金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

人材流動化のリスク

2007年12月04日 | 社会・経済

日本の会社もアメリカ的になったなぁと思うことがある。
それは中途採用だ。私の会社でも定年退職者をリプレースするため、 中途採用を行っているので、時々私も面接を行っている。基本的に私は人材流動化に賛成なのだが、流動化にともなって人間関係が 希薄になったり、仕事へのモラールが低下しているのではないか?と気になることもある。

流動化といえば今金融の世界、特に米英の金融界では流動化商品が極端に敬遠されている。いうまでもなくサブプライムローンやそれをパッケージにしたSIVが、値崩れを起こし極端に流動性が低下しているからだ。簡単に価値を評価できない商品が流通したため、このようなことが起こったのだ。これは資産流動化の負の側面である。

人材の流動化は産業構造がダイナミックに変わっていく上で必要不可欠な人的資源の再配分システムである。しかし実際に応募者のレジメを見たり、話を聞いても人物像がうまく焦点を結ばない場合がある。これは応募者の転職志望動機が自分自身ではっきりしていない場合や本当の理由を述べていない場合が多い。
「なんとなく今の会社がいやになった」「上司・同僚と馬が合わない」などである。私は自分の転職動機をきっちり整理した人でないと新しい職場で成功する確率は低いと考えている。

客観的な評価に耐える資格を持っている場合は良いが、そうでない場合はテクニカル・スキルの判定は難しい。私がアメリカで現地人スタッフを採用していた時の判断基準の一つは学歴だった。つまり卒業した大学や大学院の名前で判断するのだ。一般にアメリカの大学は名声の高い大学ほど授業料が高く、かつ卒業するためには相当な勉強を要する。高い授業料を親が丸々面倒みることは少なく奨学金を借りる学生も多い。従って有名校出身者はより高い給料を得たいという強いモチベーションを持っていると私は理解している。学歴は基礎的能力と持続する意思の証明である。米国では学校の名声(ちゃんとランク表がある)と卒業生の業務能力の間にはかなり高い相関関係があると私は考えている。この考え方が妥当かどうか何人かの外人に聞いたところ、彼等も結構学歴に依存していることが分かって安心した。これが流動化する人材の評価を支えているのである。

ところで日本の場合はどうなのだろうか?
私の経験によると、金融業務でもそれ程高い知能指数を要さないような仕事の遂行能力と学歴(大学名)の相関関係は低いように思われる。むしろ有名大学出身者の中には小理屈はこねるが、体は動かないというどうしようもない連中がいることも事実だ。
日本では学校名を頼りに採用すると当たり外れが大きい可能性が高い。しかし学歴や過去の勤務先位しか客観的な判断材料がないことも事実だろう。人材の流動化が進むためには「短時間で人材の価値を判断する」物差が必要だが何か良い物差はないものだろうか?






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