今日(12月10日月曜日)は新聞休刊日で朝刊がお休みだった。新聞がないのは淋しいが、朝電車の中で本を読む時間が出来るのは良いことだ。朝「何か読み物はないか?」と慌てて探し「徒然草」(角川書店の文庫本)を持って西武線に乗った。何気なく開いたページに「旅は心のシャワー」という現代文の見出しがあった。
原文では「いづくにもあれ、しばし旅立ちたるこそ目覚むる心地(ここち)すれ」とある。どこでもよい、ちょっと小さな旅をすると、目が覚めるような新鮮な気分になるものだということだ。
私は月に一回程度山旅をしている。何故山を旅するのか?という問いに対する一番格好が良い答は「神に出会うこと」だ。神とは神秘的な体験。心を震わすような美しい自然との出会いと言っても大体は合っている。もっとも最近の一般登山ルートで神に出会うことはほとんど不可能だ。神様も人ごみには辟易されているようだ。とはいうものの冬の早朝などに神の謦咳に触れることが極たまにある。
上の二枚の写真は丹沢・蛭ケ岳の頂上付近で早朝に撮ったものだ。朝霧に沈む谷間や遠くの町の明かりを見る時、時空を旅している気がする。二枚目の写真は前日に粉雪を被った倒木だ。力尽き倒れた巨人のような巨木だ。そこには「無常」~人間がどうすることも出来ない世界~を垣間見ることができる。このような自然に出会う時「旅立ちたるこそ目覚むる心地すれ」という兼好法師の言葉が素直に腹に落ちる。新聞のない朝は古典を読みながら会社に行く、これも悪くはない。