この箴言は徒然草第七段に出てきます。
「命あるものを見るに、人ばかり久しきはなし。・・・あかず惜しと思はば、千年を過ぐすとも、一夜の夢の心地こそせめ。住み果てぬ世に、醜き姿を待ち得て何かはせむ。命長ければ辱多し。長くとも、四十(よそじ)に足らぬほどにて死なむこそめやすかるべけれ」
角川書店ビギナーズ・クラシックス徒然草によると現代語訳は次のとおりです。
「命あるもので、人間ほど長生きなものはない。・・・もしも命に執着すると、たとえ千年の長い年月を過ごしても、それはたった一夜の夢のようにはかなく感じるだろう。永遠には住めないこの世に醜い姿になるまで生きていて何になるなろうか。長生きすると、恥をかくことも多くなる。長くとも、四十そこそこで死ぬのが無難というものだ」
この本によると兼好法師の時代の平均寿命はおよそ三十歳。四十歳ともなると四十の賀という長寿の祝いをした、ということです。
ですから当時の四十は現在の七十歳位に相当するかもしれません。
もっとも四十そこそこで死ぬのが無難、といった兼好法師は七十歳過ぎまで生きていました。好き勝手なことを言っていたから長生きできたのかもしれませんね。
おおよそ老年学に関する箴言を述べている人は言行不一致の場合があるということは頭に入れておいた方が良いでしょう。
ただ将来もし私が延命治療を受けるような事態になった時には、この言葉を思い出し、回復の見込みのない終末期医療は止めて欲しいと言いたいと思います。
もっともその場になっては、意思表示をすることはできないでしょうから、家族や主治医に事前に行っておく必要がありますね。
兼好法師の言葉は、「限りある命だから、いたずらに長寿を求めるのではなく、充実した生き方をしなさい」と解釈したいと思います。