金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

中教審、学習指導要領改訂答申~提案は立派だけどテンコ盛り?

2016年12月22日 | ニュース

昨日(12月21日)中央教育審議会は、小中高などの学習指導要領の改訂を文部科学大臣に答申した。

骨子は次のようなことだ。

  • 「どう学ぶか」「何ができるようになるか」を重視
  • アクティブラーニング
  • 各学科の中でプログラミング教育を実施
  • 小学校5~6年で英語を正式教科にする
  • 高校で「歴史総合」「地理総合」を新設など

小学校で英語を正式教科にすることを除いて方向感は正しいと思う。

特に「どう学ぶか」という学習の学習方法~メタラーニング~を学び身につけることは生涯学習につながるので、大切だと思う。

中教審の答申に明記されているかどうかは知らないが、本当に一番大切なことは「なぜ人は勉強する必要があるのか?」ということを先生も生徒も親も理解することである。

なぜ勉強する必要があるのか?ということに関する古典的な格言は佐藤一斎の「少(わか)くして学べば、則ち壮にしてなすことあり。壮にして学べば則ち老いて衰えず。老いて学べば則ち死して朽ちず」である。

老いて学んだから死して朽ちない(つまり死んでも業績が引き継がれる)かどうかは分からないが、若い時に勉強すれば成人してから立派な仕事ができ、立派な仕事をすれば高齢になっても健康寿命を維持できるということは内外の統計などで明らかである(どういう訳かあまりこの類の統計はあまり引用されない)。

人工知能などの技術革新とグローバリゼーションの時代を乗り切っていくには、改訂答申が述べるように教育を舵取りする必要があることは間違いない。

だが実行に移すには色々な問題があるだろう。

まず第一のこれらの新しい教育を教えることができる先生がそろっているかどうか?そろっていない場合は学習指導要領の改訂までに先生を教育できるか?ということが問題だろう。

歴史総合については近現代史を中心に学習しないと世界観を形成する上で意味がない。しかし歴史は常に勝者が自分の正当性を国民に情宣するために書かれるということを踏まえて複眼的・批判的な学習方法を指導できるかどうか歴史教育を担当する教師の資質に一般論として私は疑問を持っている。

次の問題はこれだけテンコ盛りの指導要領を生徒がこなすことができるのか?という疑問である。

そして第三の疑問は学習成果を効果的に測定する方法はあるのか?という点である。暗記力を試す試験ではメタラーニングやアクティブラーニングの成果を測定することはできないからだ。

冒頭「英語を正式教科にすることを除いて」方向感は正しいと述べたが、プログラミング学習も初学者の段階では省略してもよいだろう。

一番必要なのは国語力と数学力(論理的思考力)なのだ。国語力特に色々な情報・プロセスを正確(誰が読んでも金太郎飴的に一つの解釈になる)に記述する文章力が必要なのだと私は考えている。その記述力=要件定義力がプログラミングのスタート点なのだ。

もし日本語力の涵養がおろそかにならないのであれば、英語やプログラミングを勉強してもよいと思うが、それはプラスアルファの世界だ。

それにしてもこれからは生徒も大変だが、先生はもっと大変だな、と感じた次第。

 

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「ありのままに受容する」~聞き上手のポイント

2016年12月22日 | 相続

昨日「聞き上手の法則を知ろう」というブログを書きました。

その時点ではまた澤村直樹さんの「<聞き上手>の法則 人間関係を良くする15のコツ」(NHK出版生活人新書700円)を読んでいなかったのですが、

今日ざっと本を読みましたので、ちょっと感想を述べましょう。

15のコツの中で澤村さんは7番目の「相手の意見をありのままに受容する」ことがもっとも大切なことの一つだと述べています。

「ありのまま」というと「アナと雪の女王」Let it go~ありのままのを思い出す人も多いと思います。

そこでは「ありのままの自分になるの」♭と歌われますが、聞き上手になるにはまず「相手の価値観や物事の捉え方が、どんなに自分の中にあるものと違っていても、それを歪めずありのままに理解しようとすることが重要だと澤村さんは述べています。

でもこれは「言うは易く行うは難し」ではないか?と私は思います。特に私を含めて長くサラリーマンを勤め管理職を経験した人間にはかなり難しいことではないか?と思います。

部下と面接する場合、何時間でも話すほど時間に余裕があれば、相手の言うことをじっくり聞いて「ありのままに受容する」ことも不可能ではないかもしれませんが、現実にはそれほど時間はありません(時間がないと考えること自体が問題なのかもしれませんが)。

そこでついつい相手の話を途中で遮り「あなたの言うこともわかるけれど、世の中の仕組みや会社の仕組みはそうではない」と自分の考え方を押し付けてしまいます。

ビジネス経験を積み、内外で立場の異なる色々な人と交渉を重ね、プレゼンテーションの経験を積んでくると「話す力」というのは自ずと強化されてきます。

しかし「話す力」が身に付き、自分なりのフレームワークが固まってくると相手を論破することが可能なので、相手の話を十分聞く前に自分の意見を押し付けていたことがあると今になって反省しています。

私の場合の救いは仕事・ボランティア・遊びで海外に出かける機会が多かったことで多少なりとも「違った価値観を持つ人をそのまま受け入れる」素地はできていたと思います。ただ問題は違った文化・習慣・法律制度の中で育ち、暮らしている人の多様な価値観は受容できるが、同じ文化・習慣で育った人に対する寛容性は低かったのではないか?と思っています。

私の職場のOBの中には地裁や家裁の調停委員を務めている人が何人かいますが、私はその道は歩みませんでした。その理由は自分で「傾聴力が弱い」「ありのままに相手の話を受け入れるほど気長でない」という自分の欠点を知っていたからです。

とはいうものの、「話上手だけれど聞き上手ではない」と開き直って生きていくには人生はまだ長過ぎるかもしれません。

1月のオープンセミナーでは澤村さんのお話を傾聴してまずありのままに受容してみたいと考えています。

 

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