才能と資質の違いって分かりますか?「同じようなものじゃないの?」というご意見が多いかもしれない。しかし明らかに違うと考えている人もいます。どうしてこんな話をするのか?というと最近角田光代さんのエッセー集「恋をしよう。夢をみよう。旅にでよう。」の中の「美貌、才能、健康。どれを選ぶ?」というエッセーの中で「何かをするのに資質は必要だが、才能は不必要である。才能という言葉を、今の私はてんで信じていない。」という一文に出会ったから。
意外に思われるかもしれないが、私は角田さんのちょっとしたファンでエッセー集は何冊が読んでいる。旅はさておき恋、夢なんてオジサンには似合わないけれど、角田さんのエッセーは心を軽くしてくれる何かがあると私は思っています。角田さんのエッセーは大体軽い話が多いんだけれど、時々「才能と資質」のようなアフォリズムが出てくる。それではっとするワケ。
角田さんは「才能と資質」は全く別物と言っている訳だけれど、それぞれの定義は述べていない。そこで一般に「才能と資質」は区別されているのかしら?と思い、インターネットの辞書(大辞泉)で調べてみた。辞書によると才能とは「物事を巧みになしうる生まれつきの能力」で、資質とは「生まれつきの性質や才能」とある。この定義によると才能は資質の一部になってしまい、角田さんの言いたいこととの説明にはならない。
そこで私なりに角田さんの「資質」を定義してみた。「資質とはある能力を発揮するための、優れた精神と肉体の基盤」というのが私の定義。いわば才能とは個々のアプリケーション・ソフトで資質というのはOS(オペレーティング・システム)。つまりいかに優れたソフトでも、しっかりしたOSの上でないと機能しないというのが私の理解だ。
角田さんの文章を引用しよう。「才能というのはあとづけの何かだ。一生続けることができたその一生の終わりにこそ、才能という言葉を持ってくるべきだ。二十歳かでもらえるギフトではない。それが私の個人的な『才能感』である。」「『ものを書く仕事を続けたい」と強く願った私が欲しがるべきものは、(才能ではなく)健康であった」
ということは角田流にいうと「健康は資質の一つ」ということになる。なお角田さんは書いていないけれど、私が能力を発揮する上で重要な資質と思うのは「持続する意思」。角田さんにはスポーツジムに通い続けたり、毎日定刻に職場(もの書き用の事務所?)に通って、作品を書き続けるという持続性があると思う。
でも角田さんの「頭のなかで五千枚の物語が終わっていても、それを書き起こすには数ヶ月かかるだろう。文字に移し変える作業というのは、どうしたって肉体労働である(だから健康が必要)」という文章を読むと、「頭の中に壮大な物語が浮かぶっていうのは才能じゃないですか?」と聞いてみたい気持ちがする。もし角田さんと会うことがあれば、確認したいことの一つである。