歌舞伎を見に行く日はどういう訳か雨降りだなどと書くと、頻繁に歌舞伎を見ている様な誤解を与えるかもしれないが、何のことはない、今年に入って二回目である。一回目は正月に歌舞伎座で見た新春大歌舞伎、この日は桶の底が抜けたような豪雨だった。昨日(5月13日)は、しとしとと降る梅雨の様な雨の中をワイフと国立劇場に前進座75周年記念五月公演を見に行った。
これはワイフが入っている都民劇場の5月のプログラムから選択したものだ。さて雨の中、地下鉄半蔵門駅から約5分の道を歩いたが、地上にでるまでちょっと方角に不安があった。なにせ齢(よわい)五十五歳にして、初めて国立劇場に行くのである。しかし地上に出て和コートを着たおばさん達が沢山歩いているのを見て全く安心。というか今度はその歌舞伎見物客の余りの多さに驚く。しかも7,8割は女性である。
4時半開演だが、少し時間があったので館内を一周する。国立劇場の方が歌舞伎座よりはるかに広くてゆったりしている。1階には予約できる食堂はないが、二階には予約できる食堂があったので歌舞伎座の経験を活かして早速幕間の夕食を予約した。一人1,050円也。しかし夕食(弁当)を食べる時気が付いたが、食堂がもの凄く広いので、予約しなくても十分食べることが出来た。
さていよいよ最初の出し物「謎帯一寸徳兵衛」(なぞのおびちょっととくべえ)、原作は四ツ谷怪談で名高い鶴屋南北だ。話の筋は簡単なのだが、登場人物の関係が入り組んでいる。ごく簡単に説明すると男前で冷酷無比な浪人大島団七がかっての上役を殺害し、上役が持っている名刀を奪ってしまう。更に敵討ちをすると偽って、上役の娘(お梶)と結婚する。しかし団七が本当に好きなのは、お辰という芸者。ただお梶とお辰は瓜二つなので、お梶で埋め合わせをしたという訳だ。悪党の団七、ついには女房のお梶まで殺してしまう。
ところが、あることからお辰は殺されたお梶が自分の姉としり、亭主の一寸徳兵衛と共に親と姉の仇団七を討つというものだ。ただし最後の団七が斬られる場面は、はっきりとは演じられない。ということで何だか悪の権化の団七がやりたい放題・・・という感じなのだ。勧善懲悪なら団七も無惨な最期を遂げないといけないのだが・・・
この芝居は十数年後、鶴屋南北が書く四ツ谷怪談の先駆けということで、団七は四谷怪談の伊右衛門に当たる訳だ。昔の人は、結構好色・残虐無道・やりたい放題をしたいと深層心理では思っていた。いや無意識の中にそんな願望があった。その放埓を団七や伊右衛門が観客に替わって行ってくれるのである。観客はそれを観て、カタルシスを感じるのである。従って悪役は堂々として格好良くなくてはならないのだ。人間の心の中ないは悪いことをしてはいけない・・・・という気持ちと放埓無比の暮らしをしたいという無意識的な思いが同居している。その無意識の放埓な思いを適度に解放する上で魅力的な悪役の登場が必要・・・というのが私の理解だ。
江戸時代において歌舞伎が大衆にカタルシスを与えていたことで、凶悪犯が少なかったとまで言えば少し言い過ぎだろうか?
さて二つ目の出し物は写真を挿入した魚屋宗五郎、こちらは主人公宗五郎の妹おつたが、見初められて旗本磯辺主計之介のところに妾奉公にあがる。ところがおつたはある時自分によこしまな思いを寄せる用人岩上に手こめにされかける。結局宿直(とのい)の侍に助けられるのだが、岩上用人はかなわぬ恋の意趣ばらしと、ありもしないおつたの不義密通を旗本磯辺に讒言した。磯部はおつたに裏切られたと思い、おつたを責めて最後は手打ちにしてしまう。
これが事実なのだが、最初は宗五郎はおつたが冤罪で殺されたことを知らずに磯部に苦情を言わずに耐えようと思っている。何故なら不漁続きで困窮していた宗五郎にとって、磯部は色々な手当てを呉れていたからだ。ところが死んだ妹おつたの腰元から事実を聞いた宗五郎は、激情もだしがたく神様に願かけて断っていた酒を飲み始める。宗五郎は酒癖が悪いので、親父と共に禁酒していたのだ。しかし、飲みだすと止まらない。この酒を飲む場面が見せ場なのだ。舞台は宗五郎が、空の酒桶を振り回しながら旗本磯辺の屋敷へ怒りをぶつけに向かうところで終わる。
これまた庶民のカタルシス。権力に理不尽な目に会わされて泣き寝入りせざるを得ない人々にとって宗五郎が胸の内を代弁してくれるのである。
午後八時半、芝居が終わって外に出た。雨は嫋々と降り、国立劇場の広場の向こうには桜田堀の闇が広がっていた。その闇は何処か人が抱えるある種の暗い情念に通じる様かのごとく押し黙っていた。歌舞伎の後の雨もわるいものではないと思いつつ私達は永田町へ足を速めた。