金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

風よ吹け、神霊示せ、塩竈の社(やしろ)

2010年09月07日 | 旅行記

9月5日(日曜日)午前8時過ぎに自宅を出て、12時半前に仙石線本塩釜駅に到着。暑い!塩釜で美味しいお寿司か海鮮丼を食べる予定で来たが、とても探す気になれず、駅前広場東側の「あがらいん」という店に入る。板前さんとそのお母さんと覚しき女性で店を切り回している。ワイフは海鮮ちらし、僕はマグロ丼を食べる。各880円でお値打ちだが、いなせな雰囲気がなかったのでイマイチというのが僕の評価だ。

さて本塩釜駅から塩竈神社までは徒歩15分程の距離なので歩いて参拝することにした。しかしこれは猛暑を恐れぬ無謀な行為だった。

10数分歩いて表参道の下の着くと天まで届くような石段が聳えている。

Sandou

石段の数は202段、途中から傾斜が強くなるため門は見上げる程に高い。

Mon_2

汗ビッショリになりながら石段を登り本殿へ進む。本殿右側には「和泉三郎寄進」の灯籠がある。この灯籠は奥の細道に出てくる灯籠なので是非見たかったものだ。

Bunjinotourou

Bunjinotourou2

灯籠には「文治三年和泉三郎寄進」の文字が見える。和泉三郎とは藤原秀衡の三男忠衡のこと。父秀衡の遺訓を守り義経に忠節を尽くし衣川に自刃した忠孝の武士である。

奥の細道は「五百年来のおもかげ、いま目の前にうかびて、そぞろに珍し。かれ(和泉三郎)は勇義忠孝の士なり。佳名、今に至りて、慕わずということなし。まことに、人よく道を勤め、義を守るべし」と忠衡を絶賛する。

芭蕉が奥の細道の旅を行ったには元禄2年1689年のこと。それから320年の年月が経った。忠衡の寄進からは8百数十年の月日が流れた。灯籠は今も同じ場所にあるが、忠衡の故事に感動を覚える人は誠に少なくなった。最近歴史に少し関心が出てきたワイフも全く関心を示さなかった。暑くてそれどころでないという感じである。実際暑い。暑過ぎるのである。

それでも本殿にお参りすると優雅な雅楽の音が響いていた。

Honden

Tourou

塩竈神社は奥羽一の宮であり綺羅びやかさ、神韻さともに素晴らしいものがある。

参詣を終えて表参道の石段の上に立つと下から激しく風が吹き、火照った体を一気に冷やしくれた。「涼しいわねぇ」とワイフも喜ぶ。

Hata

激しい風に参道脇の旗は千切れんばかりに身を捩っていた。

わが思い 神に届けよ 塩竈の風   北の旅人

石段を吹き上がる風に吹かれていると忠衡を追慕する芭蕉、その芭蕉を追慕する私の思いを塩竈明神が嘉して風を吹かされたのではないか・・・という気がしてくる。

やがて激しい風は収まり涼やかな風が杉木立をさらさらと吹き渡る静寂が戻ってきた。

古来多くの人々が尊崇してきたお社というものは誠に神韻とした趣があるという思いを新たにしながら私は苔生す石段を下界に向かって歩き始めた。

 

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松島湾内クルーズ

2010年09月05日 | インポート
松島湾内クルーズ
塩釜から遊覧船で松島を目指します。外はものすごく暑いのですが、船の中には涼しい風が吹き込みます。

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今年も芭蕉の足跡を訪ねて

2010年09月05日 | 旅行記

今日(9月5日)から2泊3日でワイフと松島から鳴子付近を回る予定だ。ここ数年夏はワイフと東北方面に旅することが多い。東北を歩くと自然行き先は芭蕉の足跡に重なる。

今日の目的の一つは塩竈神社。奥羽一宮だ。以下奥の細道の記述・・・・

「早朝、塩竈の明神に詣づ。・・・宮柱ふとしく、彩橡(さいてん)きらびやかに、石の階(きざはし)九仞にかさなり、朝日朱の玉垣をかかやかす。・・・・・(古い灯籠の)鉄(かね)の扉の面に「文治三年和泉三郎寄進」とあり」

和泉三郎とは藤原秀衡の三男忠衡。父秀衡の遺命を守り義経に忠節を尽くし勇戦の後自害した。芭蕉は忠衡を慕い「五百年来のおもかげ、いま目の前にうかびて、そぞろに珍し(追慕の念やみ難い)」と詠嘆する。

次に松島。奥の細道は「松島は扶桑第一の好風にして、およそ洞庭・西湖に恥ず」と絶賛する。

絶景に心を奪われた芭蕉は句を作ることができなかった。

松島の後、芭蕉は平泉に行きそれから鳴子へ向かった。今回私は平泉には行かず、鳴子へ直行する予定だ。ここが最後の予定地。

奥の細道は「鳴子の湯より尿前(しとまえ)の関にかかりて、出羽の国を越えんとす。この道、旅人まれなる所なれば、関守にあやしめられて(不審がられて)、ようようとして関を越す。」

芭蕉はこの山中で国境の番人の家に泊めてもらい、「蚤虱馬の尿(ばり)する枕もと」の一句を読む。

☆   ☆   ☆

さあ「奥の細道」の該当部分も読み終わった。支度をしてそろそろ出かけよう。旅を終えてからもう一度奥の細道を読もう。旅は「行く前」「旅そのもの」「旅の後」と三度楽しむことができる。

