金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

低金利のおかげで全世界的に10年ぶり経済成長が加速

2017年08月24日 | ライフプランニングファイル

WSJはOECDが追跡している45ケ国総てで経済成長が上向いていると報じていた。これはリーマンショック以降初めてのことであり、もう少し過去を振り返っても、1980年代後半と1973年のオイルショック以前の数年しかなかったということだ。

IMFは先月今年の世界の経済成長率を3.5%、来年の成長率を3.6%と予測している(2016年は3.2%)。

世界の経済成長が加速しつつあるのは先進国の低金利政策と原材料価格の持ち直しが主な要因だ。

まもなく米国のジャクソンホールで中央銀行総裁の集まりがあるが、イエレン連銀議長やドラギ欧州中銀総裁もかなり自信に満ちたスピーチができるのではないだろうか?

一方低金利の弊害は表面化しつつある。米国では商業銀行が利ザヤを稼ぐために、長めのローン(特に不動産ロール)を出す比率が高まっているし、日本では銀行のカードローンが過剰融資状態になっているという指摘が出始めている。

中国では当局の規制強化にも関わらず、投機的な不動産取引が収まる気配は薄い。

過去の世界的な景気拡大が資産バブルの崩壊により終焉したことを思うと今回の景気拡大がその轍を踏まないという保証はない。

中央銀行の総裁が自信を持ってスピーチができると書いたが、それはこれまで低金利・債券購入による流動性供給が経済成長を後押ししてきたという点で、バブルの萌芽を抑え込む点で自信に満ちているかどうかは分からない。

現在のドル円為替の水準(109円前半)を見ると、市場は今後2年間の間に2回の利上げよりは1回の利上げを予想する向きが多いことを示唆していると言われている。市場は米連銀の緩やかな債券購入プログラムの縮小はほぼ織り込んだと私は見ているが、政策金利の引き上げにはなお神経質なようだ。

ところで日銀総裁の影は薄い。連銀や欧州中銀が時期や規模は別として、超緩和政策からの転換が視野に入る中、日銀にはまったくその兆しがないからだろう。

金融政策は不況期には緩和策で景気を刺激し、過熱期には引き締めでインフレや資産バブルを抑える効果を持つ。有効な金融政策を打ち出すためには、締める時は締めて「操作する余地」を手元に作ることが必要だ。米連銀や欧州中銀は手綱を手繰り寄せて操作する余地を見出そうとしているが、日銀にはその兆しを見ることはできない。手綱が伸びっぱなしでは次の手は打てないと思うのだが・・・・

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「引出し論」の続き~無駄な引出しは処分した方が良い

2017年08月23日 | シニア道

先日ブログで「良いシニア生活を送るには自分の引き出しを充実させるのが良い」と書いた。

自分の引き出しを充実させると良いのはシニア生活だけはない。働いている最中でも「引出しの数と大きさ」は極めて重要だ。

ただ働いている時、役に立つと考えていた引出しの中には、会社や組織を離れると無用であるばかりか害になる引出しもある。害になる引出しは早めに処分した方が良い。

害になる最大の引き出しは、「会社や組織固有の価値観やルール、仕来り」というものだ。会社や組織は従業員の業務能力と忠誠心を引き出すために様々な仕掛けを作っている。従業員の競争心を煽り、組織の階段を登ることが人生の目標であるかのように思い込ませるのもその仕組みの一つだ。

このような「引出し」はシニア生活では害以外の何物でもない。

これ程の害はないにしろ「会社や組織固有のルール」というのも、会社や組織を離れると意味はない。そこで必要なのは「共通語としてのルール」だからだ。雇用の流動性が高い社会では、人が幾つかの会社や組織を渡り歩くことを前提としているので、会社や組織は「固有のルールより共通ルールの採用」を心掛けている。日本の退職者は、退職後地域社会等新しいグループに参入し難いと言われているが、その原因の一つは「固有ルール」に縛られ「共通語としてのルール」に慣れていないことによるだろう。

有害な引出しや無駄な引出しは早めに処分して役に立つ引出しに置き換えた方が良い。人間のキャパシティには限界があるので不要な引出しを取り去らないと新しい引出しを置く場所がないからだ。

ところで引出しの中には有効期限の短い引出しと有効期限の長い引出しがある。勤めていた時の業務知識などは有効期限の短い引き出した。

これに較べて語学力など基礎学力の引出しは有効期間が長い。いつでもどこでも役に立てる場所があるからだ。

最も有効期間が長い引出しは「学習する姿勢と方法論」という引出しだろう。学び続ける資質と言っても良い。新しいことを学び続ける意欲と言っても良い。

この引出しがある限り、世の中の変化についていくことができるだろう。陳腐化し時には害になる引出しを処分して有効期限の長い引出しに置き換えることができるかどうかが、良いシニア生活を送ることができるかどうかの分かれ道なのである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

