金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

誰でも行けるネパール・トレッキング(1)~時間とお金編

2012年11月21日 | ネパールトレッキング

Machaha

(ポカラ・フィッシュテイルホテルから見たアンナプルナサウスとマチャプチャレ~中央の岩峰~)

ネパールから帰って数日しか経っていないのに、もうカトマンドゥの喧騒やポカラのフェワ湖の向こうに屹立するアンナプルナの峻峰が懐かしくなっている。初めてのトレッキングの結果をまとめながら、私の中では新しい計画が芽生え始めている。

まず今月末に私の山仲間にプレゼンテーションをすることが決まった。題は「誰でも行けるネパール・トレッキング」とした。

そうなのである。ネパールのトレッキングは誰でも行くことができる。今回ランタン渓谷から標高3,800mのキャンジン・ゴンパまで登った5人の内3人は70-71歳の方だ。御三方とも大学山岳部又はワンダーフォーゲル部のOBで数回のネパールトレッキングの経験がある。私は62歳で最年少のMさんは42歳のサラリーマンだ。Mさんはご尊父が神戸大学山岳部OBである。亡きご尊父の心を惹いたランタン谷での慰霊祭のため急きょ参加した彼の登山経験は六甲山の縦走程度である。また失礼を顧みずいえばかなり体格が宜しく暑い日本の夏山ではバテそうな体型である。

この5人がほぼ行程表どおりの時間で4日間トレッキングルートを歩き4,000mの高みに達し、富士山より高いところで一泊してまた2日歩いて帰ってきたのである。トレッキング中は世界中の老若男女に出会った。我々より高齢のハワイから来た男女グループもいたし、途中で母乳を飲ませながら赤ん坊を背負って登っているフランス系の若いお母さんもいた。

つまり誰でもが4千メートル以上の高所に登ることができるのがヒマラヤトレッキングである。そして恐らくここを除いてこの高みまで容易に登ることができる場所はこの地球の上にきわめて少ないのである。

例えば欧州の最高峰のモンブラン標高4,810m。技術的には易しい山といわれるが、それはマッターホルン等アルプスの他の峻峰との比較の話。12本爪等の本格アイゼンとピッケル、ザイルが必要なルートである。

★   ★   ★

さてヒマラヤ・トレッキングに必要な日数とお金はどれ位か?

【日数】

短くて1週間、長ければ2,3週間というところ。

【時期】

10月から5月の乾季が適している。それ以外のシーズンは雨季で一般的にはトレッキングに向いていない。

【予算】

気になる予算だが、まず私の実例を申し上げると

往復飛行機代(航空券は変更不可、燃料サーチャージ混み) 131,830円

現地滞在費・ガイド・ポーター代金(US$1,330)                        106,400円

合計                                    238,230円

というのが基本料金だ。この基本料金の中にはカトマンズ・ポカラ間の交通費(往路自動車・復路飛行機)、ポカラでの学校訪問費等が含まれている。従ってトレッキングだけに集中するともう少し安く仕上がる可能性は高い。

日本で企画されているトレッキングのパック料金は30万円から35万円程度のものが多いが、我々は現地の旅行会社をダイレクトに使っているのでその分安いと考えられる。

現地滞在費に飲み代は入っていない。ネパールでは酒屋でビールを買っても、ロッジでビールを買って飲んでも値段は変わらないという説明を受けた(ロッジの方が飲食税分だけ高いが)。

ビール1本の値段は低いところで300円、高度が上がると400円程度だったと記憶している。つまり無茶飲みでもしない限り、2週間のトレッキングなら上手くやればオール・イン30万円以下でまとめることができる。時期は違うがカナダの1週間のスノーハイキングが40万円程度(当然お酒なし)だからネパール旅行はかなり安いといえる。

つまり通常の健康体であれば誰でも標高4,5千メートルまで登ることができ、費用も安いというのがネパール・トレッキングなのである。

ではマイナス面はないのか?というとそれはある。マイナス面の話は次回で。

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パネルディスカッション「特派員から見た日本のメディア」

2012年11月21日 | デジタル・インターネット

昨日(11月20日)日本最大級提言型ニュースサイトBLOGOSと日本財団が主催した「外国人特派員から見た日本のメディア」というパネルディスカッションに招待されて出かけた。パネラーはニューヨークタイムズ東京支局長のマーティン・ファークラー氏とAP通信東京支局特派員の景山優理氏。

