金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

消滅する新聞への挽歌

2006年08月25日 | インポート

私はかってブログで新聞の宅配価格の自由化に反対する新聞のエゴイズムを厳しく糾弾したことがある。日本の新聞が質の向上を図らずに独占禁止法に違反する再販価格の維持で生き残りを図っていることに激しい公憤を覚えたものだが、今週エコノミスト誌が新聞の将来に関する記事を書いるのを読んで大いに共感した。こういう自分に都合の悪い記事は日本の新聞が紹介する訳がないので、まずポイントを紹介しよう。原題はWho killed the newspaperというものだ。

  • フィリップ・メイヤー著「消滅する新聞」The Vanishing Newspaperによれば、2043年に米国でプリント版の新聞が消滅する。英国では15歳から24歳のウエッブを使い始めた若者は全国紙を読む時間が3割減少した。読者の減少に伴って広告も減少している。特に求人等の三行広告は急速にインターネットにシフトしている。その大きな理由はインターネットが売り手と買い手を結びつける有効な広告手段だからだ。ルパート・マードックはかって新聞広告を「産業の金の川」と表現したが、昨年彼は「川はいつか干上がる」と言った。スイスとオランダでは三行広告の半分はインターネットに奪われている。
  • 新聞の廃刊はまだ大きな数になってはいないが、それは時間の問題である。恐らく二三十年の間に先進国の一般紙の半分は廃刊になるだろう。新聞関係の職は既に減少している。アメリカ新聞協会によれば、1990年から2004年の間に業界の従業員は18%減少した。上場新聞社の株価下落は投資家を怒らせている。2005年に日刊紙を数紙発行するナイトリッダー社の株主は同社に新聞部門を売却させた。また同年モルガン・スタンレーは、ニューヨーク・タイムズ社を4年間で株価が半分になったと攻撃した。
  • 何年もの間現実を無視してきた新聞社もついに行動を取り始めた。コスト削減のため彼等はジャーナリズムへの出費を削減してきている。多くの新聞は若い読者層を惹きつけるため、国際関係や政治関係の記事から娯楽、ライフスタイル等へのシフトを行なっている。
  • 特に米国ではジャーナリズム学校やシンクタンクが新聞の崩壊の影響に懸念している。良い日々には新聞は政府や企業を監視して責任を取らせる機能を果たしてきた。ニューヨークの調査機関カーネギー社は「今日の新聞は民主主義が寄って立つ情報を持った市民層の維持という役割を果たしているか?」という問いかけをしている。
  • しかし新聞の凋落はある人々が恐れる程害のあるものではないだろう。1950年代にテレビの普及で新聞購読の大きな低下が起きたが、民主主義が生き残っていることを思い出せばよい。多くの産業と同様に、挫折し撤退するのは高級紙や娯楽大衆紙ではなく中間層の新聞だろう。ニューヨークタイムズやウオールストリート紙のように質の高い新聞は、探究心旺盛で社会に役に立つストーリーを提供するので、広告収入の減をジャーナリズムでカバーすることが可能だろう。
  • 新聞が政府を監視して、公衆意見の裁判にかけるという機能はインターネットに広がっている。人々はもはや一握りの全国紙や悪い場合は地方紙に頼る必要はない。グーグル・ニュースのようなニュース収集サイトが世界中のソースからニュースを集めてくる。これに加えて、「市民」ジャーナリストやブロガーが政治家を監督し、責任を持たせたがっている。
  • また将来質の高いジャーナリズムは非営利団体により支援されるだろうとカーネギー社(慈善団体)は言う。既にガーディアン(英国紙)他幾つかの新聞がこのような方法で運営されている。ジャーナリズムの将来は、世界中どこでもオンラインでアクセスできる質の高い新聞、非営利団体が運営する独立系のジャーナリズム、数千人のブロガーが十分な情報を持った市民ジャーナリズムの混合ということになるのだろう。

私は現在ウオール・ストリート・ジャーナルを購読料を払ってウエッブで読んでいるが、その主な目的はアメリカやその他外国のことを知ることではない。日本のことを正しくかつ深く理解することである。残念なことに日本のジャーナリズムだけを読んでいては、広告主等スポンサーにおもねる記事に騙されるからだ。例えば日本の新聞はかってサラ金から大きな広告収入を得ていたので、サラ金にしっぽを振るような記事を書いていたものだ。又今日でもサラ金問題の本質を堂々と論じることが出来ていないが、これまたどこかおもねるところがあるのだろうか?はたまた問題の本質を洞察する力がないのだろうか?思うにスポンサーへのおもねり・読者に媚びた大衆迎合主義・勉強不足と見識不足の集積が日本のジャーナリズムであり、その本質は長年変わらないのである。

とにかく日本の新聞には断片的な事実~株が上がったのだとか下がったのだか、どこの国で紛争があったとか~だけが羅列されている。嘘は書かないにしろ、重要な事実の報道をしないという位のことをするのは日本の新聞だ。外国のクオリティ・ペーパーを読んでおかないと「報道されない重要事実」があるかもしれないのだ。

ところで日本の全国新聞でウエッブの購読料を取って記事を読ませるというところがないのはどうしてだろうか?ウエッブ版は印刷版に較べて安いので、収入は減少するからウエッブ版をつくることが出来ないのだろうか?販売店への配慮だろうか?等々色々推察は付く。しかしそれは総て新聞側の論理であり、ユーザである読者の論理ではない。

私はウオール・ストリート・ジャーナルが「購読料は取るが、有料ならではの質の高い世界の情報を世界中に提供する」というコミットメントを持って臨んでいることに多いに共感する。引用した記事にもあるが、彼等はこの様にしてウエッブ時代に生き残っていることができるだろう。これに対して日本の新聞はどうやって生き残っていくのだろうか?

日本の新聞は、新聞の宅配がわが国固有の美風であるかのように読者を騙して(事実は米国でも宅配は行なわれているし、私の経験では米国の方が新聞の遅配や欠配ははるかに少なかった)、新聞の再販価格制度を維持することで姑息に生き残りを図ろうとしている。しかし少子高齢化とインターネットの時代をこのような一時凌ぎでやっていけるものなのだろうか?

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