薄商いの中の米国株急騰

2017年08月23日 | 投資

昨日(8月22日)米国株はダウが196ポイント上昇と好調だった。

ただし薄商いの中でハイテク株やボーイングの株が買われての上昇だったから、本気の反発ラリーが始まったと判断するには少し早い気がする。市場のセンチメントを改善したのは、政治メディア・ポリティコがトランプ政権と議会の主要メンバーが税制改革について基本方針で合意していると報じたことから税制改革に対する期待が高まったことによる。ただ本当に税制改革に筋道がついてきたと判断して良いのだろうか?

トランプ大統領がアフガニスタンに米軍の派遣を増やすと発表したことなどでボーイングの株価が上昇した。

アフガンからの撤兵は、「空白」を生じ、タリバンの活動が活発化するというのが、トランプの主張だが、これはオバマ前大統領のアフガン政策を批判してきた彼の「変心」といえる。トランプの「変心」には慣れっこなので驚くほどのことはないが。

もっともアフガンへ派遣軍を増やすことが外交的に正解かどうかはわらない。派遣軍の増加は隣国パキスタンの反発を招き、パキスタンは中国よりの立場を強め、米中間の新たな対立の火種を増やすからだ。

今週に入って市場に動揺を与える政治的混乱がなかったというのも、買い材料だったようだ。

以上のように見てくると、まだ本格的な反発ラリーが始まったと判断するのは少し早いと私は見ている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

8月は米国株相場の転換点になるのか?

2017年08月22日 | 投資

昨日(8月21日)の米国株相場はダウ、S&P500は小幅上昇、ナスダックは小幅下落と小動きだった。今秋はジャクソンホールでに中央銀行総裁の会合等イベントが控えているので、まずは様子見、ということだったろう。

しかし先々週のシャーロッツビル事件以来、米国企業トップとトランプ政権の亀裂が明確になり、企業減税やインフラ投資といったトランプが掲げてきたプロビジネスな政策の実現性に懐疑的な投資家が増え、投資家のセンチメントが変わりつつあることは事実だ。

これが約8年間続いてきた上昇相場の大きな転換点になるのかどうか?

それが分かれば誰も苦労しないが、投資家としては何かを決断しなければならない時が近いことは間違いない。無論何もしないという決断を含めてだが。

弱気の材料としては、弱気の投資家が増えていることだ。米国個人投資家協会の調査によると、今後半年で株価が下落すると予想する人は約33%でこれは5月以降で最大の割合だ。

一方強気の見方をする投資家は34%。因みに昨年の大統領選挙後は9週間連続で4割以上の投資家が強気な見方を示していた。

このような投資家の心理はチャートに現れている。先週S&P500の株価は50日移動平均線を下回り、100日移動平均線に近づいている。これは弱気相場のシグナルだろう。

一方強気の材料といえば、8月の消費者景況感指数が97.6(7月は93.4、市場予想は94.5)と好調だったことだ。もっともこの好材料はシャーロッツビル事件後の株価大幅下落の中に埋もれてしまったが。

政治の混乱や北朝鮮問題等悪材料はあるが、米国景気が底堅いことに変わりはない。

さて景気と雇用が堅調なのにインフレ目標に届かないジレンマを抱えるイエレン議長はジャクソンホールで次の利上げについてどのようなヒントを与えるだろうか?

最近発表されたサンフランシスコ連銀のレポートは「労働需給がタイトでも、賃金があまり上昇しない理由は団塊の世代が退職する一方リセッション時代に職を得ることができなかった若年層がフルタイムジョブに着き始めていることにある」と指摘している。このレポートは連銀幹部も注目しているとそうだ。

このような雇用構造の変化が賃金上昇を抑えているとすると、当面大幅な賃金上昇は見込みにくく、インフレが加速する可能性は低いということになる。素直に判断すれば、連銀は予防的な政策金利引き上げ策を急ぐ必要なないということになり、それは株価にはプラス材料と思われるが、連銀議長がどのような発言をするかは予想がつかない。

ということで先の見通しについては弱気シナリオの割合を高めて、しばらく様子見。もし大幅な株価下落があれば、買い場と考えるということだろうか?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

