田中真紀子氏が文部科学相に任命された時、どこかで問題を起こすだろうなぁ、と予感した人は多かっただろう。その予想が当たり、田中大臣は金曜日に秋田市の秋田公立美術大学、札幌市の札幌保健医療大学、岡崎市の岡崎女子大学の3大学の開設認可を許可しなかった。大学設置審議会が認可すると発表した翌日の話である。
不許可の理由は90年以降大学開設基準を緩和したため大学数が増えすぎたので、認可の基準を抜本的に見直す、ということだ。
大学生の数が増え過ぎて質が低下していることは大きな問題なのだが、大臣としての余命幾ばくもないと思われる人が突然独断的な裁量を下すということは「暴走」であり、行政の一貫性を欠くと言わざるを得ないし、訴訟となれば文部科学相に分は少ないと私は思っている。
しかし大臣としての暴走はいけないけれど、一私人として「大学が多すぎる」という感想を持つことは普通の感覚だろう。
今の日本の大学進学率は5割を越える。率直な疑問は大学の教育は若者の半分が十分に理解できるほど易しいものなのだろうか?ということである。たとえば高等学校で学んだ数学、微積分となると半分以上の人が「微かに分かる」か「分かった積もり」だったのではないだろうか?
むろん数学は高校1年生レベル以下で留めて卒業させる大学は多いし、それでも実社会では困ることは少ないかもしれない。だがそれでは大学までいく必要があるのか?という疑問が残る。
だが大学進学率が高くなっているのは、日本だけの現象ではない。アメリカの進学率も5割を越え、英国は6割、おとなりの韓国に至っては8割を越えるという。
8割の若者が大学に進学する韓国の大学生の数は日本を若干上回る300万人(日本は文部省の統計によると除く短大で289万人)。
大学の質を世界的にランキング付けを行なっている英国QSのランキングから見てみる。
世界的には英米の大学が上位にくるが、アジア地域の上位100大学の国別数を見ると、日本が25でトップ。2位は中国の20(ただし香港の6を中国に加えると中国がトップ)。韓国は19で3位だ。4位は台湾で11と差がある。QSのランキングを正しいと認めるならば、日中韓の上位の大学の質はほぼ拮抗しているといえるかもしれない。
大学生の数が若年層の5割を越えるようになると、大きな問題が卒業生の就職の問題だ。大学生の数に比べて、大学卒を必要とする求人数が少なすぎるのである。考えてみれば当たり前の話で会社の半分が管理職や専門職になると企業が回る訳がない。
ましてこれから人口減少に向かう日本をはじめとする東アジア諸国で大学卒への需要が減り、その結果大学生の平均的な値打ちが下がっていることは仕方がない。
だが平均値が下がるということは、トップクラスの学生の値打ちが下がることは意味しない。企業の幹部となる、あるいは研究の中枢となる学生の価値は今も昔も変わらないのである。
トップの価値が変わらず平均が下がるとすれば、下げている要因は平均以下の層にある。
極論・暴言を吐くならば「トップクラスの学生にとって大学教育は投資であるが、企業幹部や研究の中枢、高度な専門職になるレベルに達する可能性のない学生にとって大学教育は消費である」ということになる。
もっとも消費だから大学に進学する必要なないという積もりはないし、大学の設立認可を大臣一人で弄んで良いという積もりは毛頭ない。だが敢えていうと社会が必要とする以上の財(この場合人材だが)を作り続けるということはどこかで大きな歪をもたらす。
やがて既存の大学の淘汰が起きて第二第三の堀越学園がでることは避けられないのである。