金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

Contract basis 名古屋の立ち飲みバーで外人と雑談

2015年09月05日 | うんちく・小ネタ

昨夜懇親会の後、いつものように名古屋在住のIさんと大名古屋ビルの裏の洋風居酒屋で一杯飲んだ。Iさんは明日セミナーのため、高山に行くとうので、いつもより早めに切り上げて店を出ようとした時、入り口近くで立ち飲みをしている外人3人組と眼が合った。

「こっちに来いよ」というので、近くのホテルに寝に帰るしか用事がない私は彼等とちょっと飲むことにした。

見知らぬ外人さんと話をしても良いかな?と思った背景には、先週のカナダ旅行がある。折角外国に行ったにも関わらず、カナダではレストランのウエイター・ウエイトレス相手位にしか英語を話す機会がなかった。しかも彼等・彼女等と一発でこちらの英語が伝わらないこともあり、私は多少憂鬱な気持ちになっていた。「随分英語が下手になったな?」と思ったのだ。

ここ3年ばかりの海外旅行にネパールが中心で、余り英会話に不便は感じなかったが、英語を母国語にする国にいくと、発音の悪さが足を引っ張ったようだ。だが多少負け惜しみをいうと、英語を母国語をしない人々は「色々な国の人は色々な英語を話す」ということを理解しているので、日本人の英語を受け入れることができるが、英語を母国語とする連中は自分たちの英語を完全なものと考えているので、日本人の英語を許容する力に欠ける・・・と言えないでもない、と私は思う。

50代後半の3人組は米国西海岸を生活拠点にしているが、航空機の仕事で名古屋に駐在しているという。「勤め先はボーイングか?」と聞くと、そうだという返事。

やがて子どもの話に話題が移り、シアトルをベースにしている男が自分には10歳と8歳の子どもがいる、という。「じゃ後10年以上は働く必要があるね」と私。「そう」「ボーイングには定年はないのか?(アメリカの会社は「定年は差別になるので一般に定年制がないことはしっていたが敢て質問)」と質問。すると彼は「僕はcontract basisで働いているので、定年は関係ない。それにボーイングには定年はないんだ。働きたい間働いていることができるのさ」と答えた。

Contract basis (job)は「契約ベースの仕事」で、契約社員とか個人事業主に該当する。自由裁量が大きいが、パフォーマンスが悪いと契約期限に契約打ち切りとなるリスクはある。

「ところであなた達、どうして日本で働くことを選んだの?」という質問に対して、少し前まで中国で働いていた男は「中国はこりごりさ。だから日本で働く道を選んだんだ」という。また別の男は「日本は安全できれいだから最高さ。冬にはスキーができるからね」という。

会社の辞令一つであちこち転勤しないといけない日本のサラリーマンに較べると、contract basisの彼等の方が、かなり自由な生活設計ができるように見えた。

「ところでアンタは何を仕事にしているの?」と聞いてきたので「私はもうregular jobからは卒業したよ。今では私もcontract basisで働いているよ」というと、彼等はビールグラスをあげて「それはgoodだ」と口ぐちに言った。

確かに私はある会社の顧問をしているので、contract basisで働いている、という言葉に嘘はない。もっとも「飛行機の開発」といったビッグプロジェクトに携わっている(だろう)彼等のcontract basisに較べるとかなり軽いものだが。

彼等との会話にはあまり不便を感じなかった。恐らく彼等が私に気を使ってゆっくりしゃべってくれたからだろう。

そしてふと思った。この前のカナダでウエイターたちに通じにくかったのは、カクテルの名前が多かったが、ここしばらく外国でカクテルを注文することがなかったので、カクテルの発音がいい加減になっていたのだと。

ネパールではビールやロキシー(現地の焼酎)を注文することはあるが、カクテルを頼むことはカトマンズの高級ホテルのバー以外ではありえない。高級ホテルのバーには滅多に行かないから、ほとんどカクテルを注文することがなかったのだ。

やはり英語は慣れであると思った次第。

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9月の一の宮は真清田神社へ

2015年09月05日 | まち歩き

昨日(9月4日)は相続学会の名古屋オープンセミナーの後、名古屋駅前モンブランホテルに泊まった。楽天経由で申し込んで一泊6,500円。セミナー会場(ウインクあいち)や名古屋駅に近いというロケーションと値段のバランスが良いので、名古屋の出張はここに泊まることにしている。清潔で良いホテルなのだが、難点は風呂が狭いこと。もっともこのクラスのホテルは皆同じようなものだが。

今日(9月5日)は晴天。予定どおり尾張一宮の真清田(ますみだ)神社を参詣に行くことにした。尾張名古屋で有名な神社は熱田神宮だが、熱田神宮は尾張三ノ宮で一の宮は一宮市の真清田神社である(偉そうに言ったが2,3日前に調べたのです)。

名古屋から尾張一宮へはJR快速であれば一駅20分程度。尾張一宮駅の北口をでて、しばらく歩くとアーケード街に突き当たるので、そこを左折した。

アーケード街の中にレトロな市役所の分庁舎があった。織物で有名だったこの街には、洒落た建物が残っている。

10分ほどで真清田神社到着。

立派な佇まいである。

 

