金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

日本の個人投資家がドルを支える

2006年01月17日 | 金融

ウオール・ストリート・ジャーナルによれば日本の個人投資家がドル高を支える一翼を担っているということだ。もっともこれは前から言われている話なのだが為替相場を読む上で考慮するべきファクターだから記事のポイントを見ておこう。

  • アナリスト達によれば多くの日本人投資家は近時の円高にもかかわらず外国通貨と株式を買い続けており、これがドル下落の障害になっているということだ。
  • 米国での利上げが直ぐにでも止まるのではないかという憶測からドルは火曜日に113円41銭と3ヶ月振りの安値を付けた。しかしそれ以降アジア時間の取引で安定し114円12銭と高値を付けた。
  • 外国為替取引業者筋によれば円高が進んでいるにもかかわらず外国為替保証金取引をする者はドルやその他高金利通貨に資金を置いている。外国為替保証金取引は数年前日本で開始され、個人がレバレッジを利かせて為替取引を行なうことができるようになっている。この取引では大きな利益をえることができるが同時に大きな損失をこうむる可能性もある。
  • 外国の高金利通貨建ての債券に対する日本人の購入意欲は持続している様だ。JPモルガン・チェース銀行によれば今月17本の日本の個人投資家向け外貨建て債券が売り出される。これは昨年同月の14本や一昨年の6本よりも多い。
  • 先月中頃円が高金利通貨に対して急激に上昇して、外国為替保証金取引で高金利通貨に投資していた多くの日本人投資家は損失を被り、それらの人の中には失望して為替取引をやめた者もいると業界筋は言う。その結果米ドル、豪ドル、ニュージーランドドルに対するロングポジションは減少した。しかしその後少しずつながら買いが回復し結果としては為替保証金取引を止めた人より新しく始める人の方が多くなったと業界筋では言う。
  • アナリスト達は日本の為替保証金取引をする連中の増加するプレゼンスを無視するべきではないと言う。彼等は東京外為市場のスポット取引の1割あるいは3割のシェアを持つと見積もられる。

外国為替保証金取引とは為替相場を張る個人が保証金を為替取引会社に預け10倍程度のレバレッジをかけて為替取引をするというものだ。つまり1ドル100円として説明すると外貨預金で1万米ドル運用するには100万円の資金が必要で仮に10円円安になると10万円儲かる。これに対し保証金取引では10万円の保証金で1万ドルの投資ができるので10円円安になると10万円儲かるという仕組み。従って100万円使うと100万円儲かる可能性がある。ただし同時に同じ金額だけ損をするリスクがあるというものだ。

為替取引は結構人気があるらしい。一つは24時間どこでも取引が出来ること。又分かり易さも人気の理由かもしれない。ただし取引がし易いことや一見した分かり易さと長期的に儲けられるかどうかということは別だ。

私は個人的には外国為替に絡む仕事もしてきたし今でも関心のある方だが個人の保証金取引はやったことがないし余りやろうとは思わない。

その理由は3つ。

  • 公平に見て外為で相場を張り儲かる期待値(統計的な意味で)はゼロ(つまり円安・円高になる確率は半々ということ)なので長期的には手数料の分だけ損をする。
  • 外国株や外国債券等の実物投資であれば円高が進行しても投資がゼロになることはない。しかし保証金取引では急激に市場が思惑の反対に動いた場合ストップロスにかかり保証金がゼロになる可能性がある。
  • もし保証金取引のような短期の相場を張るとそちらに心を奪われ仕事や他の楽しみに集中できない。

それにしても日本人っていうのはかなり相場が好きな民族なのだろう。世の中にはかなり多くの金融リスクを取りたがらない保守的な人とその正反対に極めて多くのリスクを取りたがるディトレーダーのような人と少数のほどほどのリスクを取る長期的投資家がいる訳だが、日本の場合は保守派とリスクテイカーが際立っていて、長期的投資家が少ないのが特徴なのかもしれない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新春に大歌舞伎を初体験

2006年01月16日 | うんちく・小ネタ

先週末ワイフと歌舞伎座に坂田 藤十郎襲名披露を観に行った。実は齢50半ばにして始めてちゃんと歌舞伎を観たのである。「ちゃんと」というのは昨年一幕見席に行き千円程で一幕(谷崎潤一郎の盲目物語)見たことがあるので歌舞伎は全くの初体験ではないが、数時間にわたって観るのは初めてということ。私自身は現時点で歌舞伎が取り立てて好きという訳ではないが、ワイフが行きたいというのでお付き合いである。

さて何事によらず初めてのことというのは多少の緊張を伴うものだ。まず食事の問題。我々は夜の部(4時45分から9時過ぎ)に行ったので途中で夕食を食べる必要がある。僕は(いざとなれば座席で軽食でもとれば良いや)と位に考えていたのだが、ワイフはチャンとした食事がしたいらしい。そこで第1回目の休憩時間に3階席の食堂(やぐら茶屋)でおでん定食(1,200円)を予約する。残り席6つということだったからギリギリだった。今度又来ることがあれば早めに予約をしよう。

さて当日の出し物はまず菊池寛の「藤十郎の恋」。これは密通ものを演じることになった坂田 藤十郎が役作りに苦労して幼馴染のお梶に偽りの恋をしかけるというもの。偽りの恋とは知らず一瞬燃え上がったお梶はやがて偽りの恋と知り歌舞伎小屋で自殺。藤十郎の周りの人々(偽りの恋の相手がお梶とは知らない)は「これで舞台も終わりだ」と騒ぐが藤十郎は「藤十郎の芸の人気が女子一人の命などで傷つけられてよいものか」と嘯くところで終わりとなる。

これは坂田藤十郎の芸術至上主義を示したものか?あるいは偽りとはいえ不義の恋の露見を恐れて自害(当時不義の恋が露見すれば二人とも死罪)したお梶の哀れに涙をさそうのが狙いか?・・・・などと考えることはさておきテンポも良く分かりやすいお芝居だった。

その後「伽羅先代萩(めいぼくさんだいはぎ)」や踊り2つと続くのだが詳細は省略しよう。先代萩は坂田藤十郎演じる乳母政岡の細かい芸が見せ所(のはず)なのだが、歌舞伎に造詣のない私は少し眠気を感じた。ふとみるとワイフを含めうとうとしている人が周りに何人かいたので一安心。

☆     ☆     ☆    ☆

多少眠たいところはあったが歌舞伎は観て楽しかった。舞台芸術の良さは役者さんの熱気が直に伝わってくることだ。話の背景や歌舞伎役者さんのことが分かればもっと楽しいだろう。次歌舞伎に行くことがあればもう少し勉強してから行こう。

それにしても歌舞伎には女性の観客が多い。多少うがったことを言えば女はお芝居を観ることで「自分では実現できない夢を役者に託しカタルシスを感じている」ということだろうか。つまりお梶の恋を通して女は人気役者藤十郎に不義であれ、迫られることをどこか夢見ているのではないだろうか?そういえばカタルシスには「罪なる魂を清める」という意味があるということだ。それにしてもワイフが歌舞伎を観たいなどと言い出したのは子供からすっかり手が離れて暇になったからだろうか?それとも日常では得られない何かを見たいのだろうか・・・・・・

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

豆腐の燻製あるいは冬の神代植物園

2006年01月15日 | 燻製

豆腐の燻製の下準備

山登り等大きなイベントのない冬の晴れた祝休日は忙しい。燻製作りと他の遊びの段取りが大変なのだ。今日(1月15日日曜日)は昨日と打って変っての快晴、気温も高く春に近い陽気なので散歩と燻製作りの段取りをしなければいけない。午前10時半家内と角上魚類などに買い物に出かける。まず角上魚類で今夜の夕食「手巻き寿司」用ネタの仕入れる。久しぶりの手巻きだから思い切ってまぐろの大トロも1サク入2千円也で購入。思い切ってと言っても昔に比べて安くなった。昔池袋西武百貨店に食品館ができた頃ワイフが一サク2千円と勘違いして大トロを買ったところそれは100グラム2千円とのことで一サク当たりは6千円の大トロだったことなど思い出す。さて角上魚類の後食品スーパーで豆腐やビールなど買う。豆腐こそ本日の燻製の材料なのだ。帰宅後豆腐に塩をした後重しの乗せ水切りをする。レシピには水切1時間で豆腐のカサは半分になるとあるが、1時間経ってもカサは3分の2である。そこで更に半時間経過したところで豆腐をスノコ付のトレイに写し、家の外で2時間風乾する。

