金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

私の心身脱落その2

2009年01月11日 | うんちく・小ネタ

今日(1月11日)角川シネマ新宿にワイフと映画「禅」を観に行った。歌舞伎役者の中村勘太郎が道元を演じるまじめが映画である。朝一番の上映時間に行ったが、中高年の観客を中心に中々混んでいた。この手のまじめな映画としては、出色の興行成績だろう。

「道元」を観ながら感じたことは、映画全体を貫く禅の緊張感と道元の志操の高さの心地よさである。道元は遊女の子供の死に涙する人間としての優しさを持ちながら、修行には厳しい。また執権北条時頼の「寺院を建立しよう」をいう申し出にもきっぱりと断るほど世俗へ強い決別の意志を持っていて、これが混濁した世を渡っている我々には深山の清水のように清々しい。

道元は生涯、中国で出会った師如浄の教え「国王大臣に近づくことなく、ただ深山幽谷に居して一箇半箇を接得し吾宗を断絶せしむることなかれ」を守ったのである。

映画の中で道元は討伐した三浦一族の亡霊に悩まされる北条時頼に「現実をありのまま受け入れなさい」と教える。執権という権力を右手で持つ以上左手に殺戮という禍々(まがまが)しさも持たなければならないということである。その時示した和歌が「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり」というものだった。道元の教えは「仏は人の心にある。その仏を見よ」というものでシンプルといえばシンプル。ただしシンプルということは容易に到達できることを意味しない。

映画の中で道元は死の少し前に仏教の根本的な教え八大人覚(はちだいにんがく)を説く。音声から漢字を想起するのが難しい言葉もあるが分かる言葉は分かる。最初は「少欲」次が「知足」だ。これは欲を少なくして足るを知るということだから、日頃の生活や仕事の上でもこの時期有用な警句だ。米国発の住宅バブルの崩壊などまさに少欲・知足の精神が欠如していたことによる。その後楽寂静(ぎょうじゃくじょう)、勤精進(ごんしょうじん)と続いていくが、詳しいことは分からないので省略する。いずれにせよ「言うは簡単、行うは困難」なことであろう。

私に道元の清々しさは分かったが、しかし彼の教えが心の中にストンと落ちたわけではない。「座って座禅することが覚りそのものだ」という境地は頭で漠然と理解できても行動が伴わないのである。もし道元禅師が「座禅でなくても心身を没頭できることであればそれをしなさい。その時の心の喜びそれが悟りの境地である」と明言してたならもっと分かり易かったのだが。

明日は三連休の最終日。奥秩父の黒川鶏冠山を一人で歩いてみようと考えている。新雪を踏みながら寒気の深山を歩くことも心身脱落であると道元さんは言ってくれるだろうか・・・と思いながら。

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私の心身脱落その1

2009年01月11日 | うんちく・小ネタ

この三連休で私なりの心身のリフレッシュを考えてみた。身体と心を柔らかくして、激動の年に備える準備をする・・・という計画だ。連休の初日はスポーツジムで身体のバランスを整えることにした。二日目は道元禅師を主人公にした映画「禅」を観て、心の問題を考えることにした。そして三日目は「山歩き」をして心身を練ることにした。今はその二日目がほぼ終わったところである。

「心身脱落」とは道元禅師の言葉であり「心も体も一切の束縛から解放されて自由な状態」をさす。無論その境地に到達することは容易でないが、スポーツなどでその境地に近い状態に近づくことは可能だと私は考えている。例えば無心になって一生懸命山に登り、日暮れになって雲海に沈む夕日を見る時、登山者は名状しがたい感動を覚える。私はこれは一種の「心身脱落」だと考えている。

昨日スポーツジムではランニングマシーンの上で、1時時間弱走りしっかり汗をかき、その後無酸素運動とストレッチで体を整えた。久し振りに50分間のマッサージを受けるとトレーナーさんが「背中が張っていますね」と言う。「そう、寒さのせいか肩こりがしますね。何か自分でできる肩こり予防策はありませんか?」と尋ねるとトレーナーさんは「肩を広げる方法」を教えてくれた。

肩こりの一つの原因は両肩が前方に出てきて、背中が丸まり首も前に出ることで首や肩の筋肉に大きな負担がかかることにある。そこで対策は前に出た肩を広げ姿勢を正すことである。例えば両手を後ろで組みそれを引っ張って肩甲骨を寄せるというのも一つの方法である。

昨日トレーナーさんから習った方法は「片方の腕を肩の位置に持ち上げその位置で柱を押す姿勢を取る。反対の肩を逆方向にひねることで両肩を広げていく」というものだ。更に柱を押す腕の高さを変えていくことで肩の関節の稼動域が更に広がっていく。

このストレッチ運動が効いたのか、マッサージが効いたのかは不明だが今日は体が軽くなった気がした。我々凡人はまず体を整えて体から気持ち良くなっていくことが「心身離脱」の第一歩である。

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