「浜までは海女も蓑着る時雨かな」は江戸中期の俳人瓢水の句です。
無欲、無私の人と評判だった瓢水。その評判を聞いてある時、旅の僧が瓢水を訪ねてきました。ところが瓢水は留守。旅の僧が家人にどこに行ったのか尋ねると「風邪をこじらせて薬を買いに行った」とのことでした。
それを聞いて旅の僧は「さすがの瓢水も命が惜しくなられたか」という言葉を残して立ち去りました。
帰ってきてその話を聞いて瓢水が作ったのがこの句です。
「いよいよとなるまでわが身をいたわりたい。病気はなおしたい。」という気持ちを含んだ句ということです。
道元禅師が、病気が悪化した時弟子に残した言葉があります。
「今生の寿命は、この病気できっと最期だと思う。だいたい人の寿命には必ず限りがある。しかし、限りがあるからといっても病気のままに、なにもせずに放っておくべきではない。・・・あれこれ医療を加えてもらったが、平癒しない。これも寿命であるから驚いてはいけない」(角田泰隆「座禅ひとすじ」より)
私の両親も家内の両親も既に亡くなり、親戚筋でも高齢者の方が少なくなりました。(と思ったら自分が高齢者でした)
このため重篤な病気や悲しい知らせは友人筋のものが多くなっています。
特にまだ若くして(といっても私の同年代)奥さんががんにかかったなどという話を聞くと慰める言葉が出てきませんね。
「浜までは海女も蓑着る時雨かな」や「寿命だから驚いてはいけない」という言葉は、自分が命に係わる病気になった時に思い出すべき言葉ですが、人様に簡単にいえる言葉ではありません。むしろ元気な時に頭に隅に留めておくべき言葉でしょう。