昨日ブログの中で「金融」から距離を置き始めている・・・・と書いた。その理由を幾つかあげたが、今ひとつすっきりしないものがあったが、今日ファイナンシャル・タイムズのGillian Tett女史のOur volatile age defies spreadsheet strategyという文章を読んですっきりしないものが何であるかが判然としてきた。
それは過去2,30年の間に発展してきた「金融工学」の根幹を揺るがす問題が起きているということだ。
広い意味の金融工学は、過去のトレンドを分析し、将来を予想し、リスクをプライシングに織り込むことである。そこでは人々は「経済合理性」に基づき、市場に参加し、お互いに約束を守ることが前提になっている。
Tett女史は「20世紀の中頃融資業務を実践したバンカーにとっては、カウンターパーティが約束を守るかどうかというリスク判定が重要で、トルコやインドネシアの与信リスクを判断する時、政治リスク、公民としての価値観、社会文化といったソフト要因に注意を払っていた」と述べる。
しかし欧米のような先進国については、政治リスク等のソフト要因は無視されインフレ率等計量化できるリスク要因のみがフォーカスされてきた。だが今南欧諸国で起きている問題は、まさに政治的・社会的なリスクの問題である。
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古代のギリシャやローマにおいて、無担保でお金を借りることができたのは貴族や上流階級の市民のみであった。奴隷もお金を借りることができたが、彼等は必ず担保を求められた。上流階級の市民は「必ず約束を守る」という社会的信頼の下で、無担保取引ができたのである。
リーマンショックや今のスペインなどの金融混乱の原因をたどると、無節操な住宅ローン融資の問題に行き当たる。住宅ローンは英語ではmortgageというが、その語源はフランス語のmort「死」とgage「ギャンブル」にあるという説がある。不動産を担保にお金を借りるということは命を懸けたギャンブルという意味だろうか?
本来の融資は「債務者の返済意思と返済を可能にする事業計画や収入」をベースに行なわれるべきものであり、担保物件の処分による弁済は最後の手段であるべきだった。だが担保付融資が拡大する中で、このような規律が弛緩していったのではないだろうか?
取引相手の債務履行意思を前提にした現在の金融取引の枠組みが揺らいでいる。信頼が回復しないと、疑心暗鬼が広がり、担保以外に信じるものがなくなる。それは奴隷の取引への逆戻りである。
Tett女史は「我々は新しいボラティリティの時代に入っている。それは金融と経済の面だけではなく、政治的な面と社会的な面において」と結んでいる。いわば市民社会の根幹をなす「約束を守る」という基本的な規律がリスクに晒されているのである。