金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

エコな休日

2007年01月27日 | まち歩き

私は冬の三法寺池が好きで時々車で行っていたが、今日は健康とエコロジー促進のため自転車で往復した。田無の自宅から片道7.5㎞約35分である。復路は結構ペダルが重いので標高差を調べてみると僅かに20mだった。自転車というものは標高差にすごくセンシティブなのだろう。

さてこの時期の三法寺池を歩くと色々な野鳥に出会うことができる。

すぐ分るのがシジュウガラだ。

Shijyugara3

木の幹にそって垂直に移動しているのはコゲラだ。キツツキの仲間の小さい鳥で最近都会に進出してきたと手元の本には書いてある。比較的人を警戒しないようだ。

Kogera2

次にシメらしい鳥を見つけた。ただし自信はない。週明けに野鳥博士に聞いてみよう。

Akaashi

池に目をやるとバンが盛んに餌を食べていた。

Ban_1

朝の日の光がくちばしを透しているようでとてもきれいだ。

私はカモは余り愛嬌のないどちらかというと恐い目をしていると思う。写真のハシビロガモ(?)も目は可愛らしくない。

Hashibirogamo

 

こんなことをしながら1時間弱池の周りで遊んで帰った。往復は自転車だし、撮った写真もネットに載せるだけでプリントはしない。自転車で三法寺池巡りはエコで健康的な休日の過ごし方である。

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「中古住宅」、呼び名を変えたらどうだろう

2007年01月26日 | 社会・経済

今ある雑誌にリバースモーゲージの記事を書く準備を進めている。住宅流通市場の勉強もその一環だ。住宅の流通市場の業況は米国では景気動向を判断する重要な指標になっている。例えば昨日(1月26日)のウオール・ストリート・ジャーナルは2006年の既存住宅取引件数の前年比減少幅は1989年以降最大だったと報じている。具体的にいうと2006年の既存住宅取引件数は648万件で前年比8.4%の減少である。

米国では全住宅取引(新築+既存)の8割近くを既存住宅取引が占めるので、その取引動向が経済の活性度合いを図る重要な指標になる。ところで日本では既存住宅取引が全取引に占める割合は13%弱と推計される。その影響度合いが少ないことやタイムリーな統計データが得られないので金融市場関係者は注目しない計数だろう。

しかし日本で既存住宅市場を活性化することは高齢化対策や省資源対策の面で喫緊の課題であろう。ところで私はこの文章の中で中古住宅のことを既存住宅と呼んできたが、イメージを良くするために中古住宅という呼び方を既存住宅に変えたらどうか?というのが私の提案である。

米国で「既存住宅販売件数が大幅に下落した」というのはExisting - home sales plungeであり、Used - home sales plungeではない。米国でも中古車はUsed carという具合に中古はUsedなのだが、住宅についてはUsedとは言わない。ここに住宅に関する日米の意識・考え方の違いが顕著に現れている。つまり住宅というものは長い間色々な人で使われていくものなので新築と既存の区別はあるが、古物というものはないということだ。これは絵画等美術品に中古という概念がないことと似ている面がある。

ということで日本でも既存住宅の流通市場を活性化しようと思うのであれば、行政当局や不動産業界が中古住宅という呼び方を既存住宅に換えた方が良いと思うのだがどうだろうか?

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格差社会って何なのだ?

2007年01月25日 | 社会・経済

第166回通常国会が召集された今日、民主党の菅代表代行が「この国会を格差是正国会と名付けて闘っていく」という挨拶を行なったそうだ。ということを民主党ホームページで見たので民主党がいう格差とは何なのか?を探してみたが格差の定義は見つからなかった。

今格差という言葉が巷を賑わしているが、格差とは何なのだろう。例えば同じ年代の人の間に所得格差があることを格差というのか?それとも同じ仕事をしていても正社員と派遣社員やアルバイトの間に給与の差があることを格差というのか?あるいは同じ仕事をしている正社員の中で勤続年数や年齢によって差があることを格差というのか?

という具合に一口に「所得格差」といっても、色々な観点からの格差がある。で、民主党はどのような格差を是正したいのだろうか?一つの極端な例として年齢・勤続年数・スキル・雇用形態・勤怠・生産性などの差に係らず総ての勤労者が同一の報酬を得る社会があったとする。これは究極の格差なき社会かもしれないが、格差もないかわりに積極的に仕事をするモチベーションの湧かない社会だ。民主党はこのような社会を作ろうとしているのだろうか?

