金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

日本でテレワークの生産性が上がらない一番の理由

2021年03月10日 | 資格・転職・就職
 調査機関や調査時点によりばらつきはあるが、コロナ感染拡大防止策として、東京で約4割、全国ベースで2割~3割の企業がテレワークを導入しているようだ。
 テレワークは世界各国で拡大しているし、生産性を向上させる機会としてコロナ後もテレワークの継続を打ち出している企業も増えている。
 だが日本では多くの企業がテレワークに消極的だ。理由はテレワークで生産性が低下しているかあるいは低下する懸念があるからだ。
 日本でテレワークの生産性が上がらない理由については、IT関係者などが色々理由を分析しているが、一番の理由は「会社が従業員の勤務姿勢に性悪説で臨んでいる」ことにある。
 つまり「従業員は上司が見ていないとサボる」という思いが会社側つまり経営層や人事部門に多いということだ。もちろん例外もあるが。
 上司が見ているといっても業務の内容まで目が届いている訳ではない。目が届くのは勤務態度だ。つまり頻繁に離籍しないとか自分が呼んだらすぐ飛んでくるかとかだ。
 だがこれらの勤務態度は生産性と必ずしもリンクしていない。特にクリエイティブな仕事の場合は無関係と言って良いだろう。
 生産性は生産量で測るものであり、勤務態度=生産プロセスで測るものではない。休まず遅刻せず会社に来ているだけで生産性があがるのであればこんな楽な話はない。いや非常に単純な作業の場合はそのような勤務態度と生産性の間には相関関係はあった。だが仕事が単純作業の繰り返しから創造的なものに変化すると会社に来て、一見真面目に仕事をしているように見えることとアウトプットの間には相関関係はなくなった。
 ではこのような環境下では会社や上司はどうあるべきなのか?
 第一に性善説に立って従業員を信頼することだ。人は任せてみると案外頑張るものだということを真に理解し、細かい指示は出さずに任せることだ。
 そして勤務態度ではなく成果物で人を評価するように評価システムを変えることだ。
 だが評価システムを変えるということは人事制度全般を変えることになるので、ZOOMを導入したりチャットシステムを導入するような簡単なものではない。場合によっては会社というムラ社会を一部壊すようなことが起きるだろう。
 だがそのような破壊的革新に会社は二の足を踏む。だから日本ではテレワークの生産性は上がらないのである。相当長期にわたって。
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「親子の借りは作らない」~サラリーマンのシニアライフ設計のポイント

2021年03月10日 | ライフプランニングファイル
 シニアライフ設計本の執筆が終わり、来月から連載する相続学会のメルマガの原稿作成に向けて準備を始めたところです。
 良いエッセーを書くには裾野を広げることと筋の通った柱を立てることがポイントだと考えています。
 筋の通った柱という意味では「充実したシニアライフは、健康と生きがいと経済面の安定性で支えられている」のでその柱を如何に補強していくかということがシニアライフのポイントということで終始一貫しています。
 ただし具体策となると私のかなり個人的な意見を打ち出すことになります。
 癖強な意見、と反発を招くかもしれませんが、評論家的一般論は生きていく上で何の役にも立ちません。生きていき上で役に立つのは具体的判断基準です。賛成される方はフォローしてくだされば良いし、反対の方は反面教師としてご自分のプリンシパルを打ち出されると良いと思います。

 一方個人的意見を打ち出すには「どうしてそう考えたのか?」ということを説明する材料が必要です。つまり裾野を広げる必要があります。裾野を広げないと独りよがりに陥ります。
 さてサラリーマンのシニアライフ設計上の重要なポイントに私は「親子の間に貸し借りなしで行く」という方針を立てています。
 親子の間に貸し借りなしとは、親は介護面で極力子どもを当てにしない、子は親を経済面で当てにしないという方針を指します。
 掲題にサラリーマンと書きましたが、やがて私はサラリーマンという言葉は死語になると考えています。もちろん給与生活者が社会の大層を占める時代は続きますが、「サラリーマン」という和製英語が内包する「終身雇用」「メンバーシップ型雇用」は退潮し、やがて「サラリーマン」という言葉もすたれていきます。
 つまり「サラリーマン家庭」というモデルが想定した専業主婦(あるいはせいぜいアルバイト)というものがなくなり、夫婦がフルタイムで働くことが当たり前の時代になると、高齢者の介護も当然変わってきます。
 そんな時代になるとこれからのシニアは子どもや子どもの配偶者の介護支援を期待できないあるいは期待すべきでない時代になります。
 つまりお金を払って第三者の支援を受けることが当たり前になる可能性が高いということです。自らの介護のためにお金が要るから成人し働いている子どもの支援はできない、子どもの支援は高等教育でおしまい、という訳です。

 このコンセプトを親子で共有しぶれないことが、サラリーマン夫婦とその子どもたちが自分らしい生き方をする基本スタンスなのです。
 本題に戻るとこの考え方をサポートする統計データや内外の事例などを集め裾野を広げる作業がもう少し必要なのです。
 
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