コロナ禍から約2年。私が関わっているボランティア活動にもかなり問題が出てきたと感じています。一つのボランティア活動は「ネパールに小学校を建設する・建設した小学校の維持修理を行う」というもので、そのために毎年1回程度ネパールに渡航していました。しかしコロナ禍でネパールに渡航することはもとより、現地における修理復興活動(2015年のネパール大地震で被害を受けた学校の復旧作業)も停滞しています。
コロナ禍の中でも何かできることはないか?と考えリモートでの日本語教室などを試みていますが、多くのボランティア活動参加者はやることがなく、手持無沙汰な状態です。
もう一つのボランティア活動である日本に住む外国人に日本語を教える活動の方も公民館等共同スペースの貸し出しが制限されたり、感染拡大が進む中、対面の授業を止めたいと考える先生・生徒が増えて活動は大幅に制限されています。
このボランティア活動のコアメンバーは年配の女性の方が多く、LINEで「自宅籠りで筋力低下が最重要課題」などというチャットが私のところにも入ってきます。
これはまだ誰も声に出して言ってはいないのですが、筋力低下とともに生きがい低下も起きつつあるのではないか・・と私はちょっと危惧しています。
多くの人は生きがいとは自分で見つけ決めるものだ、と考えているかもしれませんが、私は生きがいとは家族と友人あるいは社会とのつながりの中で生まれるものだと考えています。つまり何かを誰かに期待されるから生きがいが生まれるのです。現役で働いている時は仕事を通じてこの期待が生まれるはずです(期待感が実感できないと疎外感が高まりますが)。退職後は趣味やボランティア活動に生きがいを求める人が多いと思いますが、趣味の世界でも私は誰かに活動内容を知ってもらいたいという気持ちが働いてそれが活動のモチベーションになっていると考えています。
だから多くの人が自分の登山活動をフェイスブックにアップし、インスタグラムに写真を載せ、ブログを書くのです。
活動的な人は自立しているけれど孤立はしていない。むしろ自立した人が情報交換をしたり手を携えてより大きなプロジェクトに取り組むことで活動の地平線を広げているのです。もっと平たくいうと「いいね!」は元気の源なのです。
ところがコロナ禍で活動の舞台そのものが狭くなり時にはなくなるとボランティア活動は大きく停滞します。ボランティア活動の停滞が一人一人の生きがいの減退につながりそれが活力を削ぐようなことになるとその副作用は非常に大きい(たとえば活力の低下が免疫力の低下につながるなど)と思います。
「不要不急の外出を控えて」というスローガンは一見正しいように見えますが、一見不要不急に見える人間の活動の中には案外生きがいを高めることで人々に活力と健康をもたらし、ひいては免疫力を向上させているようなものがあるのだろうと私は考えています。