山登りは情報通信技術(ICT)と親和性が高いと考えています。世間の一般的用法に従い、「情報通信技術」と書きましたが、私は「情報コミュニケーション技術」と書く方が良いと考えています。その理由はコミュニケーションを通信と書くことで、誤解が生まれていると考えるからです。コミュニケーションComminucationには「通信」と「意思疎通・共感」という意味がありますが、ICT(Information and communication Technology)を情報通信技術と訳してしまうと意思疎通というニュアンスが欠落し、通信インフラというようにハードウエアに目が向き過ぎてしまいます。通信はハードウエア中心の話であり、意思疎通はソフトウエア中心つまりより人間的な話でそこをバランスするにはコミュニケーションという英語を使う方が良いというのが私の結論です。
私はインターネットなどの情報技術が発展する中で、「如何に意思疎通を図るか共感を大事にするか」という視点が欠けると、そのツールはやがて人々から見放されると考えています。
つまり私は意思疎通や共感が主役であり、そのための通信技術は手段だと考えています。
山登りで大切なことは、登山を終えた後の想いを共有することです。成功体験や失敗体験の積み重ねと共有が、自分の登山人生やより広い人生そのものに糧を与え、仲間やグループにも正しいフィードバックを与えてくれるからです。
従って私は昔から山仲間と「想いにつながる登山記録を共有する」ことに重点を置いてきました。情報通信技術が発達する前は、ペーパーベースの登山記録や焼き増しした写真を配っていましたが、技術の発展に伴い、情報の共有方法は変わってきました。ごく大雑把に自分たちの情報共有方法の変遷を眺めてみると、次のようだったと思います。
- 登山記録をワードなどで作成し、写真をワードなどに埋め込む。ワードやPDFをメールで送付する。
- 大量の写真を配布するために写真を取り込んだCDやDVDを焼き増しして配る。また動画をDVDなどにアップして配る。
- SNS(ブログ、フェイスブック、LINEなど)で静止画を中心に情報を共有する。
- Swayなどプレゼンテーションアプリで「登山記録」をストーリーとして作成し、クラウドで共有する。
- 多くの静止画(一部動画を含む)を集めて、あるいは動画を編集して、登山ストーリーを作成し、YouTubeにアップし、YouTube上で共有する。
むろん幾つかの情報共有方法は常に併存しています。
ところでどのような情報共有手段を使うか?ということは「受け手側の利便性とICT技術レベル」と「発信者側の利便性とICT技術レベル」が一致するところで決まると私は考えています。
記録を残す者あるいは記録情報を発信する者の立場としては「登山記録の正確性」「記録の再利用性」「読者への訴求力」「作成負担の軽さ」が大きなポイントです。
「受け手の利便性」では、「どんなデバイスからでも簡単にアクセスできる」「BGMなどがあり自然に楽しめて飽きが来ない」「感動の再現性がある」ことが重要であり、その次に「記録の再利用性」が来ると考えています。
その登山活動が貴重な場合(たとえばほとんど記録がない山や地域の踏破など)、記録の再利用性が重要になりますが、我々のように多くの人が登っているルートを歩く登山の場合「登山記録」自体はそれほど重要ではないと私は考えています。また「登山記録」自体を共有するのであれば、YAMAPの登山データを共有することも考えられます。
と考えてくると我々の山仲間で登山記録を共有する意味は「写真や動画を中心につまりビジュアルなデータを共有することで登山の喜びや感動を共有しあう」ということだと私は考えるようになりました。
もしこの結論が正しいとすれば、文章中心のデータ共有よりも動画・静止画といったビジュアルな情報共有~しかも感動を呼び起こすストーリー性のある情報の共有~の方が重要だということになります。
そしてこの結論が正しいとすれば、登山同好会など色々な親睦団体の情報共有ツールは動画ツール(静止画からの動画作成を含めて)に力点を置いた方が良いのではないか?と私は考え始めています。
私が役員を務めているあるボランティア団体では、会費収入の多くを会報作成とその郵送費用に充てています。会報には文章つまり文字情報が多いことは事実ですが、旅行記のように動画に置き換え可能な情報も含まれています。
この団体の構成員は高齢者の方が多いので、今直ぐに紙ベースの情報を止めてインターネットを使ったビジュアルな情報共有に変える訳には行きません。
しかし大きな方向感としては、コストの高い紙ベースの情報共有から、低コストで訴求力の強いビジュアルな情報共有に時代は変わっていくことは間違いないでしょう。