惑星ダルの日常(goo版)

(森下一仁の近況です。タイトルをはじめ、ほとんどの写真は交差法で立体視できます)

ミミズ御殿

2014-12-24 21:11:51 | 日曜大工

 ちょっと余裕が出来たので、年賀状に使う回文を考えたり、届いた雑誌に目を通したり。

 

 何かやり忘れているような気がするんだけど、思い出せない。
 気のせいかな。きっとそうだな。気のせいにちがいない。

 

 で、今いちばん気になっているのは、来春から使う予定の「ミミズ御殿」。
 今は机の下で飼っているミミズを、もっと大きな、広々とした環境で飼いたいのです。そのために「御殿」を設計中。
 といっても、有り合わせのもので作るので、何をどう加工するかを考慮しているわけなのですが。

 

 基本になるのはこの手のコンテナボックス(13型)
 いくつも買い求めて本を入れ、軒下に積み上げてあったのですが、今は余っています(本をかなり処分した)。これを2~3個積み上げて、御殿にしてみようと考えています。
 通風をよくし、ミミズの糞(肥料になる)や染み出る水分を、うまく回収できる構造にしなくては。
 面倒だけど、楽しみ。少しずつ作ってゆくつもりです。


「森の水車」

2014-12-23 20:44:19 | 音楽

 昨夜は都心に出て、年刊アンソロジーの編集会議。

 

 作業そのものは順調にいったのですが、収録枚数が限られるために、どうしても割愛せざるを得ない作品が出るのが心残り。
 たとえば、小田雅久仁さんの「農場」(小説新潮 11月号掲載)など、長過ぎて入れられないんですよね。とても気持ちが悪いけれど、でも、忘れがたい傑作なのに。残念。

 

 今日はひさびさに「森の水車」を聴きました。ずっと昔、原稿書きを始めた頃、家内が私のために選んでくれた「テーマソング」。特に3番の歌詞を心に刻むようにと言われました。

 

 この歌の作詞をした清水みのるさんは田端義夫の「かえり船」や「ふるさとの燈台」、菊池章子の「星の流れに」、菅原都々子の「月がとっても青いから」などを作詞した歌謡界の重鎮ですが、昭和16年に高峰秀子の歌で発表したこの「森の水車」は発売禁止となっています。戦後、ラジオ歌謡として復活、大ヒットしました。

 

 この歌には、開戦に向けて社会統制を強める権力に対する抵抗の気持ちがこめられていると聞いたことがあります。歌詞を読むと、なるほどとうなずけるところが。
 これからも、自分のテーマソングとして、大切にしてゆきたいと思っています。


泥縄

2014-12-21 20:13:12 | 日記・エッセイ・コラム

 昨夜は神保町で古典SF研究会の忘年会。高校生から古希目前の人まで、幅広い年代の会員20人ほどが集まりました。
 近況報告やあれこれ噂話など、話のタネは尽きませんでしたが、誰それが亡くなったという情報が多いのには弱ります。年齢的には仕方ない部分もありますが、皆さん、体には気をつけてくださいね。

 

 今日は隣町の図書館まで出かけて、今年の雑誌のバックナンバーを漁りました。明日の編集会議の準備。

 

 いちばん都合が良いのは立川にある都立多摩図書館なのですが、折悪しく今日は休館日。次善の策として、近隣の市の図書館を利用させてもらいました。
 充実した図書館が近くにいくつもあり、蔵書検索もインターネットで出来るので大変助かります。おかげで何とか準備の目途がつきました。

 

 それにしても泥縄状態。もっと手際よくやらなくてはと思うのですが、いつまで経っても改善できません。


親方の酒

2014-12-19 20:50:12 | 食・レシピ

 朝から夕方まで、ほぼ一日、原稿書き。
 次の仕事も切羽詰っていて、頭の中は錯綜していました。

 

 が、夜は息子夫婦がやって来て家族揃っての夕食。
 お嫁さんの実家から送られてきた泡盛を開け、お湯割りでいただきました。

 

 馥郁たる味と香りは蒸留酒特有のもの。ウィスキーやブランデーにも通じるところがあり、一方で琉球の土臭い感じも。
 お腹の底からほっこり温まる酔い心地で、今はいい気分です。つまみの朴葉味噌も美味しかった。

 

 もう少し仕事してから、今日はもう寝ます。


ステレオリーディング

2014-12-18 21:34:55 | 本と雑誌

 オバマ大統領がこれまでの米国のキューバ政策の誤りを認め、国交を回復するという。良かった。
 米ソがキューバをめぐって対立し、核戦争勃発寸前まで行ったことはさまざまな形で波紋を広げました。私にとっていちばん印象的なのは、スタンリー・キューブリック監督の『博士の異常な愛情』。現代文明の狂気は笑いのめすしかないことを教えてもらいました。

 

 片岡義男さんの新著『歌謡曲が聴こえる』(新潮新書)の112ページに、片岡さんが広瀬正さんからテナーサックスを学んでいたことが書かれています。
 広瀬さんはサックス奏者としてジャズバンドのリーダーをしていたので先生としては適任。しかし、なぜ片岡さんがサックスを?

 

 その理由は、ピアノに挫折にして、その代わりの楽器としてサックスを選んだということだったはず。どこかで読んだばかりです。
 もう一度確認しようとして同書のページをめくり直したのですが、当該の記述を見出すことができません。

 

 「あれ? 確かに読んだのに」と不思議に思っていたところ、しばらくして出典がわかりました。
 並行するようにして読んでいたウィリアム・ジンサー『イージー・トゥ・リメンバー』(国書刊行会)の解説が片岡さんで、そこに書かれていたのでした。

 

 『イージー・トゥ・リメンバー』はアメリカの古いポピュラーソングの歴史をたどる本。巻末に、アメリカン・ポピュラー・ソングとの関わりを語る片岡さんのエッセイが載っています。その中に、楽譜を集めるうちにそれを自分で演奏できればと考え、まずピアノの先生についたが挫折。次に、テナーサックスの練習を始めたが、これも結局ダメだったということが書かれているのです。

 

 ただし、こちらではサックスの先生が広瀬正さんだったことには触れていません。『歌謡曲が聴こえる』と併せ読んで、初めて、片岡さんが20代半ばから後半にかけて、まずピアノを、その次にサックスを学んだこと。サックスの先生が広瀬正さんだったことがわかるのです。
 似た傾向の本をまとめて読むことを立体的読書とかいうようですが、私は、好きなステレオグラムに引っかけて「ステレオリーディング」といってみたいですね。こうすることで、初めて見えてくるものがある。

 

 なお、当時、広瀬さんは豊田有恒さん、伊藤典夫さんらと「パロディ・ギャング」というライター集団を結成していて、片岡さんもそこに参加していました。その縁でサックスも教えてもらうことになったのでしょう。
 パロデイー・ギャングの書いたものは、中学・高校生だった私のスケベ心や遊び心をくすぐった記憶があります。ちょっと悪いお兄さんたちが、「こんな面白いことがあるよ」と教えてくれる感じでした。