今年の終戦記念日前後は北海道の山に入っていたのであまりテレビを見なかった。そんな中で里の宿屋に泊まった時、樺太で日本の無条件降伏後ソビエトと戦闘があったことを伝えた番組が印象に残った。
米英ソの戦後の利害関係を調整したヤルタの密約で南樺太の領有を認められたソビエト軍は8月15日以降樺太での南進を進め、真岡地区で多くの民間人の犠牲がでたという悲劇である。
テレビ番組では当時の日本軍がソビエト軍との停戦に積極的でなかったため、民間人の被害が拡大したという解釈を示していたと思う。ただしソビエト軍は北海道北部への侵攻も計画していたというから、樺太での日本軍の抵抗がなかったとするとソビエト軍が北海道北部まで押し寄せていた可能性はあるだろう。ものごとの歴史的評価は難しい。
ただしマクロ的に見ると私は「組織が組織本来の目的を忘れて、自己防衛や自己増殖に向かう時、その組織やその組織の上部組織まで破壊する」と考えている。
その例が日本軍だった。軍の本来の目的とは何か?それは国民の命と安全を守ることにあるはずだ。国土を守ることは大切だ。だが国土を守る意味はそこが国民の生活の場であるからだ。そこに暮らす国民の命を大量に失って国土を守る意味があるのだろうか?
日本軍は軍という組織を維持・増殖させるために戦争することを目的としてしまった。それが太平洋戦争の悲劇の最大の原因であろう。
本来戦争はある外交的・政治的目的を達成するために、相手国の戦意を喪失させ、自国の主張を貫徹させる手段である。手段である限り、他に有効な方法があれば血を流す戦闘行為は避けるべきである。しかし日本軍は本来の目的を見失い、戦闘することを目的としてしまったと私は考えている。なぜなら戦争を続けることが自分たちの組織を守り、国民から税金を収奪するお墨付きだったからである。
今日の官民の世界においても「組織が本来の目的を離れて、組織防衛を目的として動く」ことはしばしば観察されるところである。
おそらく程度の差こそあれ、組織が自己目的化する現象は普遍的な現象であろう。なぜなら組織は生き物であり生き物である限り、自己防衛や自己増殖の本能をもっているからだ。ただし国家というより大きな組織の下の軍という下部組織が自己増殖を図る時、国家は破綻するのである。
会社について考えると特定部門が全社的戦略を離れて自己増殖を図る時、会社は往々にして存亡の危機に瀕するのである。
組織統治とは、最上位(国・会社など)の組織体の目的遂行のために、下部組織の組織防衛行為をコントロールし、必要があればその下部組織を解体してしまうことが要なのだろう。言うは易くして行うは難しだが。