金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

日本の金融再編の予兆

2009年07月03日 | 金融

新生銀行とあおぞら銀行の合併に関するファイナンシャル・タイムズの記事を読むとかなり厳しい評価だった。Few mergers in Japan hace generated as much bewildement as the plannde integration of Shinsei and Aozora.

「新生銀行とあおぞら銀行の統合(正確には合併)より、困惑させられる合併は日本にはほとんどない」

FTは新銀行のビジネス・モデルについて多くの人が不安を抱いているとして、日興シティグループの野崎アナリストのコメントを紹介している。「顧客基盤が弱く、安定した収益源をほとんど持たない両行の合併にシナジー効果はほとんど期待できない」

余りに厳しい評価なので、野崎アナリストのオリジナル・コメントを見てみた。たまたま私は日興コーディアルに口座を持っているので、日興シティのアナリスト・レポートを読むことができる。それを見るともう少しモデレートなコメントで「プラス面は持株会社方式ではなく、合併であること。両行の海外投融資がプラスに転じる可能性があること」とし「マイナス面は新生が進めてきたノンバンク・ビジネスのリスク」とする。株価については両行の株価は150円台だがターゲットは250円。ただしリスクは高いと述べている。

ところでこの日興コーディアルだが、5月1日に当局の合意を前提に三井住友ファイナンシャル・グループ(SMBC)に譲渡することが発表されている。また資産運用業務を担っている日興アセットについては一千億円超で住友信託が買収する方向でシティと最終調整に入っている。さらに買収後の日興アセットにSMBCが出資するという記事が朝日新聞(ネット版)http://www.asahi.com/business/update/0703/TKY200907020367.htmlに出ていた。

SMBCが日興アセットに出資すると、投資信託の製造(日興アセット)から販売(日興コーディアル)まで傘下に持つことができる訳だ。もっとも日興アセットに対するコントロール・パワーは住信との出資比率によるが。

距離を保ってきたSMBCと住信だが、住信が日興アセットをお土産に親密化を高める可能性はあるかもしれない。そう推測する理由は「金融危機後のビジネスモデルはどうあるべきか?」と考えていくと幾つかのことが浮かんでくるからだ。

まず世界的な金融機関に対する規制強化から「資本の大きさ」が求めれるからだ。「大きさ」は絶対的なボリュームと「中核(普通株)自己資本比率の高さ」だ。次に「日本で証券・銀行の垣根が低くなった」ことだ。これは世界の潮流とは逆行するが、証券をグループ傘下におくメガバンクには、大企業向けに銀行・証券のフルラインビジネスを提供することが可能になった。逆にユニバーサル・バンクでないと大企業取引で太刀打ちできないことが一層明確になった。リーマンショック以来半年ほど銀行は優良企業に見たこともない程高いスプレッドで融資を行うことができたが、泡沫(うたかた)の夢だった。資金調達が以前の環境に戻ると真剣にビジネスモデルを再構築する必要が出てきた。

個人客を対象とする資産運用業務は金融危機で頓挫しているが、国内では数少ない有望ビジネスだ。だが少子高齢化と長引く(だろう)不況は個人の運用資産を蝕む可能性が高い。つまりここでも限られたパイを巡って熾烈な戦いが行われる。とすれば日興アセットのようなブランドは貴重な武器だ。

表面上金融危機が一段落したこの時期に新生・あおぞらの合併が発表され、日興シティの中核部分がSMBCに買収される可能性を見ると、日本の金融界に一つの再編機運が出ていると私は感じている。

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自民党、ここは毅然と野に下るべし

2009年07月03日 | 社会・経済

「自民党、野に下るべし」などという表題を掲げると、私のことを反自民党と思う人がいるかもしれないが、私は長年同党を支持してきた。それだけに昨今の「見苦しさ」に唖然とせざるを得ない。政党とは「同じ政見を持つ人の集団」という原点に帰って振舞うべきだろう。国民の一時的な人気が高ければタレントでも何でも担ぎ出すというようなことをすると、心ある支持者を永久に失ってしまう。

辞めればタダの人になる国会議員にとって当落はまさに死活問題だが、選挙に勝つには何でもあり・・・というぶれ方では政治不信を招きまた党の存在意義をなくす。負けたところで命まで取られる訳ではない。毅然とした負け方は次の勝ちにつながる。

歴史に学ぶとすると、徳川家康は圧倒的優位な武田軍に対して三方ケ原で毅然と立ち向かい惨敗した例がある。自国を悠々と通過する武田軍を指を加えて浜松城から眺めていれば、負けることはなかったが、家康は自国の豪族達の信頼を永久に失いひいては天下を取ることがなかっただろう。毅然とした敗北には未来があるが、見苦しい悪あがきには未来はないということだ。

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エコノミスト誌、麻生首相にとどめの一撃

2009年07月03日 | 国際・政治

少し前に世界のクオリティ・ペーパーは日本の政局についてほとんど触れていないと書いた。ところが7月2日付でエコノミスト誌はA kick up the Asoという記事で麻生政権の終末を予告した。記事には漫画がついている。麻生首相(あまり似ていないが)に空手着をきた怒れる男が後ろから飛び蹴りを食らわせようとする漫画だ。この時期麻生政権の終末を予想することは簡単なことだ。しかし7月8-10日のイタリア・サミットを前にしてエコノミスト誌にとどめの一撃を撃たれては、麻生首相も立つ瀬がない。

エコノミスト誌は自民党若手議員の集団が総裁選を前倒しして首相を交代させようとしていることや、党の有力者が麻生首相に辞任を求めていることを悪あがきでぶざまとこきおろしている。

In the end, it will probably be Mr. Aso's mediocre performance that administers the coup de grace. 最後は恐らく麻生首相の並だが期待はずれの成果がとどめの一撃をさすだろう。

Coup de graceというフランス語は「とどめの一撃」。戦争などで致命的な負傷で苦しむ人を苦しみから解放するために射殺する一撃をさす言葉だ。

エコノミスト誌は最近の世論調査で「選挙民の支持率は、民主党対自民党ほぼ2対1。だが約半分の国民はどちらの党も支持していない」

何故選挙民つまり国民の半数がどちらの党も支持していないのか?という分析はエコノミスト誌も行っていない。そこで私見を述べるとどちらの党も支持しないという人の中には「日本の政策は政党が決めているのではなく、官僚やアメリカが決めているのではないか?」と考えている人がいるのだろうということだ。

アメリカが決めている?というと疑問に思われる人がいるかもしれないが、郵政改革等日本の重要な方針は1989年に始まった日米二国間協議とその延長線上にある「年次要望書」で規定されてきた。私は「年次要望書」で米国が主張していることの中には、日本の国益上プラスのことも多いと考えているが、問題は重要な政策がこのようなメカニズムでテーブルに乗せられてきたことだろう。

今回エコノミスト誌は麻生政権の終末状況を報じたが、民主党政権が誕生した後の絵姿について何のコメントもしていない。株式市場等も既に政権交代を織り込んでいるといわれている。織り込んでもあまり変化がないということは、海外メディアや市場は上で述べたような政策決定メカニズムを熟知しているということだろう。勿論このことが良いのかどうかは別問題であるが。

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