神代植物園

豆腐を風乾している間に車で神代植物園に行く。お目当ての花は特にないがこの前買った望遠レンズで冬の花を撮ろうと思う。

Tubaki 見るべき花の一つは椿だ。この椿は温室の横で撮ったもの。今日は春の陽気なので花はますます全開のようだ。

野外の花は数少ないので温室に入る。

温室では睡蓮が咲いている。最初に目が行ったのはペンシルバニア。名前の由来は分からないが綺麗な花だ。

Pencilvenia1

次がブルーフレーム、青い炎か。これも美しい。

Bluesmoke2 

温室の出口にはハエマトケフェラというマメ科の美しい花があった。別名Powder puff treeつまりお化粧に使うハケの花である。

Haematocephal2_1

ここで温室を出て植物園の入り口に戻る。入り口の近くで小さなロウバイの花を見つけた。たった一株だが可憐に咲いている。温室内の色鮮やかな花も美しいが自然の中で咲くロウバイの可憐さがいとおしい。

Roubai_1 

豆腐の燻製仕上げ

神代植物園から戻り2時間ほど風乾しておいた豆腐の燻製にかかる。まずスモーカーにりんごのチップを入れ70度程に温度を上げる。温度計を見て70℃程のところで豆腐を入れる。「くんちゃん」の場合は下の網に入れる。ここから燻製開始。スモーカーの温度は80℃~90℃を目処に時々調整しながら1時間スモークした。取り出して見ると豆腐はあめ色の良い色付きであるがやや煙のにおいが強い。端を一切れ食べてみるとややスモークの臭いがきついようだ。そこで一晩煙抜きをして明日本格的に食べることとする。明日を楽しみにしつつ夕方薄暗い中でスモーカーを洗剤をつけたたわしでゴシゴシ洗う。燻製とは本当に男の料理であるなどと思いながら。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

金融リテラシィ、やがて話題になるテーマ

2006年01月13日 | 社会・経済

金融リテラシィあるいはファイナンシャル・リテラシィとは目新しい言葉だろう。しかし私はまもなくこの言葉が日本のマスコミで話題になって来る~中身は別として~と確信している。金融リテラシィとは言うまでもなくFinancial Literacyのこと。この言葉は英語ではかなり使われている。Literacyとは「読解能力」とか「教養」のこと。情報リテラシィといった形である程度日本語化した英語と言えなくもない。しかし理解力という程度の日本語に訳せば良いのだが、やたらと英語を使いたがる人が多いのでこんなことになっているのだろう。従って金融リテラシィという言葉は金融理解力という程度のことなのだが、将来を見越して金融リテラシィと言っておく。

金融リテラシィについては昨年12月にOECDが「世界経済における金融リテラシィの重要性」という簡単なメモを発表している。更にOECDは今年に入ってより詳細なレポートを発表している(日本のOECD 事務所で4,100円で入手できる様だが私は読んでいない)。なおこのレポートを踏まえてエコノミスト誌が1月12日に「投資家の危険負担」Financial Literacy Caveat investorという記事を書いている。これを踏まえて簡単なレポートを書いてみよう。なお手前味噌な話ながら私のブログは以前から読者に金融リテラシィの助けになる情報を提供することを一つの目的としている。

何故金融リテラシィは必要なのか?

金融商品・サービスの複雑化 

米国連銀のグリーンスパン議長は最近金融教育の必要性について次のように述べている。

  • 今日の金融世界は一世代前に較べて極めて複雑になっている。40年前は以下には地元銀行と貯蓄金融機関における当座預金と貯蓄預金を如何に管理するかを理解することで十分だった。現在消費者は広いレンジの金融商品と金融サービスおよびその提供者の区別をすることが出来なければならない。

個人と国家の安全性

OECDペーパーはこう述べる。

  • 興味・関心と十分な報酬を支払う仕事は社会の結合力の中心となる柱であるが貯蓄と個人に金融面の安全性~特に退職後の~を提供する資本の蓄積もまた重要な柱である。
  • 国家の中で富の不均衡が起こると結束力が揺るがされる危険性がある。従って良い雇用見通しとともに金融教育が個人と家族が資産形成を助成する上でキーとなる役割を担う可能性がある。

エコノミスト誌は最近IBMが年金制度の変更を決めたことなどを引用しながら次のように述べる。

  • IBMのような健全な会社でさえ確定給付年金から確定拠出年金に切り替えるようにアメリカと英国では企業の確定給付年金の閉鎖が加速している。これは個人の選択と責任を創造し助長するが、これは恐れるよりは歓迎するべきものである。また他の多くの国では国の年金が巨大な年金債務を抱えていて、国民がより退職後の備えを自分で行なう必要に迫られると考えられる。
  • ここで起きる重要な疑問は「この新しい責任を引き受ける個人はどの程度の基礎的な金融概念に関する知識を持っているか?」ということだ。

個人の金融知識のレベルはどうなのか?