御祭神は天照大神の孫の天火明命(アメノホアカリノミコト)だ。神武系の神様である。御朱印と一緒に頂いた神社の月刊誌?には宮司さんが中々勇ましいことを書いている。

「本年は、矛を収めて七十年の節目の年である。神社界では、靖国神社護国神社にお参りしましょうと、呼びかけを行っています・・・・七十年経っても、大東亜戦争という正式名称すら、国民の共通認識にまで至っていません。(連合国は)占領中に敵国家の基本法を変更してはならぬという規程違反を犯し、国情に合わぬ英語の翻訳憲法を強制しました。現行憲法であります。」

神社のように庇の深い建物を撮る時注意しないと庇の下が露出不足で黒潰れすることがある。そこで測光方式を「スポット測光」にして撮影。

神社で貰った尾張一帯の神社のマップをみると、2kmほど離れたところにある「大神(おおみわ)神社」も一の宮になっていることが分ったので、そちらも参詣することにした。風が爽やかなので、歩いていてもそれ程汗ばむことはない。

大神神社は閑静な住宅街の中にポツンと立っていた。

 

神社の由緒を見ると「大和系(三輪族)の人が大物主神を祀る大神神社を建て、先祖を祀り日々の安泰を祈った」とある。

古事記では大物主神(オオモノヌシ)は国譲りをする大国主神(オオクニヌシ)と協力して、豊かな国造りをする。だが大国主神は天孫一族に負けて国譲りを迫られ、出雲大社に祀られる。

この地域に天孫系(神武系)の真清田神社と大国主神系の大物主神を祀る両社がともに一の宮として祀られていることは、中々興味深い。勝手な推測をすれば、弥生時代から人々が住み付いていたところに新興勢力が進出してきて、真清田神社を作った。そして両者が尾張の一の宮として併存するようになった・・・・ということなのだろう。

ただし真清田神社に較べると大神神社は実に小さい。

「朱印を頂きたい方は社務所へ」という張り紙があったので、社務所に立ち寄り、声をかけると庭で草取りをしていた宮司さんが来て御朱印を押した紙を呉れた。中々気さくな宮司さんで私の朱印帳を見て「あちこち行っているね。大宮の氷川神社にも行っているね。でも武蔵一の宮は多摩の小野神社ですよ」と教えてくれた。

一般的には武蔵一の宮は大宮の氷川神社と言われているようなのでちょっとびっくり。

「ひょっとすると各地の一の宮は一つではなく、諸説あるのだろうか?」などと思いながら、人気のない境内を歩くと、大きな楠から蝉しぐれが降ってきた。

境内は広くはないが、清々しい風が吹いた。一の宮問題は次の研究課題である。

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旅読書は沢木耕太郎が良い

2015年09月05日 | うんちく・小ネタ

このところ旅が続いている。先週はカナダに行き、昨日から名古屋に来ている。

旅はいい。旅がよい理由の一つは本を読む量が増えることだ。

毎日のように仕事に行く必要がなくなったが、家にいると読書量が増えるか?というと必ずしもそうではない。

自宅にいると案外雑事に読書を妨げられることが多い。まず時々宅配便がくる。勧誘などの電話もかかってくる。

個人は思考を深める場所として故人は「馬上・机上・厠上」をあげた。馬上は揺れるので、読書の場所として適しているかどうかはわからないが、現在の「馬上」である列車や飛行機の中が、思索の場所のみならず読書にとっても最適の場所であることは間違いない。

私は旅に出るとき、軽い読み物と少し骨のある読み物の二種類を持って出ることにしている。軽い読み物としては、エッセーが多く、小説を持っていくことは意外に少ない。そもそも私の読書時間の中で小説に割く時間は少ない。なんとなく「作り事」に時間を割くことをもったいないと考えるところがあるのだと思う。

そんなことからノンフィクション作家の沢木耕太郎を読むことが多い。時には昔読んだ沢木のエッセー集をかばんに詰めていくこともある。

昨日は名古屋に向かう途中「チェーン・スモーキング」の中の「懐かしむには早すぎる」を読んだ。これはニューヨークに近いアトランティック・シティでカジノを楽しんだ沢木がニューヨークに帰る日の朝、記念にTシャツを買おうかどうか迷う話である。

今まで旅先で記念品など買ったことがなかった沢木は「なぜ自分がTシャツを買いたいという衝動にかられたか?」を分析する。

そして「自分が再びこの地を訪れることはないのではないか?」という思いが背景にあったことを発見する。

沢木はいう。「旅は、やはり、どこか人生に似ているんかもしれない。ある時までは人生にすべてが可能だと思っている。だが、やがて、できることとできないことがあるのを知るようになる。・・・・しかし歳を取るにつれて、行かれない土地というものがあることを知るようになる。」

しかし結局沢木はTシャツを買わずにショー・ウインドウの前を離れた。「確かにもう来られないかもしれない。しかし、だからといって、記念の品を持ち帰ってどこかに飾り、それを眺めながらかって行ったことのある土地を懐かしむのはまだ早い、と思えたからだ。」と彼は書く。

先週のカナダ旅行でワイフはちょっとシックなTシャツを買ったが、私は自分の記念になるものは一つも買わなかった。

「バンフにはまた来たい。特にスキーシーズンにはぜひ来てみたいものだ」という思いが、記念品などから足を遠ざけていたようだ。

旅読書は沢木耕太郎が良い。沢木の本を読んでいると時々彼の思いと自分の思いに共通する何かがあることを発見するので旅が楽しくなるのである。

 

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