昨日某テレビ局から「相続問題に関するテーマをジャーナリスティックな番組で取り上げたいので、取材に応じてくれないか?」という連絡が入った。
番組制作者の意識は次のような点にあるということだった。
- 民法(相続関連)改正に向けた中間試案の発表・パブリックコメントの集約等社会状況の変化に合わせて、相続の仕組みを見直す取り組みが進んでいる。相続に関する社会的な関心が高まっている。
- 富裕層だけのものと考えられていた相続をめぐるトラブルが富裕層以外にも裾野を広げている。
- その背景として急速な高齢化・核家族化、権利意識の高まり、子ども世代の経済状況の厳しさがあると考えられる。
- 相続の現場の状況やトラブル防止にはどのような取り組みが必要なのかを知りたい。
これらの問題は私が事務局を務める日本相続学会が設立以来取り組んできたテーマなので、法律の専門家である副会長と一緒に取材に協力することにした。
ワイフにこの話をすると「テレビに出るなんて格好いいわね」と気楽な返事が返ってきた。仮に番組で取り上げられるとしても、私は裏方であり、インタビューは法律の専門家の人がすると思うよ、というとがっかりしていたが。
実際私は事務局という裏方であり、かつ日々相続問題に悩む相続人や遺産を残す側の被相続人と個別問題でアドバイスを行う立場ではないので、テレビで個別具体的な話をする立場ではない。
私の立場は「相続学」という学問領域(があるおすれば)の枠組みを考え、各方面の専門家の叡智を集めることにある。
今まで取り上げてきた各方面を大きく分けると「相続に関する人間学的分野」と「法律・税務等の専門分野」ということになる。
なお個人的には次に「マクロ経済学的視点からみた相続問題」というテーマを取り上げたいと思っているが、これは学会の目的の「円満かつ円滑な相続」というテーマを少し超えている上、理事レベルにマクロ経済学的視点が欠けているので、ここまで射程距離が広がるかどうかは疑問だが。
ただし国の税制改革等を見るとかなりマクロ経済的視点が入っていることは明確だ。たとえば祖父母など直系尊属から孫などに教育資金が贈与される場合、一定の要件を満たすと1,500万円まで非課税になる制度だ。
巷間亡くなる人は平均すれば、35百万円程度の資産を残しながら死亡すると言われているが、いわばこれは死金である。長寿化により祖父母が亡くなる時既に孫は成人している場合が多い。死んで遺産が高齢の子や成人した孫に移転するより、教育資金や住宅資金が必要な時期に子や孫に資産が移る方が、お金は活きるというものだ。
教育は人を作る。教育は職業機会を拡大し、経済活動の生産性を高め、国民の納税力や社会保障費負担能力を高める。
子ども世代の経済状況の厳しさが相続問題の一因になっているとすれば、教育資金を孫世代に贈与し、十分な教育を受けさせることは迂遠ながら、将来の相続争いを緩和することにつながる。
介護の問題も避けて通れない話だ。民法では親の介護は「扶養義務」であり、相続とは直接関係しないと判断している。僅かに「寄与分」という接点はあるものの、「特別な寄与」でないと寄与分は認められない。複数の子どもの内、介護に力を入れてきた子どもが遺産分割で寄与分を認められないということはしばしば耳にする話である。
相続争い防止策について当学会は今年11月の研究大会で「被相続人の責任」というテーマで問題を取り上げた。簡単にいうと民法の規定や先例だけで簡単に解決できないほど、環境や相続人の権利意識が多様化しているので、亡くなる人が遺言書などで、財産の処分を指示しなさいという話だ。
医療技術の進歩は終末期医療の問題を複雑化させた。そこそこの財産(プラス・マイナス双方で)を持つ被相続人や特定の家族から介護を受けたは相続争いを引き起こす可能性を残す。
高齢化社会では「自分の最後を責任をもって処理する」という心構えが必要なのだろう。古来宗教はその心構えを人々に教えてきた。今特定の宗教を持たない我々は何によるべきなのだろうか?
最近巷では少し哲学ブームのようなものが、起きているのではないか?と感じることがある。哲学が道しるべを用意してくれることは間違いないだろう。
しかしそれは道しるべに過ぎない。我々は道しるべに従って自分で答を見出すしかないのである。結局のところ答を見出せないことが相続争いの一つの根本的な原因なのである。ただしこのような話は抽象的すぎるので、テレビ番組には相応しくなさそうなので、話をすることはないと思うが。