昨日(12月6日)いわいるカジノ法案が衆院で可決された。法案の正式名称はIR(統合型リゾート)推進法。第3条で「適切な国の監視及び管理の下で運営される健全なカジノ施設の収益が社会に還元されることを基本として行われるものとする。」と述べられている。
個人的には「カジノは日本でも解禁されて良い」と考えているのだが、カジノに関する個人的な経験などを含めて雑感を述べてみたい。
カジノ法案の衆院通過はWSJでも取り上げられていた。記事の中で注目したのは下記のグラフだ。
プライスウォーターハウスクーパースの資料をもとにしたグラフによると全世界のカジノ売り上げは1,750億ドル前後で米国とアジア太平洋が市場を二分し、欧州その他の市場は小さい。成長性では米国市場が成熟期に入っているのに較べてアジア太平洋は急成長している。
日本のカジノ解禁を支援してきたのは、MGMリゾートインターナショナルなど世界的なカジノ運営会社で、彼らが日本を残された最大の市場として注目していることは間違いない。
私が気になったのは欧州のカジノ市場が小さいことだった。欧州では英国、フランス、ドイツなどほとんどの国がカジノを解禁しているが、市場規模は小さい。私がロンドンでカジノを楽しんだのは今から四半世紀前の話なので、参考になるかどうかは分からないが、当時行ったカジノ(もちろん合法の)は、遊び場が2フロアに分かれていて、上の階は大金を賭けるアラブの金持ち用、下の階は我々一般旅行客や市民が立ち寄るちょっとした遊び用だった。
一般市民にはあまりカジノに出入りする習慣がなく、下の階で遊んでいたのは旅行者が多かったと記憶している。一般にロンドンっ子は日頃の生活はつつましく、酒を飲むにしてもパブでなまぬるいビールをチビチビ飲み、会話を楽しむというのが一般的だった。
賭け事というのは、公営であれ民営であれ、胴元が儲かるに決まっているので、馬鹿馬鹿しいとうのがロンドンっ子の考え方だったと思うし、そのような考え方が欧州人に共通するものであれば、カジノ市場は拡大しないと思う。
WSJ等欧米のマスコミの論調は「これまで日本はカジノは禁止しているが、他の形での賭け事は許可している」というものだ。他の形のギャンブルとは宝くじ・競馬等の公営賭博とパチンコである。
読売新聞が日曜日に発表した世論調査結果によるとカジノ法案反対は57%で賛成は34%だった。男女別では賛成は男性が46%、女性は24%。反対は男性が49%、女性は24%だった。
特に女性の間に「ギャンブルは身を亡ぼす」というイメージが浸透しているのだろう。
また日本では「賭博は悪いことだけれど収益金が公的に使われるなら可とする」という歴史的背景も見逃せないだろう。時代劇にでてくる丁半ばくちはご法度で、江戸時代でも幕府公認の賭博は「富くじ」だけだった。富くじを正式に公認したのは、八代将軍吉宗で、吉宗は京都の仁和寺が改修費用を富くじで調達することを公認した。
富くじは現在の宝くじの先祖で、日本ではギャンブルは悪いことだけれど胴元が収益金を公的目的に使用する場合は許されるという考え方はここから生まれたようだ。
一方カジノは元々欧州の貴族の社交場に源を発するようでカジノに対する社会的認識が日本とは全く異なるようだ。
しかし欧米人がギャンブル好きで日本人がギャンブル好きではないか?というと私は全く違うと考えている。
日本では大都市の一等地にパチンコ店が店を構えていることが多いが、このような風景は世界中を見回しても日本にしかない(一時台北でパチンコ屋を見かけたことがあったが)。アメリカのカジノ都市として有名なラスベガスにしろアトランティックシティにしろロスアンジェルスやニューヨークからかなり離れた場所にある。私はニューヨーク郊外に住んでいた時アトランティックシティに2,3度遊びに行ったことがあるが、片道2時間以上のドライブだったと記憶している。会社の帰りに立ち寄るなどという訳にはいかない。
このように考えると欧米ではギャンブルは日常生活とは切り離されたものであり、日本ではパチンコに代表されるように日常生活の中にあるものと言えるのだろう。
誤解を恐れずにいうと株や為替取引もギャンブルという側面を持っている。「投機はギャンブル的だが投資はギャンブルではない」という反論もありそうだが、それは程度の違いである。完全にギャンブル性のない投資はあり得ない。
そして敷衍すればすべての事業は程度の差こそあれ賭けの要素があり、我々の人生そのものも賭けの要素がある。
話が拡散してきたのでこの辺りで打ち切るが、要は適正に運営されるカジノで身の丈にあった遊びができる人々がいる社会であればカジノは解禁されて良いと思っている。そしてできることなら街の繁華街を占めるパチンコ店を少し減らして欲しいと思う。
さて仮に日本にカジノが解禁された場合遊びに行くか?と問われると一度くらいは話のタネに出かけるかもしれないが、それで終わりだろう。
ギャンブルが儲からないことは身をもって知っているからである。そして賭け事そのものが嫌いな訳ではないが、人生には他に賭けなければいけないものがあると考えているからだ。