金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

盛岡の夜と朝(2)~二人の総理の墓所を訪ねて

2020年09月22日 | 旅行記
盛岡の町には以前からちょっと関心があった。その理由は極めて個人的なものである。江戸時代この地を支配した南部藩の藩主に私と同じ名前の人がいたことが盛岡に親近感を抱かせるのである。もっとも名前を付けた親父が南部の殿様のことを意識していたかどうかは分からない。親父は3年ほど前に亡くなっているのでもはや確かめる術もない。
 さて盛岡城址公園から南東に1㎞ほど歩くと盛岡八幡宮がある。広大な境内を持つ立派な神社である。盛岡は土地が豊富なのかお城も広いし、道路も広くあまり渋滞を見かけなかった。全体にゆったりした感じである。


さて盛岡八幡宮から6,7百メートル南西に行ったところに寺院が固まった一画がある。偶々のぞいた大慈寺というお寺には原敬の墓所という案内板が掲げられていた。
更にもう少し南西に進み、北上川に近づいたところに円光寺というお寺があり、ここには米内光政が眠っている。なお写真は八幡神社の参道で見かけた米内の居住地跡の石碑である。


岩手県は4人の総理大臣を輩出している。原敬・斎藤実・米内光政・鈴木善幸である。総理大臣を一番輩出している県は山口県で8名、次が東京で5名だ。岩手県の4名は群馬県と同数で堂々の3番目である。戊辰戦争時代に賊軍となった岩手県から4名の総理大臣が出ていることは中々興味深い。また原敬と米内光政の菩提寺が近いのも興味深い。原と米内の年齢は一世代離れている。二人の間に何か関係があったのか(なかったのか)?など調べると面白そうだ、と思いながら私は盛岡を後にした。
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盛岡の夜と朝(1)

2020年09月22日 | 旅行記
岩手山に登るため盛岡に二泊した。盛岡には冬安比高原にスキーに来る時、前泊することがあるが街を散策するのは初めてである。
 一日目の夜はスキーの時に立ち寄った吉浜(きっぴん)食堂で夕食を楽しんだ。ここは珍しい魚を出してくれる。この日はマンボウの刺身を頂いた。白身の淡白な魚である。酢味噌が良くマッチした。


二日目は幹事さんが選んでくれた「海ごはん しまか」。幹事さんは太田和彦の「居酒屋百名山」から選んだ積もりだったが、この店は百名山ではなかった。盛岡の百名山は「とらや」だけである。だが「海ごはん しまか」は美味しくてコストパフォーマンスの高い店だった。料理3千円+飲み放題2千円のコースで海の幸と南部の美味しい日本酒を堪能した。太田和彦が選ぶ居酒屋百名山よりは若者向きの感じがする店だが良い店だと私は思う。



さて今日は「早池峰を登りに行く」という名古屋の元気組と別れて私は一人で盛岡の町を歩いた。まず盛岡城址公園に行き、その一画にある櫻山神社をおまいりした。この神社の奥には写真の巨岩がある。その形から烏帽子岩と呼ばれている。
盛岡城は石垣が残るのみだがその石垣は立派である。また城の構えも大きい。


お城を出て中津川を渡ると岩手銀行赤レンガ館があった。百年以上も前に盛岡銀行本店として建築された建物で内部が公開されているが、時間が早かったので中を見学することはできなかった。


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三度目の正直で岩手山登山

2020年09月22日 | 
昨日(9月21日)岩手山(2,038m)に登った。岩手山には過去2度挑戦しているが、悪天候や雪の斜面に対する準備不足でギブアップしている。東北新幹線の車窓から見る岩手山は迫力満点で是非登りたいと思っていた。たまたま百名山踏破を目指している山仲間のSEさんから誘いがあったのでご一緒することにした。
(写真は朝の開運橋から見た岩手山)
前日(9月20日)盛岡のホテルに泊まり、朝レンタカーで馬返し登山口に向かった。登山口には既に沢山の車が止まっていたが、ここの駐車場はかなり大きく余裕がある。インターネットの情報では150台駐車可能とのこと。
 6時50分に登山開始。1時間程登っていくとパラパラと雨が降ってきたがすぐに止んだ。登山道は2.5合目で旧道と新道に分かれる。旧道の方が眺望が良いので旧道を登る。しばらくすると岩盤が露出し眺望の良いところにでた。
新旧の登山道は7合目で合流する。この7合目までがきつい登りだった。7合目から8合目避難小屋まではあっという間に到着。避難小屋前には御成清水という湧水が溢れていた。軽く食事を取った後、体が冷えてきたので薄いアウターを着ていよいよ頂上に向かった。不動平避難小屋から火口の縁に登るルートは二つある。我々は頂上に近い左のルートを登ったが足場がザラザラであまり歩き良くなかった。下山時は右側(下から見て)のルートを下ったが、こちらの方が歩きやすかった。
火口の縁にでると風が強い。だが頂上は一投足の距離だ。
11時43分山頂到着。

下山に向かうと雲が晴れて火口の様子が明らかになってきた。
火口に生えている草は既に紅葉していた。
足元には8合目の避難小屋が見えた。中々立派な小屋である。
7合目から降りは新道を下山した。新道はほぼ樹林の中で眺望はほとんどない。15時20分登山口到着。登りに4時間50分(休憩込み)昼食20分降りに3時間20分(休憩込み)という登山時間だった。標準的なコースタイムが4時間半降り3時間15分程度だからそこそこのペースで歩いたといえるだろう。
4連休のこの日は若い登山者が多く、「お先にどうぞ」を連発してゆっくり歩いた。コロナウイルスの影響で色々な活動が制約される中、新鮮な空気をたっぷり味わえる登山の人気は高まっていることを実感した次第である。
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