金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

英雄への賞賛は何よりの共通語

2012年11月17日 | ネパールトレッキング

Laungtang2

写真はランタン谷のゴダタベラGhodatabela(標高3,000m程度)から見たランタンリルンⅡ峰。下山時にゴラタベラ付近で偶然イタリア人トレッカーと一緒になり、しばらく雑談をしながら歩いた。

話は次のような展開だった。

「僕はイタリアから来たけれどお前は日本人か?」

「そうだ。僕は初めてのトレッキングだけれどあんたは何回目?」

「僕は8回目だ。学校を作るプロジェクトなどを兼ねてきている。今までアンナプルナやマナスルのトレッキングにも行った」

「マナスルといえば最初に登ったのは日本人だよ」

「そうだ。そうだ。すごかったな」

「いやイタリア人もすごいよ。イタリア人は世界第2の高峰K2に登った。また若くてアルピニズムの真似事をやっていた時、僕はワルテル・ボナティをとっても尊敬していた。」

「君はボナティを知っているのか!すごい。ボナティは昨年82歳で死んだ。」

その後イタリア人トレッカーはコンパニヨーニ達による初登頂にはボナティに対するトリックがあった・・・ボナティこそ偉大なアルピニストだ・・・というようなことを言っていたようだがそこは省略。

K2初登頂の裏には色々とドロドロした話があるが私は詳しくない。だがボナティが示した「正統なアルピニズム」がラインホルト・メスナーを通じてアルピニズムの王道の上に輝いていることは間違いないだろう。

★   ★    ★

トレッキング途中に外国人トレッカーと話をかわすことは多い。

そんな時ヒマラヤ探検や遠征に関する歴史にちょっとした知識があると話が弾むことがある、と思った次第だ。

我々はトレッキングコースという現在の空間を歩きながら、時として50年前100年前の偉大なパイオニアの話題に出会うことがある。まさに時空の旅をしているのである。

またエベレストに初登頂したテンジン・ノルゲイと一緒に撮った写真を見せてくれた老トレッカーにもあった。「おお、あのノルゲイか!」というとそのトレッカーは大変喜んでいた。

英雄への賞賛はトレッカー達のなによりの共通語である。

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限りない感謝をこめて~トレッキングを無事に終えて

2012年11月17日 | ネパールトレッキング

トレッキング中はワイフや年老いた両親には心配をかけたようだ。「4千メートルといっても道がちゃんとしたトレッキングだから」というのはこちらの理屈で、富士山より高いところ(この時期の富士山頂は真っ白に雪が積もっている)に登るのだから家族が心配しない方がおかしいだろう。

それら多くの人に「限りない感謝」を贈りたい。

まず私を機嫌よく送り出してくれた妻と二人の娘に

60歳を過ぎてなお元気に4千mの高みを登ることができる丈夫な体と多くの人々に心を開くことができる柔から心を与えてくれた年老いた両親に

ヒマラヤトレッキングに誘ってくれた神戸大学山岳会(ACKU:大学山岳部のOB会)の有志の方やNPO法人HNA(Help Nepal Association-Japan)の方々に。わけてもHNAの実質的な創設者であり二度にわたり海外遠征でお世話になった田中俊輔先輩とその奥様翠さんに

日頃一緒に山を登っている「室町山の会」(前いた会社の山好きの同好会)や時々ご一緒する「日本橋ロータリークラブ・トレッキング同好会」の皆様に

最後に今回のトレッキングをサポートしてくれたネパールの旅行会社Plan HolidaysのBaral社長やスタッフの方。そして誠実にして有能なガイドMr.Min Simkhandaに

ダンニャバード(ネパール語で「ありがとう」)

★  ★  ★

「限りない感謝」という言葉を使いながら私は有名な登山家の著書の一節を思い浮かべている。

それはワルテル・ボナティの「わが山々へ」の巻頭を飾る言葉である。

わが山々へ

そのそのきびしい道場から

わが青春が学びとった

心のしあわせに対して限りなき感謝をこめて

★  ★  ★

ボナティは山から青春の心のしあわせを学んだ。

齢(よわい)60歳を過ぎた我々(今回同行した3人の先輩は70歳を越えていた)は、その道場から何を学ぼうとし、何を学んだか。

それは次回以降のお話に・・・・・・

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旅塵を流す~2週間の快晴の後

2012年11月17日 | ネパールトレッキング

11月17日土曜日。朝6時半頃バンコクから関西空港に到着。1時間ほど待って羽田に飛んだ。今にも雨が降りそうな天気だ。モノレール、山手線、西武新宿線と乗り継いで11時過ぎに漸く田無駅に到着した。ワイフからは昼過ぎまで仕事に行っているとメールがあったので、駅前の大戸屋で「カキフライ定食」を食べた。熱々のフライからジューとでる牡蠣のジュースが美味しい、と思う。ネパールでは何でも食べていたが食材や料理のバリエーションが限られていた。やはり日本の食事はファミリーレストランチェーンでも美味しい。

大戸屋をでると雨が降っていた。僕にとっては2週間ぶりの雨だ。ネパールにいた2週間はほとんど快晴で雨を見ることはなかった。ただ標高4千メートルまで上がったキャンジン・ゴンパでは少し雪が舞ったが。

1.6㎞の道を歩いて家まで帰る。長いトレッキングの最後の歩きだ。家に帰って風呂を沸かし湯船に身を沈めると「旅塵を流す」という古い言葉が浮かんできた。

ネパールは首都カトマンドゥですら舗装されているところは少ない。それに2週間の晴天続きである。細かい砂埃にすっかりまみれてしまったので「旅塵」の塵がぴったりきた。

ネパールというと雪を頂いたヒマラヤの高山のイメージから寒いと思いがちだが、実は日本より暖かかった。カトマンドゥの街中はニットの長袖シャツ一枚にジーパン、サンダルという格好で歩いていた。カトマンドゥの緯度は27.5度位で奄美大島と同じ位だから結構南に位置している。だから暖かいのである。

「旅塵を落とす」とは旅で汚れた体を洗ってさっぱりするという意味だが日頃は使わなくなった言葉だろう。日本を含めて先進国では舗装が進み、街を歩いてホコリまみれになるということが少なくなった。だが乾燥したアジア諸国を歩くとホコリまみれになることがある。

ネパールには雨季と乾季がある。10月から4月頃はトレッキングに適した乾季のシーズンだが、快晴が続き細かな砂が大気中を舞っている感じだった。

「塵」という言葉から次の漢詩の一節を思い出した。高校時代に学んだ記憶の残滓であるが。

渭城の雨軽塵をうるおす

詩は「君に勧む更に尽くせ一杯の酒」と続いていた。西域に旅する友人を送る王維の有名な別離の歌である。

西域はネパールにつながる(地理的な意味合いよりも心象的なイメージだが)。

一杯飲みたくなったが、それは晩酌に残してさっぱりと全身を洗い、旅の整理を始めた帰国第一日目だった。

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ネパール・トレッキングの想い出~美しい谷

2012年11月17日 | インポート

2011年11月中旬ネパール中部のランタン谷を人が常住する最奥の村キャンジン・ゴンパまでトレッキングした。トレッキングの前の小学校の寄贈式を合わせて約2週間の旅となった。今日(11月17日)の正午前に帰京した。印象が薄れない内に色々なことを十数回のブログに書いていこうと思っている。しばらくはこのページをウェッブページ(HPのいつも最初にくるページ)に使いたいと思う。

写真は英国の探検家W.Tilmanが「世界で一番美しい谷の一つ」と言ったランタン谷のキャンジン・ゴンパ(標高3,870m)から見たランタンリルンLangtang Lirung(左奥、標高7,227m)とKinshung(右、標高6,781m)

Langtang1_4

コメント (2)
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