良い老後は「引出し」で決まる

2017年08月21日 | シニア道

最近読んだ「定年後」(楠木 新著 中公新書)は中々読みやすい本だった。読みやすいという意味は最初から終わりまですっと読めるという意味である。著者は同年代の保険会社出身の人で、理屈よりはエピソード的な実例の紹介が多いので読みやすいのだ。もっともエピソード的なので著者が一番言いたいことはあまり強調されていないともいえる。理屈っぽい本では主題が何回も繰り返されるので、著者の言いたいことを見つけるのは簡単なのだが。

私は著者が一番言いたいことは「定年後の目標は『いい顔」で過ごすことだろう。そうすれば息を引き取る時のいい顔であるに違いない。逆に言えば、定年後は『いい顔』になることに取り組んでみればいいわけだ」という一文に込められていると判断した。

その一文の前にはカナダ北部の原住民ヘヤー・インディアンの話がでてくる。ヘヤー・インディアンにとって最も大切なことは「良い死に顔」をして死ねるかどうかだという。なぜなら「良い死に顔」をして死んだ者の霊魂は再びこの世に生まれ変わることができるからだそうだ。

無論ヘヤー・インディアンの信仰?をフィクションだと笑うことは簡単だ。しかし概ね世界の宗教は似たようなフィクションを信仰の中心に据えている。善行を積んだものが、天国に行くか?天上界に生まれ変わるか?あるいは再び人間界に生まれ変わるか?という違いはあるが、善い行いをしたものが、満ち足りてつまり良い顔をして死ぬという筋書きに変わりはない。

一方定年後にどうすれは『いい顔』をして過ごせるか?ということについて、著者は単一の答を用意していない。人それぞれに充実した人生の送り方があるので、単一の答がないのは当然だろう。

一つの答えはないが、ある類型はあるのではないか?と私は考えている。

多くの人は人との繋がりの中で「充実した人生」を見出していく。そこをスタート点に考えてみよう。

マズローの欲求5段階説に従えば、少なくとも3段階目の「社会的欲求(帰属欲求)」が満たされないと人は孤立感や社会的不安を感じやすくなるという。つまり帰属欲求が満たされることが「充実した人生」の必要条件と考えてよいだろう。ただしこれは必要条件であり、「充実した人生」を実感するには更にその上の「尊厳欲求」(4段階目)や「自己実現欲求」(5段階目)が満たされることが望ましい。

ではどうすれば「帰属欲求」やその上の「尊厳欲求」「自己実現欲求」を満たすことができるのか?

私はそれは「自分の中にどのような引出しを持っているか?」で決まると考えている。引出しの中身は「社会経験に基づくバランスのとれた判断力」でも良いし「音楽・芸術など特定分野での技能」でも良いし「語学力・資格試験合格」などの職業スキルでも良いと思う。

または「古地図の収集・解読」「野鳥の観察」などといった趣味の引き出しでも良いだろう。後述するようにお金そのものでも良い。

とにかく何か引出しを持っていることが大切だと私は思う。人のキャパシティを引き出しを並べる壁にたとえてみよう。小さな引出しは壁に沢山並べることができるが大きな引出しはあまり沢山並べることはできない。しかし大きな引出しには沢山のものを入れることができるが小さな引出しには余りものは入らない。

つまり人には色々なタイプがあって、色々なことに少しづつ手を広げる人もいれば、特定分野を深堀する人もいるということだ。

だが私は引出しの大小にかかわらず、自分のキャパシティという壁面に引出しを揃える努力をしている人の引き出しは必ず他人に利用されることがあると思っている。

 他人が自分の引き出しに関心を持った時、つながりが生まれ、それが社会的欲求が満たされる第一歩となる。もし他人が引出しの中身を使いたい・欲しいといえば、それを喜んで使わしてあげ、分けてあげたら良いと思う。引出しの中身を使った人があなたに感謝すれば、尊厳欲求が満たされるだろうし、更に引出しの充実を図れば自己実現につながるのではないだろうか?

私の結論は「充実した人生を送るには自分の引き出しを充実させる」ということだ。もしその引出しの中に人に分け与えられるほどのお金が入っていればそれも素晴らしいと思う。そのお金を困っている人のために差し上げれば良い。引出しの中に「健康や自由な時間」が入っていればそえをボランティア活動に活かすことができる。

要は自分のキャパシティの中に「他人に役立てることができる引出し」をどれ位持つことができるか?が充実した人生を送ることができるかどうかの鍵なのだ。

その準備は早い方が良いが、遅きに失するということもないだろう。佐藤一斎は「老いて学べば即ち死して朽ちず」と言っている。私はこの言葉を人は生涯引出しを作り続けるべきだという意味に解釈している。正しいかどうかは分からないが。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする