金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

【書評】「(日本人)」~知的好奇心を引出す中々の名著

2012年06月11日 | 本と雑誌

週末に京都を往復した新幹線の中で「(日本人)」(橘 玲 幻冬舎 1,600円)を読んだ。(日本人)は「かっこにっぽんじん」と読む。帯封にある「従来の日本人論をすべて覆すまったく新しい日本人論!!」が正しいかどうかは分からない(私は「日本人論」をそれ程読んでいないので比較は無理)が、色々な知的好奇心を引出す中々の名著だったとまず印象を述べよう。

著者の一つの論点は「戦後に出版された膨大な数の日本人論は・・・どの本も『日本人の特殊性』だけを論じていた」がそれはアメリカ人による日本人論の焼き直しで、けっして日本人は特殊でないというものだ。

次の論点は「日本人の世俗性が際立って高い」という点だ。ここは非常に興味深いところなので、私の自説を交えて少し説明したい。世俗つまり合理的価値観は伝統的価値観の反対概念である。著者はアメリカの政治学者イングルハートの世界規模でのアンケート調査による各国民の価値観の違いを分析した資料に基づいて、日本の世俗的価値観は世界で一番高いと述べる。

日本人の世俗性は明治維新や第二次大戦後に起きたことではない。著者は仏教哲学者・中村元の説を引用する。中村氏は万葉集の中の大友家持の「この世にし 楽しくあらば 来む世には 虫にも鳥にも われはなりなむ」という歌を引いて、日本人はいまが楽しければ、来世はどうなったって構わないと昔から考えていた、と述べる。

日本人は「世俗的だった」ことの理由を私は次のように考えている。第一に風光が明媚で、自然環境がそれ程苛酷でなかった日本ではインド仏教のようにこの世をけがれた穢土とし、来世で極楽に生まれ変わるという思想は定着しなかった(著者は「この世を穢土とする思想はまったく理解不能だった」と断言するが、私は日本史において時々「厭離穢土 欣求浄土」思想が力を得たことがあったので、定着しなかったと表現するべきだと考えている)。

「世俗的価値観」の反対は「伝統的価値観」で、伝統的価値とは共同体を束ねる宗教的・政治的権威である。日本人は「権威が大嫌い」なのである。(日本人)に引用されている「世界価値観調査」の資料を見ると日本人の内わずか3.2%の人しか「権威や権力を尊重するのはよいこと」と答えていない。イギリスでは76.1%が、アメリカでは59.2%が権威や権力は尊重されるべきだと答えている中でである。

どうして日本人は権威・権力が嫌いなのか?私見を述べると日本には強大な権力を必要とするほどの土木工事の需要が少なかったことが一つの理由ではないか?と私は考えている。

お隣の中国には「黄河を治めるものは国を治める」という諺があるが、日本では天皇でも加茂川すら治めることができなかった。上皇になって強大な権力を振るったといわれる白川上皇は「賽の目」と「比叡山の山法師」と並んで意のままにならないものが加茂川の水だと言っているが、天皇・上皇の権威・権力といってもその程度のもので、土木工事能力は極めて低かった。またその程度の治水能力でも何とか社会が回る程度に日本の自然環境はおとなしかったとも言えるだろう。

もう一度か二度読み返しながら、色々なことを考える手がかり・足がかりにしたい・・・というのが(日本人)を一読した印象である。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする