昨日(10月8日)第3次安倍改造内閣が発足した。新内閣の新たなスローガンが「一億総活躍」で年内の早い時期に具体策をまとめるという。
私は基本的に色々先送りされてきた問題(消費税引き上げ、マイナンバー制度実施、集団的自衛権の立法化、TPP合意~批准には紆余曲折があるだろうが~など)を解決してきた安倍内閣を評価しているが、このスローガンにはある種の違和感を禁じ得ない。
言葉尻をとらえることは大人げないが、「活躍」という言葉について考えてみた。
辞書によると「活躍」とは「めざましく活動すること。勢いよく躍(おど)りはねること」とある。「社会の第一線で活躍する」といった使い方をするから「活躍」には成功のイメージが強い。
「活躍する」を英語に訳すると、be activeであり、少し形式ばった言い方をするとparticipate activeryになる。
また「海外で活躍する」の訳としてはsucced overseasという例文があった。つまり「活躍」はactiveであり、successなのである。
次に「活躍」の反対語を調べてみた。オンライン辞書によると「活躍」の反対語は「休養・静養」である。
英語の反対語辞書でactiveの反対語を調べると、lazy(怠惰な)、unworking(働かない、機能しない)というネガティブな言葉が並ぶ。quiet(静かな、平和な)という比較的良い意味の反対語もあるが、概ね不活発という否定的な言葉が多い。
「活躍」という言葉にある種の違和感を感じたのは、「活躍していないのは怠惰だ」という英語的なニュアンスを感じたからではないかと私は思っている。その文脈で「一億総活躍」という言葉を読むと、働けるものが働かないのは怠惰である、というニュアンスを感じて違和感を覚えたのだろう。
だが我々シニア世代には「活躍しない」=「休養・静養する」という選択肢があって良いと思う。
兼好法師は徒然草の中で名誉・権力・金銭に使われてあくせく働き、わが身を苦しめるのは愚かしいことだと説いた。
兼好法師の心境には到達できないが、ある年齢になると自足ということが大事だと思う。「活躍」が声高に叫ばれる世の中は息苦しい。多様な価値観を持った人々が共存できる社会の方が好ましいと私は思っている。