WSJは昨日発表されたニューヨーク連銀のレポートによると、「インフレ率は4月が2.6%から先月は3%に上昇しているが、消費者は経済の先行きにより楽観的になっている」と報道していた。
「アメリカ人は楽観的過ぎ、日本人は悲観的過ぎる」とは昔からよく言われているところ。日本人の感覚からいうと2百万人近い人がコロナウイルスに感染し、11万人以上がコロナウイルスで死亡し、7人に1人が失業している状態で「楽観的」になれるのはおかしいと思う人が多いだろう。
逮捕された黒人が警官の拘束により死亡した事件に対する抗議デモが各地で起こり、首都ワシントンでは週末に数万人が抗議デモに参加した。
そんな中で先週金曜日に発表された雇用データが事前予想より良かったことに株価は急騰し、消費者のセンチメントは楽観ムードが高まっている。
この楽観の背景には2つのことがあると私は考えている。
一つはアメリカ人のメンタリティが楽観的にできているという点だ。これは後述する。
もう一つは「社会や雇用の仕組みが経済環境の激変に抵抗せず、破壊的変革を受け入れることで成長する」ようになっていることだ。
例えばキンドルのような電子本が流行りだすと、伝統的な本を売っている書店が大規模なリストラや倒産に追い込まれるという具合にだ。この時企業も政府も生き残れない業態を救済するような動きはとらない。だから失業者が顕在化する。日本では雇用を守る傾向が強いから失業者は顕在化せず、社内失業者が膨らむ。そしてゾンビ企業がいつまでも淘汰されずに存続する。
歴史を振り返ると日本にも「破壊的変革を受け入れて成長した」時代はあった。一つは明治維新だ。ペリーの来航に端を発した外圧の激震を受けて、封建制度は破壊され、仏は寺から叩き出された。
もう一つは第二次大戦の敗戦だ。一夜にして鬼畜米英と書かれた教科書は黒塗りされ、農地は開放され、アメリカ万歳となった。これまた価値の破壊的変革である。
だが平和な時代が70年以上続き、社会の担い手が高齢化すると破壊的変革を受け入れることが出来なくなってしまった。個人番号制度は世界の中で類を見ない程普及が遅れ、緊急時に困窮者に迅速な支援ができない使えない制度であることを世界に露呈した。
「現状を捨てることは将来を広げることだ」という考え方が広くアメリカ人に浸透している可能性がある。今世紀の初め頃、アメリカの社会心理学者クランボルツ博士は「キャリアの8割は偶然決まっていくのだから、行き詰った時は新しい世界に飛び込めばよい」というキャリア理論を展開し、IT革命に翻弄されたアメリカ人の支持を得た。
クランボルツ博士は偶然を味方につけるには「好奇心」「冒険心」を持ち「柔軟性」「持続性」のバランスを保ちながら「楽観的」であることが大事だと説いた。
この5つの徳性の中で敢えて一つを選ぶとすれば私は楽観的であることをアメリカ人の美質としてあげたいと思う。
楽観的であれば、新しいことにチャレンジできるし、環境の変化を受け入れることができる。
コロナウイルス騒動の後、変わることができる可能性が高い国がアメリカである。各地で起きているデモも変わろうとしている社会のうねりと私は考えている。