昨日(7月13日)キリンとサントリーの経営統合の可能性を報じていた。曰く勝ち組同士がよりシェアを高め、国内での価格競争力を付け、拡大する海外市場に更に積極展開を狙う。これは高齢化で国内市場収縮に直面する多くの業界に示唆を与えるかもしれない。
だが今私は金融機関について敢えて逆のことを考えている。つまりメーカーなどにとって合併はプラスに働くことが多いが、ある種の金融機関にとって合併しないことこそが強みなのではないか?ということだ。
こう考えるに至ったには私自身の経験によるところが多いが、直接の契機は明日四半期業績が発表されるゴールドマン・ザックスについてちょっと考えてみたからだ。ゴールドマン・ザックスの業績見通しについては少し前から、相当良い業績発表になるといううわさがあったが、昨日アナリストのWhitney女史が「買い推奨」を出したこともあって、金融セクターの株価上昇を牽引した。
一昨日のニューヨーク・タイムズは「ゴールドマン・ザックスは市場に賭けるが、市場も又ゴールドマン・ザックスに賭けている」という名言を載せていた。一時的に公的資金を受け入れた(既に返済した)ゴールドマン・ザックスだが、リーマンショック以降荒れ続けた債券・株式・通貨・コモディティの市場でリスクを取り、資金調達に苦労する企業からは高いマージンで起債業務を引き受け、大きな利益を上げたということだ。詳しい内容はやがて誰かがまとまった記事か本にでもするだろうが。例えば「嵐の海で大漁旗を上げたゴールドマン」などという題で。
何故ゴールドマン・ザックスは他の金融機関が苦闘する(リーマンのように沈んでしまった会社もある)中で、生き残り他に先んじて大きな利益を上げることができるのか?というのが私の関心事で、その一つの答として「合併しないことの強み」という仮説を考えている。
ある種の金融機関、特に大きなリスクを取る金融機関にとって「将来の予想」ということが最も重要なことであることは議論をはさむ余地がないところだろう。この「将来の予想」について私は3つのレベルがあると考えている。第一段階は「技術のレベル」つまり企業分析や金利予測などを教科書に書いてあるレベルで行う段階。次が「アートのレベル」つまり数十人に一人というような優れた人間が英知を傾けて行う人智の頂点のレベル。そして最後が「神の領域」つまり大災害・テロ・疫病の蔓延など因果律をベースにした人間では予想できないレベルだ。
第一と第三のレベルを除くつまり第二の「アートのレベル」の予想能力を持つ人間をどれだけ揃えることができるかどうかが、ある種の金融機関の力の差になるのではないか?と私は考えている。ところがこのレベルの人間は合併で揃えることが難しい。何故なら彼(彼女)がそのように優れた能力の保持者であるということは、長年一緒に働く中で周りの人間が認識することで組織として認知されるからだと私は考えている。そのような人を見つけ育てる企業風土は簡単に移植できないだろう。
ところが合併組織の場合は、個人の特殊な才能を認めるメカニズムが働き難く、往々にして第一段階つまり「技術の段階」の将来予想に留まってしまう。あるいは「足して二で割る」ような将来予想に陥ってしまう。そうなるとボラタイルな市場でリスクを取り儲けることは困難だ。こう考えるとゴールドマンのように、単独で生きてきた組織のみが困難な環境下でも果敢なリスクテイクができることが説明できる。
なお将来予想に大きなリスクを取らない金融機関においては、規模の利益をもたらす合併は有効な手段といえるかもしれない。予想に大きなリスクを取らない金融機関とは例えばリテールに特化した金融機関である。これらの金融機関ではビジネスモデルそのものは「予想リスク」の対象だがそれはトップが行えば良いことで、個々の現場は第一段階つまり「マニュアル化された予想」を行えば良いことになる。
このように考えるとコモディティ化されたリスクを取り扱う金融機関の職員の給料が、アートのレベルでリスクを取る金融機関のそれよりも相当低くてもやむをえないことが分かる。ただし以上述べたことは私の仮説に過ぎず十分な実証性があるかどうかまだ自信はない。また強いから合併しないのか?合併しないから強いのか?という鶏・卵問題も検討課題だ。答があるかどうか分からないが。