昨日(12月12日)の日経新聞朝刊の「日本人とおカネ」という記事の中にこんなことが書いてあった。
「日本は実は米国に次ぐお金持ち大国だ。・・・・・だが富裕層は嫉妬の目を意識し、どこか窮屈に暮らす。」
「富裕層に詳しい橘木同志社大学教授は『日本では清貧を重んじた徒然草の昔から金持ちへの情念的な抵抗感がある』という」
私は「清貧を重んじた徒然草・・」のくだりにひっかかりを感じた。というのは文庫本の「徒然草」(角川書店)の中に「兼好法師が田一町を山科で購入した土地の売買契約書が残っている。売買代金の90貫という大金を持っていたことにも驚くが、厳しい売買条件をつけているのに二度びっくりする。財テクに励む経済人兼好の一面をうかがわせて興味深い」という趣旨のことがあったのを思い出したからだ。
兼好法師は世捨て人であり、自由人である。自由に生きるとは他人の世話にならずに暮らすということで、当然金銭的裏付けが必要だ。一町(三千坪)の田からの収入で気儘に暮らしていたのだろう。「清貧」からは「清談」という言葉を連想する。「清談」は中国は三国時代の末期・魏の国で「竹林の七賢」と呼ばれる人達が行った哲学的談義のことだ。この七賢と呼ばれた人達も大半は相当な富豪だったと記憶している。
「清貧」あるいは「清談」などというとお金と無縁に聞こえるが、実はちゃんと経済的な裏づけを持った人の自由な暮らし方なのである。自由の中には「お金からの自由」も含まれる。このことについて孟子は「恒産なきものは恒心なし」という言葉で安定した財産がないと安定した心を保てないと説いている。
冒頭で紹介した日経の記事の書き出しは「99歳で亡くなった祖母の遺産を巡り、普段は行き来のない親戚が『取り分』を請求。・・・・分割してほしいと言われても遺産の多くは祖母と同居していた滝川(仮名)さんの自宅。『こんなことなら、遺産など無ければよかった』と滝川さんは困り果てた。」というものだった。
金があって困るというのでは、お金に縛られている以外のなにものでもない。
徒然草の中に「身死して財(たから)残ることは、智者のせざるところなり。・・・・『我こそ得(え)め』など言ふ者どもありて、跡に争ひたる、様(さま)あし。後は誰にと志す物あれば、生けらむうちにぞ譲るべき」とある。
遺産相続争いは醜悪なので、死後にやろうと決めているものがあれば生前贈与するべきだということだ。
さて日本人が「清貧」を重んじたかどうかに話を戻すと私は「為政者、特に江戸幕府や第二次大戦後の政治家達が作り出した虚構」の面があると感じている。江戸幕府は無為徒食の武士階級を養ない、かつ政権の長命化を図るため経済活動を抑制し倹約を勧める必要があった。戦後の復興期は消費を抑え、国民の貯蓄を重化学工業の復興に回すため、貯蓄を奨励する必要があったのだ。このような時「清貧」がかかげられたのだ。一方戦前の日本では安田善次郎のような大富豪が出現し、東大に講堂を寄贈したり日比谷公会堂を東京都に寄贈するなど私財を公(おおやけ)のために活用している。
繰り返しになるが清貧は必ずしも日本人の遺伝子ではないのだ。
そして「清貧」を声高に口にする人は清ではあるかもしれないが、まず貧ではない。本当の貧者は「清」を口にするゆとりはないだろう。
これは「年収300万円時代を生き抜く経済学」を書いた人が何千万円も稼いでいるというパロディのような話とどこか共通している。