昨日(1月15日)大型補正予算を閣議決定した安倍内閣。支出総額は13兆円で内8兆円は国債に依存。好調な株価や円安傾向に、財政悪化を懸念する声は小さくなりがちだ。
産経新聞(ネット)によると、維新の会やみんなの党など野党からも今回の補正予算を評価する声があがり、野党だから予算案に反対、という単純な図式はなくなっている。
反対のための反対、がなくなることはいいのだけれど、本当にこの国のことを政治家達は考えているのかという懸念も残る。毎日新聞(ネット)は少し骨のあることを書いていたので後でコメントするとして、FTに寄稿したアダム・ポーゼン氏(ピーターソン研究所所長)の論点を整理してみよう。
ポーゼン氏は1990年代前半に日本は積極的な財政政策を取るべきだと主張したが、その時と今は状況が違うという。90年代前半は、不良債権問題から日本の金融システムの安定性がゆらぎ、財政は収縮していた。一方公的債務の水準は低く、短期的な財政発動が公的投資をクラウディングアウトする懸念はないと判断された。
ポーゼン氏は継続的な赤字財政の必要性は実は2003年半ばには終わってた、と述べる。それは03年頃には日本経済は立ち直っていたからだ。たとえば03年から金融危機が発生する前の07年までの間、一人当たり実質収入の伸びは年間1.8%でアメリカと変わりがなかった。
ポーゼン氏は日本は危機を引き起こすことなく、借金を膨らませ続けることができた(20年間でGDPの60%レベルから220%レベルまで。もっとも国が保有する資産を相殺した純債務ベースでは恐らく130%程度)、その理由は4つあるという。「銀行が巨額の国債を購入するよう誘引されていたこと」「家計が持続的な低金利を受け入れてきたこと」「国債の外国人投資家が少なく(最近でも8%以下)市場の圧力が限定的だったこと」「税収と政府支出の日本の総収入に占める割合が低かったこと」である。
だがこれらの要因はタダではなく、コストを伴っている。一例をあげると銀行による巨額の国債保有は商業貸付を圧迫した(私の考えでは、銀行は商業貸付が伸びない中、預金が増えるのでやむなく国債保有を増やした、という面もある。鶏が先か卵が先か的議論だが)
外国人投資家の圧力がないことは、長期的な円高と株式市場の低迷を招いた。
ポーゼン氏は「現在の日本には追加的な財政政策は不要だ。それは日本の本当の問題、デフレの再発と円の過大評価という問題に対処することなく、財政を悪化させ、国債金利を上昇させ、財政の弾力性を失わす。だから今は日銀による高めのインフレ・ターゲット設定と広範囲な金融資産の大規模購入で十分かつ妥当だろう」と主張している。
ところで毎日新聞(ネット)は「大型補正予算負担は後で、は無責任だ」と批判している。そして毎日新聞は「政権の真剣さを疑う一例が高齢者(70~74歳)の病院における窓口負担の1割から2割への引き上げの1年間延長だ、と批判する。
70歳代前半の医療費負担増を決めたのは、自公政権だったが、07年の参院選での惨敗後高齢者の反発を恐れて、引き上げ凍結を決めた。そしてその凍結が現在まで続いている。
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「反対のための反対」から「決められる政治」に脱皮することはよいことだ。だが大切なことは「目先の痛みを伴っても長期的にプラスになることを決める」ことである。今年の参院選に勝つことが決める政治の基準点(ベンチマーク)になっているとすれば、危険な話である。
世界は安倍政権の真剣度合いを見ているのである。