二つの記事から国別の幾つかの例を紹介しよう。

  • まず日本であるが、OECDメモによれば回答者の71%は株式と債券の知識が欠如し、57%が全般的に金融商品の知識が欠如し、29%が保険と年金の知識が欠如している。
  • オーストラリアでは投資商品を保有している人の37%が投資商品が価格変動することを理解していなかった。また同じ調査で回答者の67%が複利の概念について理解していると答えたが、複利概念を使った問題解決を求めると28%しか満足のいくレベルの回答はできなかった。
  • アメリカでは31%の人がクレジットカードの計算書の中の金融手数料がカードを使うために払うものだということを知らなかった。

金融リテラシィの効果

エコノミスト誌は金融リテラシィが欠如していると人々は老後のために僅かしか貯蓄をしないので、国家いやでも応でもその面倒を見なければならなくなるという。「政府はこの事態を極めて深刻に受け止めている」とOECDのバーバラ・スミスは言う。今週英国政府は過大借入を行なっている消費者向けにオンラインの負債計算機と10代向けのマネー管理コースを発表した。

金融リテラシィの潜在的な経済メリットは政府の支出を上回る。より情報を持った消費者~単なる投資家ではなく~は、市場の効率性を増加させ平気で悪事を働くような悪い金融商品の売り手をはびこらせない助けとなる。

では投資家教育は有効に機能しているのか?

  • アメリカでは過去から一般的には民間部門に依存しながら金融教育プログラムが実施されてきた。大部分の大企業と多くのより小さい企業は社外専門家による投資セミナーを従業員のために実施してきた。セミナー出席した多くの人は退職後に備えて貯蓄を増加させている。
  • しかし教育と助言の間には微妙な線がある。教育とセールスは厳格に分けられるつもりであるがそれらはセミナーにおいて金融商品をセールスする企業により提供される。あるロビーグループがいうには幾つかの雇用者は従業員から訴訟されることを恐れて金融セミナーのスポンサーになることを躊躇している。
  • 更に専門家は金融教育に過度に信頼を置くことを警告する。前述のスミス女史は「金融教育は人々が考えるような万能の解いかなる決策ではない」と言う。いかなるキャンペーンも総ての人に届くわけではない。加えて金融知識を持つ人はより多く貯蓄し長期的な投資において高いリターンを上げる傾向があるが、教育効果の程は明らかではない。
  • 欧州でコンサルティング会社のフォレスター・リサーチ社が今週発表したレポートでは、ヨーロッパ人にたった3分の1だけが金融機関は彼等を適切に取り扱うと信じており、半分以下の人しか彼等がメインバンクから受けるアドバイスを信頼していない。また20%の人しか広告宣伝物にある情報が彼等の金融面の意思決定を改善するに役立つと考えていない。
  • しかし「人々は馬鹿過ぎて自分の金を管理することができないという不平は全く間違っている」と米国企業協会のグラスマン氏は言う。その良い根拠は人々は彼等が欲しまたしなければならない時学ぶということを信じることである。1990年代に数百万人の人が株式投資を始めその後多くの人が株式に過度に熱中することのリスクについて手痛い授業を学んだ。
  • 数十年後に迫る退職に備えて今貯蓄すべしという強いメッセージが必要な様だ。「今貯蓄をしなければ貧乏になる。退職後の貧困は地獄だ」という様な。

コメント

以上が金融リテラシィに関するマクロ的な概要だ。やがて日本でも識者・金融機関・ファイナンシャル・アドバイザー等という人々が金融リテラシィということを言い出しそれがまた善良な市民を迷わさなければ良いが・・・と若干の危惧をする。金融リテラシィについて私が基本的なこととして言っておきたいことは次のとおりだ。

  • リスクなく儲かるという様な上手い話はない。まず上手い話には棘があると考えること。
  • 人には儲けた記憶は長続きし、損した記憶は直ぐ消える傾向がある。個別株投資で儲けまくるという様な話は余り信じない方が良い。「儲かった、儲かった」という様な人は意外に損したことを忘れて(あるいは忘れようとして)いるのかもしれない。
  • 運用するにしろ借りるにしろ手数料というのは曲者だ。株の売買手数料・投資信託の委託手数料などで金融機関は飯を食っている。あなたが利用しようとしている金融サービスや購入する金融商品のリターンが払う手数料を正当化するものかどうか良く吟味する必要がある。
  • 元本確保という言葉に惑わされるな。お金に色はない。元(元本)も子(利息)も区別はないのである。金融商品の中には元本確保をするために金融機関に多くの手数料を払う商品がある。金融商品は元利を含むトータルリターンとそのリターンが達成される蓋然性で評価されなければならない。
  • マーケットのタイミングで利益を取る(株や為替の値動きで鞘を取る)ことは、市場の効率性が高まるにつれプロでも困難になっていると知るべきである。
  • 長期的な投資による期待収益は経済成長+αと考えるべきである。とすれば先進国では今後5-7%程度と考えるべきだはないか?5%である資産を20年間運用すると資産は2.6倍に7%で運用すると3.9倍(いすれも複利・税金抜き計算)になる。これがまあ投資の一つの目安だろう。この投資果実を大きいと見るか小さいと見るか意見の分かれるところだがいずれにせよそんなに儲かる話ではないのだ。
  • 偉そうなことを言うようだが金融リテラシィの最後の結論は投資というものはそれ程儲かるものではないので「収入に合わせてバランスのとれた暮らしをする習慣を付ける」という当たり前すぎる程当たり前の答が返ってくるのである。その事を忘れると一攫千金を見て騙される等思わぬ落とし穴にはまってしまうのである。
  • なんて当たり前のことを言っていたのでは人様から手数料や授業代を頂けないので困ってしまうのだが・・・・

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

さわかみ投信、キャッシュポジションの高さが気になる

2006年01月12日 | 株式

以前このブログでさわかみ投信を推奨したことがある。その記事を読んだ友人から「私もさわかみ投信の購入を検討します」というメールも頂いた。従って今私がさわかみ投信について持っている若干の疑問を述べておくのが公平というものだろう。それは3割というキャッシュポジションの高さである。3割キャッシュポジションがあるということはさわかみ投信を100口買っても70口分しか株式投資を行なっていないということだ。

これについてさわかみ投信の説明を聞いていない(メールで照会したが返事はなかった)が、推測では現在の株価水準が買うべきと判断している株価水準より高過ぎるので株価が妥当な水準に落ちるまで待機しているということかと思う。

この投資判断の良し悪しは別としてこの投資行動の結果ここ半年程度に限って言えばさわかみ投信のパフォーマンスは市場平均を下回っている。手元の控えを見てみると昨年6月3日の日経平均が11,300円でさわかみ投信の基準価格は13,499円、今年1月10日の日経平均が16,124円でさわかみ投信の基準価格は18,174円である。この間の日経平均の上昇率は39.2%でさわかみ投信の上昇率は34.6%である。つまりさわかみ投信は市場(日経平均)をbeat(打ち勝つこと)が出来なかった。

なお断っておくとさわかみ投信自身はベンチマークを設けていない(つまり日経平均やTOPIXと競争するとは言っていない)ので日経平均に勝つとか負けるとかいうことは問題ではないのだろう。また以前ブログで述べたとおりさわかみ投信はベータが低いので上げ相場では弱く下げ相場に強いので昨年の上昇相場で市場に負けることは仕方が無いのかもしれない。

問題はキャッシュポジションの高さである。下がったところで株を買うということは私は大変難しいことだと考えている。というのは市場の動きというのは均一的に上がったり下がったりするものではなくスパイクという乱高下の繰り返しである。そしてその乱高下を予測することは不可能というのが機関投資家のコンセンサスである。従って今機関投資家の間で常識となっていることはフルインベストメント、つまり投資タイミングを計るのではなく出来るだけ株や債券等に投資するということである。

もし株価水準がこのまま高いレベルで推移するとさわかみ投信は買い場を逃したことになるのだが如何なものだろうか?

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする