金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

投資とは変動、恐れ、不確実性に耐えること~お金の心理学を読んで(3)

2020年09月23日 | 本と雑誌
 (仮題)「お金の心理学」The Psychology of Moneyは6割ほど読み進み、第15章Nothing's free(ただのものはない)まできた。
 著者は「ただものはない」という基本原則は投資にも当てはまると述べる。
 そして投資が求める対価は、金銭的なものではなく、ボラティリティ、恐怖、疑い、不確実性と後悔であると述べる。さらにこれら総ては実際の世界で取り組むまで簡単に見過ごしてしまうと警鐘を鳴らす。

 偶々このあたりを読んでいる時に米国株式相場は大荒れの模様を呈していた。 サマーラリーで急騰していたハイテク銘柄が売られた上、欧米ではコロナウイルス感染再拡大の懸念が広がり、弱気の虫が頭をもたげてきたのだ。
 "Hold stocks for the long run," you'll hear. It's good advice. But do you know how hard it is to maintain a long-term outlook when stocks are collasping?
「株式の長期保有」は良いアドバイスだ。しかしあなたは株式相場が大崩れしている時、長期的な展望を維持することが如何に困難なことを知っていますか?と著者は警鐘を鳴らす。
 そしてその答が「株式投資の高いリターンは(短期的な)価格変動を対価として得られるものだから、投資家はその対価を払わなければならない」というものだ。そして「価格変動に耐える」という入場料を払うことで高いリターンを得られる可能性がある株式投資を楽しむことができると喝破する。
 著者は株式投資を入場料100ドルのディズニーランドに譬え、入場料が10ドル程度の街の催し物や無料の自宅滞在より得られる効用が大きいと述べる。
 ただし彼は「株式相場は入場料を払うに値するけれども保証はない。ディズニーランドでも時々雨が降る」と結んでいる。
 
 
 

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「デジタル庁」は名前が悪い。「情報・コミュニケーション庁」位が良いかな?

2020年09月23日 | ライフプランニングファイル
 菅内閣の眼玉の一つが「デジタル庁」だ。コロナウイルス対策として国民への給付金支給や企業への助成金支給のオンライン申請が機能しなかったことの反省から行政のデジタル化を一元的に推進するために「デジタル庁」を新設するプランだ。
 その方向感は正しいが名前が悪いと私は感じている。
 デジタルDigitalとはアナログAnalogの反対語で、整数化・量子化という意味だ。これに対してアナログは連続的なデータを指す。たとえば気温の変化などは本来連続的なはずだ。つまり体温の変化を36.3分から37.2分に上昇したと表現するが、実際の体温はもっともっと細かい刻み(さらにいうと刻みがないほど)で変化している。アナログは滑らかでデジタルはカクカクしたイメージだ。
 デジタルは情報を数値化しているので「伝送による劣化がない」とか「統計的処理がしやすい」というメリットがある。一方アナログは表現力が豊かで情報量が多いが劣化しやすいという欠点がある。
 巷間デジタルは新しく、アナログは時代遅れにイメージがあるが私は、デジタル・アナログ双方に良いところがあるのでデジタルをアナログの上位に置くつもりはない。
 さてなぜ「デジタル庁は名前が悪い」というか?というと情報の数値化ということに力点が置かれ過ぎ、情報を発信する人と情報を受け取る人のコミュニケーションが軽視される点にある、と私は考えている。
 デジタル化と同じようなニュアンスで使われる言葉にICTという言葉がある。Information &  Communication Technologyである。日本語では情報・通信技術と訳されることが多いが、私はCommunicationを通信と訳することにこれまた問題があると考えている。Communicationはコミュニケーションとしてそのまま理解するのが良いようだ。
 Communicationは幾つかの意味を持つ単語で「通信」もその一つだが「意思疎通」という意味もある。「あの人はコミュニケーション能力が低い」という場合は、相手が発する言語的あるいは非言語的な情報(身振り・手振り)などを受け止め、理解する能力が低いという意味である。
 
 デジタルであれアナログであれ、大切なのは人間は発信する情報そのものである。我々は簡単に計数化できる情報を発信する場合もあるし、簡単に計数化できない複雑なニュアンスを発信したいと思う時もある。
 たとえばZOOM会議なで感じる物足りなさは、非言語的なコミュニケーションが制限される点にあるのだ。
 
 話をまとめよう。政府が掲げるデジタル化はともするとハード面の整備に偏する危険性が高い。無論ハード面の整備は必要条件だ。だがそれだけではデジタルトランスフォーメーションは進まない。たとえばオンライン診療を考えると患者が発信する非言語的な情報を~主にアナログな情報を~如何に医師が理解するか?ということが最大の課題だろう。無論それには人工知能の力を借りることが多い。一方で患者側に非言語的な情報をできるだけ言語化する訓練も必要になるだろう。

 つまり政府が(おそらく)考えているデジタル化を推進するには、情報を発信する側と受け取る側のコミュニケーション能力を高めることが一番重要なのだ。この点を軽視するとハードウエアの残骸が積み重なってお仕舞、ということになりかねない。
 

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