「致仕」は箴言というほどではありませんが、70歳を指す言葉です。70歳を指す言葉としては「古希」が一番よく使われるでしょうね。「古希」は杜甫の曲江詩の中の「人生七十古来稀」から来ています。70歳まで生きる人は稀だということですね。
一方「致仕」の語源は儒教の古典・礼記の「大夫七十、而致事」から来ています。古代の中国では政府の高官は70歳になって退職を認められたということですね。江戸時代の幕府の高官も健康であれば、失策がない限り、70歳位まで働いていようです。
「70歳まで生きる人は稀だ」ということと「70歳まで退職が認められなかった」というのは、一見矛盾しているようですが、医学や公衆衛生が発達する近代以前でも成人した人の寿命は意外に長かったと思います。昔の人の平均寿命が短い大きな原因は幼児の死亡率が高かったことや戦乱・飢饉等による死亡が多かったことにあると思います。
平和な時代に健康に気を配りながら生活していた人の寿命は意外に長かったのでしょう。
今日本では「70歳位まで働こう」という声が高まりつつあります。平均寿命が40歳、50歳という昔に高級官僚という一部の人にしろ70歳まで働くことになっていたという事実はもっと参考にして良いでしょうね。
さてなぜ高級官僚の場合、70歳位まで働くことが求められたのでしょうか? これは私の推論ですが、古い人ほど前例を良く知っているからでしょうね。昔は前例主義だったのです。
心理学の用語でいうと「学習や過去の経験に基づく知識、つまり結晶性知能が問題解決に有効」だったのでしょうね。結晶性知能は年をとっても増え続けると言われていますから、経験豊富な人は重宝されたのでしょう。
一方新しい状況に対応する時求められる「流動性知能」は年齢とともに低下します。変化が激しい時に若いリーダーシップが求められることは自然なことなのでしょうね。
さて現代は変化の激しい時代ですが、人の心や人間関係の問題を見ると、人の心は技術革新の速度ほど速いペースで変化している訳ではありません。
心と技術革新の速度の差が人生の色々な場面で葛藤を生み、それがストレスの原因になっていることは多いと思います。
現在の社会でも経験豊富なシニアの知恵を借りた方が良い場面はあると思います。シニアの方もメンターとして活躍する場はあるでしょう。「致仕」という言葉を再考したいですね。