実は生涯賃金ベースで見た時、日本は世界の先進国でもっとも格差の少ない社会だろうと判断される。しかし年齢間の所得格差でみると、年功序列型賃金体系のため欧米諸国より格差は大きいのである。また低所得者間の格差が相対的に大きいのも一つの特徴である。しかしこの日本の社会が人々特に若い人から強い支持を得ているかどうかは疑問である。支持が得られない理由があるとすれば、それは一般的な格差の大きさの問題ではなく、世代間格差の問題とモチベーションを高められない社会の仕組みにあると考えるべきだろう。

そもそも「格差はあるが、格差は可変的で競争を重視しモチベーションの高い社会」か「格差はないが競争を重視せずモチベーションが低い社会」のどちらが良いかということについては20世紀後半の歴史が前者に軍配を上げている。ただ格差社会には幾つかの重要な歯止めが必要だが。中でも特に重要なのは「格差が固定せず、上昇のチャンスが人生に何度も巡ってくること」と「セイフティネット」だと私は考えている。

格差是正国会を目指すことは結構だが、民主党が是正したい格差は何なのかもう少し突っ込んで実りのある話をして欲しいものである。

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歯周病は怖い

2007年01月24日 | 健康・病気

発覚!ないない大事典、いや発掘!あるある大事典の納豆事件はまだマスコミを賑わしている。健康は人々の最大級の関心事なので日本のみならず米国でも新聞は大きな紙面を割いている。ただし記事の内容と信頼性においては米国の方がかなり上ではないか?と私は考えている。というのは米国は訴訟社会でありもし納豆事件が米国で起きたならテレビ局は結構訴訟沙汰にされたのではないか?と思うが如何なものだろうか?

今日(1月23日)のウオール・ストリート・ジャーナルを読んでいると歯周病がすい臓がんなどに大いに関係するという記事が出ていた。歯茎の健康と体の健康に深い関係があることは前から知っていたが参考になる話でり、納豆話よりは信じてよいだろう。

  • ハーバード大学の調査によると歯茎の健康と最も致死率の高いすい臓がんの間に強い関係があることが分かった。5万1千人以上の医師の研究によると歯周病患者がすい臓がんになるリスクは歯茎が健康な人より64%高い。
  • 歯周病は心臓病、脳溢血、糖尿病や妊娠問題に関係している。歯周病患者は歯垢の中にPorphyromonas gingivalis 口腔偏性嫌気性細菌(すごく難しい言葉だねぇ)や他の細菌がいる。これらの細菌は歯周炎を起こすだけでなく、冠状動脈の細胞を含む体のほかの組織に侵入し得る。

インターネットで調べるとPorphyromonas gingivalisは成人性歯周炎の発症・増悪に関わる最重要細菌ということだ。

  • もっとも歯周病がどうしてすい臓がんを引き起こすかは誰も分かっていない。歯茎の慢性的な感染が体全体の炎症の引き金になりガンの発生につながるのかもしれない。または口内バクテリアが発癌物質ニトロソアミンの生成の引き金になるのかもしれない。
  • 成人の35%は何らかの形の歯周病を持っていると推定される。規則正しいブラッシングとフロッシングは歯周病予防に役立つが常にそうだという訳ではない。

余談になるが、昔アメリカに駐在していた頃歯槽膿漏になったことがあり歯茎専門医にかかったことがあった。歯茎の健康についてアメリカは昔から関心が高かったのだろうか?それとも単に医業が細分化されていただけなのだろうか?

歯周病は英語でPeriodontology(と新聞に書いてあった)でこの歯周病学会Academy of Periodontology がホームページhttp://www.perio.org/consumer/4a.htmlで簡単な歯周病のオンライン診断を行なっている。

これによると歯磨きやフロス、食事時の歯茎の出血、喫煙、親の歯周病等が重なると歯周病と判断される様だ。特に半分位の歯周病は遺伝によるものらしい。私も幾つかの要素があるのでこれからはとりあえず昼食後も歯磨きをすることにした。

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格差論、あるいは獅子の分け前

2007年01月23日 | 社会・経済

新聞等で賃金格差の話題を目にすることがめっきり増えた。しかもこれは日本だけではなく、欧米のペーパーでもよく見かける話である。グローバリゼーションと情報技術革新が先進国で勤労者間の格差を広げているのだ。エコノミスト誌(1月18日)もRich man, poor manというタイトルでこの問題を論じている。

  • 先進国では企業利益は拡大してるがGDPに対する労働費の割合は歴史的に低いレベルになっている。また20年前米国の典型的な企業トップの報酬は平均的社員の40倍だったが、今は110倍になっている。数百人か数千人の企業トップがグローバリゼーションの獅子の分け前(不当な利益)を奪っている。