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立山,花鳥風月の旅(2)

2010年09月04日 | 

9月3日一の越から立山(雄山)頂上を目指してザレ場を登る。忘れるところだったがその手前の植生群の中にチングルマ(花の跡)あり。

Chinguruma

花鳥風月の内「花風月(星)」はそろった。

Dainichidake2

風月の「風」は風あるいは風景。雷鳥沢の向こうに大日岳がくっきりと見える。朝の立山の風は清々しい。

Kasatoyari

一の越からしばらく登ると北アルプス南部の峰々が見えてくる。感激のひとときだ。

右の尖った山が笠ヶ岳、左の尖った山が槍ヶ岳。真ん中は赤石岳だ。

Yarigatake

8月に登った槍ヶ岳を拡大した。槍ヶ岳はやはり目立つ山だ。

立山(雄山)の頂上で一人500円の参拝料を払い、立山神社でお祓いをうけた。数年前山スキーで肋骨一本を折るという怪我をした立山は私にとって恐れ多い霊域なので合わせて1000円のお供えをした。

神主さんの祝詞も神々しい一時であった。

Kannnusi

祝詞が終わったのは午前9時頃。6時半に「室堂を出発したので2時間20分程度(ほぼコースタイム)で雄山に到着したことになる。

雄山の手前からは後立山の鹿島槍ヶ岳が一瞬見えた。

Oyama

雄山の頂上ではイワヒバリを見た。

Iwahibari

これは標準レンズで撮った写真をトリミングしたもの。「花鳥風月」の「鳥」まで揃ったと良い気分で下山を続ける。ところが天候は急速に悪化し、雄山から一の越に下る途中で風は湿り気を帯びてきた。

Kiriwaku

一の越に戻り軽く食事をして室堂に下り始めたのは10時15分頃。10分程下ったところでツガイ+1の雷鳥を発見。

Raichou Raichou2 Raichou3

いずれも標準レンズで撮影してトリミングしたものなので画像は美しくない。雷鳥を見たという記念撮影的なものである。

11時頃室堂を出発して黒部湖に向かう。大観峰から黒部平に向かうロープウエイもかなりの雨の中を下っていたが、黒部湖に到着すると雨はほぼ上がっていた。

黒部平で昼食を食べる予定だったが、空席がなく扇沢まで我慢する。扇沢到着は午後1時半。

Damu1

Damu2

扇沢からはチャーターしていたジャンボタクシーで30分程走り葛温泉・仙人閣に向かった(タクシー料金9千円)。仙人閣は日本秘湯の会の推薦する宿だ。ただし部屋にクーラーがないのには少し驚く。もっとも今年の夏は異常に気温が高いのでクーラーを必要と思ったが、いつもの夏であれば高瀬川の川風で十分なのかもしれない。

 

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立山、花鳥風月の山旅(1)

2010年09月04日 | 

9月2日(木曜日)から4日(土曜日)にかけて立山から黒部を歩いた。二泊三日の山旅だがスケジュールを切り詰めると一泊二日でも可能である。だが今回は某ロータリークラブ・トレッキング同好会ののんびり旅行だ。私は中央三井信託の古沢前会長(現顧問)とのご縁でこの同好会の世話役を仰せつかっているのでこのプチ大名旅行に同行している。

より高くより厳しくというアルピニズムの原点からは乖離するが、山岳愛好者の裾野を拡げることも私はアルピニストの使命だと考えているのでこの会のお手伝いをしている次第だ。前置きはさておき、9月2日の午前7時48分Maxとき307号で東京駅を出発して、越後湯沢でほくほく線に乗り換え11時22分に富山着。舞膳という小料理屋で昼飯を食い、富山電鉄・ケーブル・バスを乗り継いて午後3時30分室堂着。

Jigokudani1

午後4時前にみくりが池山荘に到着。約1時間地獄谷を散策した。

Chinoike

血の池地獄というおどろおどろしい名前が付いているが酸化鉄で赤くなった池塘である。みくりが池温泉では豪華な夕食の後、カフェルームで星座の解説スライドショーがあった。その後山荘から数分離れた野外で星座のレクチャーあり。写真には撮ってないけれどこれが花鳥風月の「月」だ(幸いな」ことにこの日は星がなかったので満天の星座を楽しくことがができた)。

明けて3日(金曜日)5時50分に山荘出発(朝飯はオニギリに替えてもらった)。室堂バスターミナルのロッカーに雄山登山に不要な荷物を預け、朝食にオニギリを食べて立山登山に出発6時35分である。

少し歩くと剣岳がその厳しい姿の一部を現した。

Turugi

一の越までの道は舗装された石畳であるy。ローマの軍道を歩いたことはないが、このようなものかもしれない。

午前7時40分一の越到着。早朝室堂付近を覆っていた雲は消え快晴の空が広がる。だが良く見ると巻雲の先が鈎状に曲がっている。「これは天気が悪化する兆候ですよ」と私は同行者に伝える。これは日本古来の観天望気が教えるところだ。

Kenun

写真は一の越から少し登ったところ。直ぐ後ろの岩山は竜王岳。その左手に薬師岳、その左手に笠ヶ岳が見える。夏日ながら風は強く、同行者の内何名かはフリースやウインドブレーカーを羽織った。

まず立山の花鳥風月。月と風はこのようにして材料を揃えてくれた。

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