テレビのニュース解説番組で、中国の習近平政権が昨年打ち出した学習塾禁止について取り上げていた。番組によると中国では、平均すれば子どもの教育に親の年収の半分が持っていかれるということだ。これは平均の話なので都市部に住む裕福な家庭の子どもは塾に通い、厳しい受験競争を経て有名校に進み、大企業や党幹部の道を歩き始めることができるが、農村部の子弟がその道を歩くことは極めて困難なことを意味する。
私はふと「上品に寒門なく下品に勢族なし」という言葉を思い出した。これは南北朝時代の南朝で実施された九品中正という官吏登用試験制度が人材登用面では機能せず、豪族の子弟のみが上品(高級官僚)になり寒門(貧しい家柄)のものは高級官僚になれないことを揶揄した言葉である。
九品中正制度は隋唐の時代に科挙の制度に代わり、その次の宋の時代になると皇帝自らが最終試験を行うなど試験は滅茶苦茶に難しくなる。では能力があれば誰でも合格するかというとそうではない。本を買うにも先生の指導を受けるにも受験勉強を続けるにもお金がかかる。やはりお金持ちの子弟でないと科挙に合格して高級官僚の道を歩むことはできないのだ。
現代の中国では大学進学率が5割を超えているという。しかし大学を卒業しても就職できる学生は3割程度らしい。最大の理由は大卒レベルを必要とするポジションがそんなに多くないことだ。習近平政権の狙いは学習塾を禁止して、「誰でも猛勉強」の社会から「普通の子は職業学校に進む」ような社会に変えることなのだろう。
だがその試みがうまくいくかどうかは分からない。なぜなら南北朝の頃から中国は官吏登用試験の合格を目指す社会になっているからだ。
テレビでは有名大学に合格した青年を村をあげて祝福している映像を流していた。
中国はエリート官僚が幅を利かしてきた社会で、官僚を含めてエリートになるために猛烈に勉強し、苛烈な受験戦争を勝ち抜くことを原動力として動いてきた社会だ。「上品に寒門なく下品に勢族なし」は今も通用するルールなのだろうから国民の意識は簡単には変わらないのではないだろうか?と私は考えている。