日本の大手銀行の場合、課長の年収が一般職の年収の3、4倍程度で頭取・社長クラスの報酬が課長の年収の2倍から3倍程度というものだろう。アメリカに比べると日本は実に格差のない国だと言える。

不当な分け前を奪うは原文ではSeize the lion's share である。これはイソップ物語から出た言葉である。そのイソップ物語というのは・・・・・ライオンとロバと狐が狩に出かけた。獲れた獲物を配分する時、ロバは三等分したが怒ったライオンはロバを食べてしまった。次に狐が獲物を配分することになったが、狐は大部分をライオンのものとして自分は僅かな分け前しか取らなかった。ライオンは満足して狐にどうして少ない分け前しか取らないのか?と聞いたところ、狐は「ロバの運命が私にこの分け方を教えてくれた」と答えた。

  • この反動はあちらこちらで起きている。米国では下院が最低賃金の引き上げを可決したところだ。日本でも賃金の停滞と仕事が中国に奪われることへの警告が発せられている。

次にエコノミスト誌は格差の問題に対する持論を展開する。

  • 格差(Disparity)は実力主義と全般的な経済発展が組み合わされると我慢できるものである。数十年にわたって米国はダイナミックな経済の方が平等主義的経済よりも全般的な繁栄の点でいかに優れているかを示してきた。A mobile society is better than an equal one.モバイルつまり階層間の移動のある社会の方が均一な社会よりも良いと主張する。

確かに階層の間に移動がある限り・・・しかも一回の人生の間で何回か「勝者」になる可能性が巡ってくるような社会であれば均一な社会よりも良いだろう。しかし問題は一度出来た格差が簡単に超えられるかどうか?という点だろう。この文章の論理にはやや飛躍があるような気がする。つまり「モバイルな社会←→移動がない社会」「格差のない社会←→格差のある社会」が対比されるべきで「格差がありかつ移動がない社会」という組み合わせもありうる。また移動も格差も程度とセイフティネットの有無を度外視しては論じられない。

  • グローバリゼーションの影響を緩和する方法は技術革新の影響を含む経済的な変革を緩和する方法と同じである。競争面の優位性のシフトに合わせて人々が転職できるような仕組みを作ることである。それは一般的なスキルを身に付ける教育を行なうことであり、健康保険と年金を雇用から切り離すことである。そして理由はともあれ仕事を失った人に職業訓練と職探しの手助けをする政策を取ることである。
  • 無論これは時間と金のかかる話だが、グローバリゼーションでメリットを得ている経済に支払原資を見つけることは容易だろう。

ところで日本の賃金格差について内閣府経済社会総合研究所の太田 清氏が「日本の賃金格差は小さいのか」という論文を06年12月に書いている。それによると

  • 日本では賃金が年功的に決められており年齢間格差が大きい。
  • 生涯賃金ベースで見た場合、日本は最も格差が小さい国である可能性が高い
  • 日本で賃金格差は賃金の低い方が高い方より大きめである

ただこの統計的な事実が現在の若い人にとって共有されるものであるかどうかは疑問である。つまり日本は過去において生涯賃金の格差の少ない国であったが、これからは拡大傾向にあると見られるからだ。更に若い人にとって日本の大企業が余り魅力がない理由(02年のInternational Survey Reseachによると社員に企業へのコミットメントは主要国の中で日本が一番低く50でアメリカ67、中国57である)は『実力主義と経済的発展が実感されない中で格差が拡大している』ということだろう。

日本のサラリーマン社長の取り分は冒頭で見た様に精々一般職社員の10倍程度でとても「獅子の分け前」という程ではなく狐に毛が生えた程度だろう。では誰が獅子なのだろうか?答は外資系企業や一部の新興企業オーナー(その中にはもう直ぐ塀の内側に入る人もいるが)などが不当なまでに美味しいところを食べたということになるだろう。日本の伝統的な企業は上から下まで揃って余り儲からない商売に汗を流し、その中で若い人は成果主義というトッピングが乗った年功制のもとで不満を募らせているという構図になっている。

年功制というものは実力主義の正反対の概念ではないと私は考えている。つまり年功とは年齢と功績の組み合わせで生涯報酬が決まる制度であり半分は実力主義の要素が入っている。つまり年功制の時代から格差は存在したのだ。年功制の下では報酬はかなり時間がたってから昇進というような形で返ってくる。これを「還元」と呼ぶとすれば、今問題なのはこの還元率が以前よりかなり悪くなったことと還元の不確実性が高まったことだろう。これが日本の格差議論の根底にあるということだ。

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