昨日(12月21日)中央教育審議会は、小中高などの学習指導要領の改訂を文部科学大臣に答申した。
骨子は次のようなことだ。
- 「どう学ぶか」「何ができるようになるか」を重視
- アクティブラーニング
- 各学科の中でプログラミング教育を実施
- 小学校5~6年で英語を正式教科にする
- 高校で「歴史総合」「地理総合」を新設など
小学校で英語を正式教科にすることを除いて方向感は正しいと思う。
特に「どう学ぶか」という学習の学習方法~メタラーニング~を学び身につけることは生涯学習につながるので、大切だと思う。
中教審の答申に明記されているかどうかは知らないが、本当に一番大切なことは「なぜ人は勉強する必要があるのか?」ということを先生も生徒も親も理解することである。
なぜ勉強する必要があるのか?ということに関する古典的な格言は佐藤一斎の「少(わか)くして学べば、則ち壮にしてなすことあり。壮にして学べば則ち老いて衰えず。老いて学べば則ち死して朽ちず」である。
老いて学んだから死して朽ちない(つまり死んでも業績が引き継がれる)かどうかは分からないが、若い時に勉強すれば成人してから立派な仕事ができ、立派な仕事をすれば高齢になっても健康寿命を維持できるということは内外の統計などで明らかである(どういう訳かあまりこの類の統計はあまり引用されない)。
人工知能などの技術革新とグローバリゼーションの時代を乗り切っていくには、改訂答申が述べるように教育を舵取りする必要があることは間違いない。
だが実行に移すには色々な問題があるだろう。
まず第一のこれらの新しい教育を教えることができる先生がそろっているかどうか?そろっていない場合は学習指導要領の改訂までに先生を教育できるか?ということが問題だろう。
歴史総合については近現代史を中心に学習しないと世界観を形成する上で意味がない。しかし歴史は常に勝者が自分の正当性を国民に情宣するために書かれるということを踏まえて複眼的・批判的な学習方法を指導できるかどうか歴史教育を担当する教師の資質に一般論として私は疑問を持っている。
次の問題はこれだけテンコ盛りの指導要領を生徒がこなすことができるのか?という疑問である。
そして第三の疑問は学習成果を効果的に測定する方法はあるのか?という点である。暗記力を試す試験ではメタラーニングやアクティブラーニングの成果を測定することはできないからだ。
冒頭「英語を正式教科にすることを除いて」方向感は正しいと述べたが、プログラミング学習も初学者の段階では省略してもよいだろう。
一番必要なのは国語力と数学力(論理的思考力)なのだ。国語力特に色々な情報・プロセスを正確(誰が読んでも金太郎飴的に一つの解釈になる)に記述する文章力が必要なのだと私は考えている。その記述力=要件定義力がプログラミングのスタート点なのだ。
もし日本語力の涵養がおろそかにならないのであれば、英語やプログラミングを勉強してもよいと思うが、それはプラスアルファの世界だ。
それにしてもこれからは生徒も大変だが、先生はもっと大変だな、と感じた次第。