盛岡の町には以前からちょっと関心があった。その理由は極めて個人的なものである。江戸時代この地を支配した南部藩の藩主に私と同じ名前の人がいたことが盛岡に親近感を抱かせるのである。もっとも名前を付けた親父が南部の殿様のことを意識していたかどうかは分からない。親父は3年ほど前に亡くなっているのでもはや確かめる術もない。
さて盛岡城址公園から南東に1㎞ほど歩くと盛岡八幡宮がある。広大な境内を持つ立派な神社である。盛岡は土地が豊富なのかお城も広いし、道路も広くあまり渋滞を見かけなかった。全体にゆったりした感じである。

さて盛岡八幡宮から6,7百メートル南西に行ったところに寺院が固まった一画がある。偶々のぞいた大慈寺というお寺には原敬の墓所という案内板が掲げられていた。


更にもう少し南西に進み、北上川に近づいたところに円光寺というお寺があり、ここには米内光政が眠っている。なお写真は八幡神社の参道で見かけた米内の居住地跡の石碑である。

岩手県は4人の総理大臣を輩出している。原敬・斎藤実・米内光政・鈴木善幸である。総理大臣を一番輩出している県は山口県で8名、次が東京で5名だ。岩手県の4名は群馬県と同数で堂々の3番目である。戊辰戦争時代に賊軍となった岩手県から4名の総理大臣が出ていることは中々興味深い。また原敬と米内光政の菩提寺が近いのも興味深い。原と米内の年齢は一世代離れている。二人の間に何か関係があったのか(なかったのか)?など調べると面白そうだ、と思いながら私は盛岡を後にした。

岩手県は4人の総理大臣を輩出している。原敬・斎藤実・米内光政・鈴木善幸である。総理大臣を一番輩出している県は山口県で8名、次が東京で5名だ。岩手県の4名は群馬県と同数で堂々の3番目である。戊辰戦争時代に賊軍となった岩手県から4名の総理大臣が出ていることは中々興味深い。また原敬と米内光政の菩提寺が近いのも興味深い。原と米内の年齢は一世代離れている。二人の間に何か関係があったのか(なかったのか)?など調べると面白そうだ、と思いながら私は盛岡を後にした。