景山さんはお父さん(NASA勤務)の影響で完全なバイリンガルとプロフィールに書いてあったが、時々英語は出てくるけれど対応する日本語が出てこないことがあった。バイリンガルというよりやや英語寄りな感じ。一方慶応大学や東京大学に留学したマーティンさんの日本語は完璧。「官尊民卑」など若い人なら知らない人もいそうな言葉をすらすら使っていた。これって「氏より育ち」ってことなのかなぁ、とつまらないことに感心した。

さてディスカッションの結論的なものは冒頭に日本財団の笹川会長の挨拶もまじえてまとめると以下のようなことになるだろう。

  • 日本の新聞の劣化が激しい。とくに社説の劣化がひどい。日本の新聞で「カンボジアに自由を」などと叫んでいても声は海外には届かない。だって誰も読めない日本語で書いているのだもの。世界的な影響力を持つニューヨーク・タイムズが書くなら別だが。
  • ニューヨーク・タイムズの紙ベースの発行部数は1990年代の140万部から100万部に減少した。しかし有料無料のネットサイトの読者は4千万人で読売新聞の4倍
  • 日本の大手マスコミには「変化していく」という勇気が欠ける。自分が会社にいる間は会社は大丈夫、という条件付き危機感しか持っていない。
  • 3.11の後日本政府や日本のメディアに不信感を持った。日本のメディアは上意解脱下達を担う官尊民卑である(マーティン)

この点については「『本当のこと』を伝えない日本の新聞」(マーティン・ファクラー著)を読んでいるところなので別途ブログで取り上げたい。

  • 日本のマスコミは「特ダネ」主義でくだらない速さの競争を行っている。日本のマスコミはAccess Journalismに陥っている。
  • でも報道のスピードは大切。早くかつ質(深さとひねり)のある記事を作成できるかどうかが勝負。
  • 日本のマスコミは中途採用を積極的に行うべきだ。違うキャリアからジャーナリズムに移ってきた人が一番熱心なジャーナリストになる可能性が高い。
  • 事件や事案に関係のない個人の属性を取り上げてはいけないというのがアメリカのジャーナリズムの標準。たとえば車椅子の人が事故に巻き込まれても、車椅子が事故の原因でないかぎり、車椅子の人とは書かない。橋下市長と週刊朝日の件、朝日はおかしい。人を傷付けない、差別をしない、というのが絶対的原則。
  • インターネットはアメリカのメディアを変えた。以下は私の直感的な理解なのだけれど、インターネットの速報性に新聞は押されて、「分析面」に力を入れざるを得なくなり、週刊誌の領域に進出し、その結果週刊誌は壊滅的な状況に陥った。
  • 日本は若者が活躍できない社会になっている。若者にチャンスを与えることが大切だ。

★   ★   ★

偶然ではあるが、パネルディスカッションに出かける前、朝日新聞の勧誘員が自宅を訪ねて来た。まだ若い男性である。彼は熱心に「(私が購読している)読売から朝日に変えると景品が出る」というような話をする。私は「僕は景品欲しさに新聞を変えることはない。朝日さんの思想の傾斜は僕の傾斜角に合わない」とお断りした。将来のある若い人がこのような仕事をしていることに私はもったいないと感じた。

しかしこれが日本の新聞販売の前線の姿である。大型・高層マンションの居住者が増えたり、リタイアして複数の新聞を取る人が減ったりで今後日本の新聞宅配は急速に減っていくはずだ。また最近は若い人で「ネットで読むから新聞は取らない」という人も増えてきた。

宅配に支えられて、横並びで緊張感のない記事を書いていても高給が貰えた時代はやがては終わりに近づく。

ネット上で「金を払っても読みたい」記事をリーズナブルな価格で提供できる新聞社だけが生き残りうる時代が日本にも必ずやってくる。ただしその時期を正確に予告することはまだ神の領域の作業であるが。

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