。
オバマ大統領が直面する問題の大きさについては、過去数十年の中で最大級だということは総てのマスコミが述べているところなので、ここで繰り返す必要はない。
むしろ私はオバマとジュリアス・シーザーとの対比で考えてみた。タリバーンなどのテロリストとの戦いや核兵器を開発や拡散を試みるイラン、北朝鮮などを押さえ込むといった外交上の課題、あるいは世界的な不況、アメリカの医療保険の問題などの経済・内政上の課題を考えるとオバマのタスクの困難さはシーザーのそれに優るとも劣るまい。
シーザーは終身独裁官になる野望のゆえ凶刃に倒れたが、彼は当時もそして今も民衆から最も尊敬された英雄である。
塩野七生さんの孫引きだがイタリアの高校の教科書に次のような文章が出ているらしい。「肉体の健全、類まれなる寛容、説得力、知性、持続する意思(順番はオリジナルと異なると思う)を兼ね備えた人間は古来シーザーしかいない」
つまりこれらが西洋社会が認める英雄の徳目である。激しい選挙戦を戦ったヒラリー・クリントンを国務長官に迎えたこと、数億人をテレビに釘付けした就任演説、誰しもが認める教養と知性の高さ・・・などを見るとオバマはこの多くの徳目を持っていると私には見える。またアメリカの選挙民は「危機においていかなる徳目を持つ人を選び、国を委ねるべきか」ということを知っていたといえる。
無論彼が英雄の列に加えられるかどうかは今後の「戦果」次第であり、その「戦果」は運に左右されるところも大きい。そう、運もまた大きな英雄の条件なのだ。
眼を日本に向けてみよう。アメリカの政治制度が古代ローマの下流にあるように、日本の政治制度もまた幕藩体制や徳川政権の政治制度の下流にあると考えられる。それは何かというと「密室型合議制度」なのである。
スピーチを演説と福沢諭吉が訳すまで「演説」という言葉が日本になかったことで自明のとおり、日本では政治家・指導者が民衆の前で演説して人々を鼓舞することがなかった。(戦国時代に大名や大将が兵士を前に訓示したことはあるが、平和な江戸時代にはなくなった)
日本ではデクタトールは極めて少ない。織田信長位だ。近世・近代では井伊直弼や大久保利通が一時独裁的な権力を振るうが権限は小さい。彼等は「寛容」や「説得力」に欠けるので、ローマ基準の英雄には全く該当しない。そして何よりも当時も今も人気がないのが欠格条件だ。
危機に際して国家の命運を担うデクタトールを持てないことは、第二次大戦を見れば一目瞭然だ。東条英機の権限などヒットラーはおろかルーズベルト大統領の足元にも及ばない。恐らく米国の一方面司令官程度の権限しかなかったのではないか?そして彼も又当時も今も全く人気がない。
色々なことを述べて来たが、日本人は独裁者を頂くことが嫌いであり、日本とはそれが通ってきた国なのだということは理解しておいて良いだろう。通用してきたということは、国が存亡の危機に瀕することが少なかった・・・ということなのかもしれない。
数少ない危機であった幕末には何人かの「英雄」がバトンタッチしながら乗り切り、日中戦争から第二次大戦にかけてはリーダー不在のまま国を滅ぼしたのである。そう、そして戦後の混乱を立て直したのは良し悪しは別として進駐軍なのだから、日本人は良いフォロワーにはなれても、自ら英雄的なリーダーを選ぶことが苦手な国民である・・・ということは自覚しておいて良いことだろう。